釣りという病に狂わされても世界が病んでるからどうしよもない

こんばんは

新年早々の徹夜。まさしく典型的なワーキングプア

しかし今年ははっきりと言っておきます。

 

むしろプアってんのは僕の精神状態だってことを。

 

というわけで、新年早々世の中の欺瞞にへきえきと腐っているαトラウトです。

なんで2018年にもなってこんな腐っているのかって言いますと、実はですね。徹夜が祟って今とんでもない熱があります。しかもリンパ線がものすごい腫れています。

なんかもう痛くてものが食えないから鍋焼きうどんを食べていたんですが。

「なんか耳の横タラコみたいになってるよ」

と言われてしまう始末。

 

というわけで、体も病めば心も病んで腐りきる。そんなスタイルは今年も変えずにやっていきますよ。

 

ですがね、病んでいるは僕だけではないんです。

病んでいるのは世界。The world is sick。

そこで今回は釣りという病から世界中の病に触れ、自らの病を忘れたい。

など難しくいうと「みんな不幸になってしまえ!」と言いたいのかと思うのだろう。

だが違う。そうではない。

この記事におけるコンセプトは次の通りである。

 

赤信号、みんなで渡れば怖くない。

精神衛生、みんなで崩せば鬱じゃない。

 

というわけで、これがこの記事の重要な着地点になりますから、しっかり覚えてください。

もう先生二度と言いたくないですからね。辛いですよ。

釣りという病

釣りという病に掛かっていると自覚したのは先ほど。

薬を飲みネットを見て、とりあえずやることないから本を探そうとした時。

 

こう見えても読書家のαトラウト。

このブログをお読みの方はこの時点で、僕のことを低能、もしくは脳になんらかの欠陥を抱ええた悪質なブルーカラー労働者だとお思いかもしれませんが、正解です。あなたにはゲキブルをプレゼントしましょう。

 

しかし、僕はこのご時世ですら古書を集めるという癖がありまして、好きなピカレスク小説のミスタークインの翻訳別のものを購入しようと思っていたわです。

 

しかし、気が付けば見ていたのは『アメリカの鱒釣り/リチャードブローティガン』だった。

 

アメリカ文学の中でも釣りに特化した小説として人気ナンバーワンの作品。

サンフランシスコのクリークを舞台に、病んだ人間たちの病んだ世界が繰り広げられる傑作と名高い小説と言われている。

この作品は今まで一度も読んだことはない。

けどちょうど読みたいと思っていたし、この小説を購入しようとしていた時点ではたと気がつく。

 

リチャード・ブローティガンの画面の下に移る、googleアドセンスの広告。

 

そこには、このリチャード・ブローティガンにたどり着くまでの間に踏みに踏みまっくったルアーが大量にあった。

 

履歴を見る。やばい、アマゾンの商品を見まくっている。

 

アマゾンのカートを見る。やばい、なんか滅茶苦茶ルアーをカゴに入れている。

時計を見る、時間はすでに2時間は経過している。

 

そう、2時間。

 

僕はわずか10分ほどしか小説を選んでいたつもりが無かったが、実際には残り110分全てを新作ルアーのチェックに費やしていたのである。

熱にうなされていたせいかもしれない。

 

だが、釣りという病はこの熱を明らかに凌駕した。

 

その結果時すらも超えた。一般相対性理論で言えば世界が高速を超えたことになるこの現象を、僕の釣りという病が起こしているとなるとまずい。このままルアーを見続けて、結果SMITHの新作までチェックしはじめたら世界が3週して僕以外の人類が平行時間軸を飛び越える。

 

そこで僕はとにかくこの「釣りという病」について調べることにした。

 

というのが普通だろうが、僕はそんなことはしない。

僕は僕自身が病であるととにかく認めたくない。

 

だったら、世界の速度を落とす。つまり、世界も病で加速させ自らの速度に合わせ時間を取り戻す他ない。

 

僕が病なら世界も病んでいることにするため、アマゾンの書籍にどのような病の本があるのか調べはじめたのである。

世の中は病に溢れていた

「世界は病んでいる」

という台詞なら別にイレイザーヘッドを見るまでもなく、Googleのキャッシュの中にそこら中に見え隠れする。

 

ただ、信頼できない言葉は今必要ではない。

 

いったい世界にどれだ「病」と認知された症状があるのか、アマゾン書籍から~という病というタイトルについて調べてみた。

 

結果、やはり世界は病んでいた。

そう、この世界は巨大な隔離病棟施設なのである。

~という病で世界は満ちている

釣りという病に掛かった自分が言うのも何んですが、~という病について調べてあまりにも大量の病がこの世にあったことに驚きを隠せません。

 

そこで、その一例をまずは紹介したいと思います。

 

1「母という病」

 

母という形に問らわれるがあまり病に陥った人間が語る「母」という病。

なにげにベストセラー。なにげ売れている。そう、全世界の母親は母親という病に侵されているのである。

 

2「父という病」

母親という病があって、父親という病が無いわけがない。

こちらも母同様、父という理想像に押しつぶされてしまった父親も、父親という病に侵されていたのだ。

 

3「家族という病」

母親が病、父親も病、だったら家族も病である。

という勢いのある三段論法を駆使して出してきた書籍「家族という病」なにがなんだかわからないけど、もうみーんな病んでる、家族という形に押しつぶされて病んでいるのだ。

 

 

4「愛という病」

家族が病なら、その家族を支える愛すらも病なのだ。

愛とは人間がわずらう代表的な病だ。人間の多くがこの愛によって命を落とす。ガンよりも恐ろしい病なのである。

 

 

5「意識が高すぎるという病」

痛い、辛い、見てられないと三拍子そろった意識が高いという病。

この病に陥った人間はとにかく多いもの。病に侵されたくなければ意識をなくせ。人生はクソだ。

 

6「天才という病」

天才とは病である。

そう、才能ある人間、能力の秀でた人間、ありとあらゆる人間は病気と言って良い。

先ほど引用した一般相対性理論を作ったアインシュタインは世界一の病人。アインシュタインが病人だったら、みんな病人になるのはまったく怖くなくなるはずだ。

 

 

7「教育という病」

人にものを教える、それはすでに病。

もう何がなんだかわらかなくなってきたが、とにかくそうなのだ。教育という世界では教育者という病に満ちている。人に何かを教えている場合ではない、教育者たるもの、まずは自らを癒すのだ。

 

 

8「私という病」

私、僕、俺、アタシ、ワシ、ワイ、アイ、マイ、ミー、マイン、ありとあらゆる「私」とは全てが病である。

中村うさぎの名作だがタイトルだけみると完全にゲシュタルト崩壊する。

この著者は他にも「他者という病」というものもあるが、とにかく病とは私という存在と社会の軋轢によって起きるのだ。

 

 

9「神とプロレスとフラメンコ、もしくはアントニオ猪木という病」

 

シュルレアリズムの極致みたいな言葉とアントニオ猪木というパワーワードが眩暈すら起こさせる病的なタイトルで全てをわからせてくれる。

アントニオ猪木すら病なら、もう大半の人類は病なのはいうまでもない。卍固めとは仏教の心で自らを癒す技なのだ。

 

10「健康という病」

 

もうだめだ、助けてくれ!出してくれ!!この世界から出してくれ!!

と、つい叫びたくなるようなこの本。健康が病だったらもう病のほうが健康。つまり病んでいるほうが健康であるならば、いっそ死んだほうが健康。

という非常に難解な構成による世界三大奇書の一冊。

ではなく、健康にとらわれ過ぎるという病という本ですね。

 

釣りと言う病は深刻だ

ここまで世の中が病に溢れているなら、釣りという病は大したことがない。

と思いがちだが、こうしている最中にも頭の中には釣りのことばかりが浮かび、いつまでもルアーの構造や流体力学、360フュージョン系3Dキャドでのコンポジットやテスト釣行の計画などなど、あらゆる釣りのことが浮かんでくる。

 

これが釣りという病でなければ何なのか。実生活に支障をきたし、肉体的病すら凌駕するレベルなのだが。

 

体調が悪いのに釣りに行ってしまったり、やおら夜釣りにいってしまった人間も多いだろう。

世の中には釣りが好きすぎるがあまり会社を辞めてしまったり、ついには離婚にまで発展する人間もいる。釣りという病は確実に社会生活を阻害するのは確かであり、病といわれるだけのことはあるのだ。

 

しかし、世の中もこれだけ病んでいるのだ。

 

何一つ病に掛かることは難しいし、病に掛かることは、社会で生きていく上で必須なのである。

何の病に掛かるか、それが問題だ

この世は様々な病であふれていた。

 

その実態に驚きはしたものの、釣りという病にかかり、さらには熱まで出して薬を飲んでいる自分も当然である。

 

ただ、社会に生きる時、人は健康を気にしようが何をしようが、至るところにある病を引きずって生きていかなくてはならない。釣りという病は、あくまでその中の一つに過ぎない。

 

何事も考えすぎれば病となる現代。考えすぎればなんでも病になるなら、自由と平等を訴えればリベラルという病に掛かることだってある。

 

となれば、もはや運だ。

 

自分がおかれた環境により、人は掛かる病が違う。

ワーキングプアとして貧困という病に陥り、そこで釣りという病に陥った僕も同じことだ。

 

 

そもそもの病とは何か?

 

 

肉体的な疾患以外の病というのは、その大半が一般相対性理論で説明がつくと思っている。

 

この世にはありとあらゆる事象や概念、趣味嗜好などが「病」と言われているが、その理由は時間のずれが原因だと思っている。

 

多くの人間は日本の基準時計に沿って活動するが、病にかかった人間の活動時間軸は基準をおおはばに超えるか、もしくは大幅に遅れるし、それはなんらかの思考にとらわれた時にそれは最も起きやすい。

 

うつ病で病床に伏せる時、病で何かを破壊するとき、行為そのものが常識とずれているのではない、彼らは彼らの思考にもとづく物理的エネルギーに基づき行動しているが、その速度が基準時間軸とは異なるがゆえに、病なのである。

 

 

時間とは相対的なものである。

 

自分が10分と感じたはずの時間も基準時間にすれば2時間。逆に、2時間と感じたものが実は10分であった。このズレこそが病である。愛も、家族も、父親も、母親も、天才も、健康も、釣りも、全てが「常識」や「バランス」といった架空の基準時間との大幅なズレを生み出す要因を孕んでいるの。

その瞬間、病になった人間は高速でもあり、信じられないほどの低速でもあるが、その速度自体が周囲の人間との相対性があって初めて生まれる。

恋人を置いて釣りに行った時。

家族を置いて釣りに行った時。

人は周囲の人間と自分の時間軸が大幅に違うことに気が付く。

そして、僕のように病床でノートパソコンをうちながら釣りのことを考えてばかりいて、この文章を書いている。時間を忘れているわけではないが、基準時間を忘れている。ということは相対的に見れば我々は光の速度を超える思考の中にいるわけだが、現実世界に見れば驚くほどの低速になり、世界が猛スピードで動き出し置いていかれる。つまり病。病とは時間の相違にほかならないのだ。

 

釣り依存症に陥った僕は、おそらく今後もこの依存症に悩まされ続けるだろうが、それと同時に同じような喜びも手に入れられることは間違いない。

 

残念ながら、人間は病に掛からないということはない。

 

しかし、かずある病の中でも、釣りという病に掛かった我々アングラーは、少なくともまだマシなほうかもしれない。

コメント

  1. はしどい より:

    αトラウトさん、こんにちは。

    私も釣りの病で、今日も行ってきました。(笑)

    今日も「ゲキブル」がいい働きをしてくれました。この厳寒期に2匹のアメマスを釣ることが出来ましたよ。(2匹バラシ)

    フックの糸がらみも気にせず、快適に楽しめましたよ。

    • αトラウト より:

      はしどいさん>お疲れさまです。
      実は僕もさきほど釣りに行ってきました。リンパ腺の腫れは抗生物質でなおりましたが、釣りの病は釣りでしか癒せないようです。

      おおゲキブルが良い働きを!
      この時期にアメマス2匹はナイスすぎます。(僕は見事にボケましたw)
      フックの糸がらみ軽減したんですね、僕もさっそく試してみます!

      • はしどい より:

        αトラウトさん、こんばんは。

        お知らせする程の事でもないですが、写真付けてメールしときますね(笑)