紋別観光に行きつつファミリーフィッシングの様子見

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北海道釣行記

ゴールデンウィーク、みなさまはいかがお過ごしでしょうか?

わたくしαトラウトという貧困労働者といえど、やはりゴールデンウィークというものがあります。

というわけで珍しく遠出をし、紋別にまで行ってきました。

基本は妻と一緒に小旅行というのが目当てで、うちの妻は体が弱いのであまり遠出ができません。

で、僕のほうもあまり遠出が好きでもないので、紋別まで行くということはものすごい珍しいのですが、日帰りでちょっと行ってみようということになりました。

で、釣りをしようかと思ったんですけれど、まぁ妻を待たせるのも可愛そうですからね、以前にいった紋別の釣り場の様子をちょっと見に行こうってことになったのです。

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紋別に到着してまずはカマボコを食べた

 

紋別に到着してまず僕がしたことは、昼食を食べる。

もうこれしかありません。

紋別にやってきたのは昨年以来です。

紋別といえばカニで有名なのですが、僕にっとってはカニよりも求めてやまないものがあります。

それはカマボコ。

北海道には2つの巨大カマボコブランドがあります。

まずは東のカマ栄。小樽発で絶大な人気を誇り、パンロールは多くの中毒者を生み出している。

そして東の出塚水産。あげたてカマボコが人気であり、新鮮な海産物を使った豊富なメニューがひきでものでも人気。とくにカニとホタテは売れまくっている。

道民の方々にしてもカマ栄か、それとも出塚水産の二つのうちどちらが好きかで悩むでしょう。

中毒者を生み出しまくるカマ栄禁断のパンロールか

それとも揚げたてジューシーな出塚水産のカニマヨか

どちらか選ぶか悩んだ結果、重度の精神疾患をわずらう可能性大。

優柔不断なA型の人など、空腹とストレスで胃に穴が開いてしまうかもしれません。

海沿いにそびえ建つ練り物の巨塔。

これこそ、紋別出塚水産の本拠地である。

この日はゴールデンウィークということもあり店内は大混雑。

あれよあれよという間にカマボコが売れていく。

まずい、このままでは僕らの食べるカマボコがなくなってしまう。

そこで、ともかく速攻でカマボをチョイス。

妻「どどどどうしよう、何たべればいいんだろう」

僕「しっかりしろ!迷うな、迷えば死ぬぞ!

といった具合で、観光客たちが付きだすトングの群れをよけつつ、カマボを手に入れていく。

しかし、台湾からやってきたであろうオバサンのトングが僕の脇腹をつく。まずい。これは動けない。

妻「どどどどうしたの?え?なにしてるの?」

僕「いけぇ・・・僕をおいて、先にレジにいけぇえ!!

台湾からの刺客、ユー・シャオメイ(想像)とのトング合戦の間、妻に先にレジへいかせる僕。その結果、シャオメイのダブルトングアタックを自らの体で止め、その両腕を掴み笑顔のまま自爆。

したわけもなく、ともかく混雑した店内でカマボコをゲットしてようやく食べるまで20分。長かった、ともかく長い。

壮絶な死闘のすえ手に入れたのがこちら、揚げたてのカマ栄のかまぼこ。

末端価格にして時価1億をくだらないオホーツクが生んだ究極の違法薬物です。

ちなみに、爆破四散した僕は出塚水産2階にあるカマボコ工場にて再形成され、ふたたびカマボコを食べれる体になりました。ありがとう出塚水産。

 

ちなみに、本当は別の場所でお昼を食べようと思ってたんですけど、カマボコだけで完璧におなかがいっぱいになってしまいまいた。

 

ファミリーフィッシングで溢れるガリンコ号付近へ

お昼を食べ終えたあと、しばらく辺りの市場などをみながら観光。

その後、ガリンコ号辺りを見物。

このあたりは、昔良く海釣りをしていた場所。

ニシンを釣ったり、サケを釣ったり、根魚釣ったり、カレイ釣ったり

とくにニシン釣りは良く覚えている。

投げサビキなる豪快な釣り方を初体験し、さらにはサビキの後ろにメタルジグをつけてシャクリまくってホッケも釣るという荒業をはじめてやった。

そして、今日もガリンコ号近くには沢山の車が。

これはもしや、ニシン釣りの殺伐とした場所取り合戦が繰り広げられているのだろうか?

と、思いつつ見学に行ってみると、並んでいる車はすべてファミリーフィッシング。

そういえばゴールデンウィークのこの時期、紋別にはまだニシンが来ていない。

見ると、全員投げ釣りをしているようで、防波堤から海に向かってずらりと竿が並んでいる。

で、その後ろではアウトドアチェアに座ったパパとママ、その周囲ではしゃぐ子供。犬をつれてきて散歩している人。なんとも和やかで、ここが本当に同じ釣り場なのかと疑うほどだ。

 

僕にとって、この場所は常に殺気立った空気があった。

 

ニシン釣りの時に訪れていたころは、眠い目をこすって竿を準備し、群れが来たと同時に遠投&シャクリまくり。40㎝クラスのニシンが5匹も乗るとあまりの重さに、最終的にロッドがへし折れるまで続けた。

コマイ釣りの時には忙しさのあまり、投げては回収の連続でのんびりしている暇なんかない。サケ釣りも同様で、とにかく忙しいし、場所取り合戦がひどいせいでもめ事が起きるのも見てきた。

ナイトロックではハンターのように防波堤をギラギラした目で歩き回り、ここぞというポイントを打ちまくる。足がかなり痛くなるし、眠気もひどい。で、たいてい翌朝は死んだような顔をしていた。

それから現在。

去年からはじめたトラウトフィッシングで渓流を歩き回る孤独な釣りを続けている僕にとって、釣りというのは、はじめっからどこか殺伐としていたし、それが癒しでもある。

それが防波堤に並んだピクリとも動かない投げ竿の群れと、そのうしろでくつろぐ人たちの様子は新鮮だった。この場所がこういう状態になる姿をはじめてみたのだ。

正確には、新鮮というのは誤りで、思い出したというのが正しい。

思い返せば、僕が子供の頃に親に連れていかれた釣りというのは大抵こんなもんだった。

父も母もそこまで釣りが好きなわけではなかったけれど、休みの日に何回か釣りに連れていってもらったことがある。

そういうとき、海辺にボロボロのハイエースで乗り付け、もってきたバーベキューセットと釣り竿をセットして、魚が釣れるか待ちながら姉と一緒に肉を焼いていた。

でも、竿先の動きに興味があったのは僕位なもので、父と母、それと姉は焼肉のほうに夢中だったし、母親はつねにビールを飲んでいた。

もちろん、そんな適当な釣りで魚が釣れることのほうがまれだ。

たまに小さなカレイやらフグやらが掛かってくる程度。僕は子供の頃内地にも住んでいたのだけれど、そのときには砂浜でキスが何匹か釣れた程度だ。

なんせ、ファミリーフィッシングはそもそも魚を釣るためのものじゃない。

何をしているのかというと、時間と、海、それと青い空を見ながら、野外で家族の団らんを楽しんでいるわけで、魚は二の次。釣り竿自体、本来の役割なんて果たしていない。会話をせずとも、同じ目的で時を過ごすための道具になっている。そりゃ釣れるわけがない。

ポイントもそうだ。

家族で入れるような場所は限られているし、本当に釣れる場所に行けることはない。

でも、釣りをしていれば、別に時間は過ぎていく。だから、餌取にあって針に餌なんかついていなくても、誰も気にしない。釣りのことだけじゃない、日常というものを気にしなくなるのだ。

事実、ガリンコ号近くに並んだ投げ竿は、僕が見ている間一度たりとも竿先が動いた様子すらなかったし、誰も餌がついているかすら確認していなかった。

周囲には子供たちははしゃいでいたし、親たちはぼんやりと海を見ながら、たまに笑って話している。やはり、竿のことなんて気にしていない。

釣り場にいき、開いている場所に車を止める。

隣でノベ竿をたらしているおじいちゃんがいたので話しかけてみる。

こういうとき、引っ込み思案な僕はなぜかよく人と話すようになる。

「何釣れるんですか?」

「いや、なんにも釣れてないよ」

と、笑うおじいさんのすぐ隣で50代くらいの夫婦と子供がおなじように竿を垂らしていた。つまり、おじいちゃんと一緒に家族で釣りにきたということだ。

「ガヤならいるよ、この下に」

そういわれ、ボロボロのノベ竿の下をみると、たしかに小さなガヤがたくさん浮いている。

「これ釣れそうですね」

「いやいや、そう甘くないんだわ、こいつらさっきっから一匹も釣れないよ」

そうなのか?

いやいやそんなばかな

疑った僕は妻がトイレにいくというので、その間だけ釣りをすることにした。

タックルは車に積んであるトラウト用のもので、ワームも餌もない。

というわけで、ゲキブル7gをセット。

本来海用のルアーであるゲキブルならいけるんじゃないか?という甘い期待のもと足元にゲキブルを着水させる。

が、その瞬間にガヤの群れは一斉に散っていった。

「こいつら餌だけ待ってるんだよ、頭いいわ」

おじいちゃんが笑う。その隣で夫婦も笑っている。

おのれぇガヤめぇ!と必死に竿を動かしてみるが、さっき散ったガヤはでてこない。

どうやらルアーが危ないものだとわかっているようだ。

そこで少し沖のほうにキャストし、着底させてからガヤが戻ってくるのを待つ。

しばらくして、また足元に小さなガヤの群れがやってくるのを見計らい、ルアーを寄せていくと、とてつもなく小さいガヤがゲキブルに食いついた。

おおおしきたこれ!

とフッキングを確認。のった!のったぞおお!!

と、ガヤ一匹ではしゃぎながら防波堤の上に抜き上げようとした瞬間、ガヤはルアーから外れ落下、また海の中へと帰っていった。

 

それから僕は一匹も釣れることがなかった。

もちろんおじいちゃんも釣れないし、その家族もつれてはいない。

そこでついに妻がトイレから帰ってくる。

僕は竿をかたずけ、車に乗り込み、改めて周囲を見渡すが、やはり、誰も釣れていない。

で、よく考えてみる。

普通、ここで帰るなんてありえない。

だってそうだろう?本来、ガヤ相手に手こずったあげく、早々に撤収することになるなら、とにかく悔しくてたまらない。なんとがゴネて、もう3投といって10投するのが釣り人だ。

けど、車に乗り発進っさせる時には、なぜか妙に満足していた。

なぜかはよくわからない。

もしかしたら、防波堤で糸をたらして、ガヤを釣るのに失敗したことで、子供のころを思い出したのかもしれない。

いや、たぶん違う。

駐車場をあとにしようとしたとき、僕が竿をかたずけようとしたのを見て、さっきのおじいちゃんと家族が荷物を車に詰め込みはじめた。

釣れないので撤収することにしたのだろう。おじいちゃんが「釣れねぇわ」と笑い、それに息子さんは何も言わず、ただ笑ったのを覚えてる。きっと、それが原因だ。

 

釣れなくても良い釣り。

そんな平和で理想的な釣りは滅多にない。

 

なにせ、僕らはいつも魚を釣りたいという欲求に駆られて釣り場にいく。お金が欲しいから仕事をしにいくのと同じだ。

そこで一匹も釣れないものなら、満足するほうがおかしい。

僕の場合だと、その場で転げまわって喘ぎ泣きたい衝動に駆られるし、だから次の日も釣りにいく。釣れるようにルアーを改造し、なけなしの金をはたいてルアーを買う。だから釣れなくて良い日なんてめったにない。いや、ほぼ皆無と言って良い。実際のところ、釣れなくても満足という人間の大半は、発狂しそうな自分に言い聞かせている独り言だと思っている。

だから、釣れなくて良い釣りは幻みたいなものだ。

それは案外家族もおなじだと思う。

家族が常に平和である理想的な時間なんて、幻に近いものだ。

インスタを見すぎた人間はこの世の中、幸せそうな親子であふれていると思い込んでいるだろうが、現実はそうじゃない。

あのおじいちゃんと息子さんも、いつだって笑いあっている関係なんかじゃないだろう。父と子なんて、そうそう仲良しなんてことはないし、もしかしたら老人ホームの問題で揉めてるかもしれない。

なら、釣れなくても誰一人文句もいわず、大した会話もなく、釣れないという言葉だけで笑顔になったのはなぜか?

それは満足感でもないし、充実感とも違うはずだ。

なぜならきっと、あそこにいた全員は、ただ手放そうとしていたからだ。

日々のしがらみややっかいごと、どうにもならならないトラブル。それを捨てるためだけにやってきた。家族の間になにがあろうか、この時だけはただ平穏を感じたかったはず。だから魚が釣れようが、釣れなかろうが、最後は笑って終わるのだ。

さるるの港へ

ファミリーフィッシングの空気にいやされたあと、買えりに土産物やらを買ってさるる港へ行ってきた。

ここは釣り人は皆無に近く、防波堤の先端に投げ釣りをしている人がいたけれど、さきほどの和やかな空気などない。しかめっつらのまま、何の反応もない海を睨んでいた。

あれが僕のやっているほうの釣り。

だから、哀れむことだけはよしたい。

なんせ、僕らは釣り人はどうせ似た者同士だし、夢中なものがあるだけ、まだましって程度だ。釣りをしない人間からなら、存分に憐れまれたい。

そして結局、そういう人間は釣りに夢中になったら最後、どこに行こうが竿を出したくなる。

というわけで、このサルルの港でも少し竿を出してみたい感情にかられたが、妻と一緒に記念撮影をするのに専念した。もちろん釣りはしたいが、ここで竿を出してもファミリーフィッシングにならない、完全によく丸出しの釣り人でしかない。それに、この世には、釣りよりも大切なことが案外存在することを、釣り人は良く忘れる。

港で記念撮影していると、妻はとても喜んでいた。

久しぶりの遠出に、思い出を残すための写真を撮影できたことがうれしかったのだと思う。

かくいう僕は頭の中が「釣り釣り釣り釣り釣り」だけで埋まっている。性欲か釣りかといたら釣りのほうが圧勝している、つまり、変態だ。

 

そんな状況でも、妻が喜んでいるのを見ると安心する。

しかし、それでも次に紋別に来るときには必ずニシンを大漁におさめてやろうと考えながら帰りの車を運転していた僕は、もうどうしようもない哀れな釣り人だった。

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