2日目 11:30分 ネオ・テシオ
天塩川。
延長256㎞。北海道では2番目に長い河川。
北海道遺産にしてされている有数の大河であり、本来はカヌーで有名だ。
天塩川の由来は、北海道の探検家として有名な蝦夷地御用雇、松浦武四郎が天塩川流域を探検した「天塩日誌」にある。
「本名テシウシなるを何時よりかテシホと語る也。テシは梁の事ウシは有との意なり。此川底は平磐の地多く、其岩筋通りて梁柵を結し如く、故に号しと」
このアラスカの奥地に伝わる伝説の剣のありかみたいな言葉だが、実際のところ、テシウとは、アイヌ語でいうところのテシ、つまり梁を指す言葉だ。
天塩川では張り出した巨大な岩が大量にあることからその名がつけられたという。当時、川の中に多量にあった巨大な岩は、運河として利用するために取り除かれているが、確かに、天塩川の中は平らな岩盤地帯が多く、その中を岩筋が柵のようになっている。らしい。
なお、この探検の最中に松浦武四郎は天塩川流域の音威子府村で、当時のアイヌ族の長から北海道という名前を聞いたと書かれていた。
ということは、この北海道の名前は、天塩川流域から生まれたことになる。
だが、そんな実感はまるでない。
そもそも、こんな人間聞いたこともない。
松浦武四郎?浦島太郎なら知ってる。それに多分きっと似たようなものだろう。
なぜこうまで冷たい反応しかできないのかというと、このことをグーグル検索で知ったからだ。僕の検索クリエと大量のユーザーデーターから導き出された検索上位から3つ目の結果。どうせまたアップデートがあれば順位が変動するような言葉に、ロマンを感じるほうがどうかしてる。
そんな風情とは縁遠い僕でも、確かにというか、天塩川流域には北海道の原始的な風景が残り続けている気もしないでもない。
日本最北端の一級河川。
北海道でも屈指の川幅を誇り、魚種は豊富。
だが、魚影は濃いともいえないだろう。この広大な川のどのポイントを攻めるのか悩んでいるアングラーが多い。
で、大抵の人間は天塩川支流にやってくる。
それが不思議と魚も同じで、この大河では大半が支流に魚が集まってくる。
きっと、餌をとるのもあの大河では辛いのだろう。平日の仕事に疲れて向かう、路地の裏の喫茶店みたいな感覚できているかもしれない。いや、それは魚にとってのこと。釣り人のほうは、まるで社会の厳さに押し出され働くことになったパチンコ屋の店員みたいな目で。
そんな敬遠されがちが本流といえば、釣りよりもカヌーの人間のほうが多いかもしれない。
そういえば、先日も川でカヌーをしているやつらを見た。
キラキラした笑顔で高級カヌーをガイド付きで川をくだりながらアイフォンで自撮りをしている男女。その川岸で、今日も釣れないと安竿をふっている僕。想像してくれ。その姿を、彼らは風景の一部のように見ているかもしれない。だけど僕のほうはというと、偏向グラスごしでもまぶしくて見ていられず、顔をそむけ、やっぱり支流のほうがよかったと車に戻りたくなる。これが、美しい自然の川べりに映える格差というやつだ。
それを我慢して、釣りをするのはなぜか?
考える間もなく、僕は先日の出来事を思い返してため息がもれる。だめだ。思い出すのはやめろ。
「ちょっと、お昼ご飯何にするの!?」
妻の呼び声に驚いてノートパソコンから顔をあげると、すでに昼の12時近くになっている。
「ちょっとまって、もうすぐ終わるから」
慌てて画面を開き、作業の程度を確認するが、案の定まったく進んでいない。知り合いの事務所から頼まれ、すでに納期が迫った工程を見るが、あと少し。なのに、どうにも続ける気にはならず、やっぱり画面を閉じた。
あの日、天塩川の支流にあたる川の中に引きりこまれた時のことを今でも思い返す。
階段を下りているこの瞬間もそうだ。一段おりていくたびに、あの水の底へと進んでいく気がするが、それにも対応策はある。
つまり、なんとか夢だと思いこむことにした。それだけだ。
だからあの場所に釣りにもいっていない。
幸いというか、今年の道北は雪解けが遅く、雨と溶けた雪がまじった濁流の河川に行く理由もいまのところない。
それでも、やはり気になってこうして天塩川について調べてしまうのは止められない。あの川底の第二の天塩川の風景と、そこで聞いた言葉。しゃべるニジマス。こうして目を閉じれば、まだあの螺旋の光がゆっくりと瞼の裏をコーヒーのミルクみたいに回ってる。
だが、きっと現実じゃない。
食卓についた僕はしっかりと目を開き、食卓と、妻が作ってくれた昼食に手を伸ばす。
そうだとも、きっと、僕は異世界ものの主人公になった気になっていたのだ。
異世界もののストーリーはよく知っている。
僕だって小説が好きだし、その手の話もよく読む。例えばカクヨムとかで。とりあえず実名を出すけど気にしないでほしい、訴えられたら裁判で話をつけるつもりだ。
言論の自由についてここに話すつもりはないけど、ともかく、あんなものが現実になったとして。いや、現実じゃない。夢だとしても、あれはありえない。
ほかの主人公はニートでブサイクだったのが異世界で大金持ちのモテまくり。もしくは王族の末裔がお決まりだ。
ついでにかわいいヒロインと頼れる仲間。
それからロマンあふれる剣と魔法の世界がまっている。
そういうものだろ?
この手の話の場合、はじまりは決まってマジでヤバイみたいな書き方で、不幸な人生を送っていたとかいいつも大したことはなくて、結局ああやばいここ異世界じゃんどうしよーとか言っているが、誰が読んだってまぁ最後はハッピーエンドが待つ流れだ。みんなも知ってて読んでるだろ?
つまり、困ったふりさえしていればいい。
そのはずじゃないか。
どんな異世界にいこうが、たいていは乗りきれる。それどころか、何の努力も葛藤もなくチート無双で万々歳。戦国自衛隊から脈絡と続く”価値基準の高い空間でなんの苦労もなく無双”てのがこの手のストーリーだっていうのに。なのに、ふざけたことに僕のはどうだ?ガチでやばいだろ?なんでだ?なんで僕だけがあんな気色の悪い世界なんだ。
考えすぎたせいで、握ったフォークに力が入りる。右の眉毛がけいれんしている気がするけれど、自分をだますことができない。
もし、あの砂防堤で引きずり込まれた世界が本物だったとしたら。
そんなことは考えたくもないけれど、もしそうなら、先は決まっている。異世界は異世界でも、あのクトゥルフ神話のように。
ちなみに、僕はラブクラフト全集ですべての話を読んでいるので予想は楽勝。知らない人に教えておくけど、ここから先、まっているのは地獄だけだ。例えば古の恐ろしいタコに操られた魚人だらけの天塩川で僕自身が彼らになる。それか宇宙からピロピロと笛を吹くだけが取り柄とかいう、ふざけたヨーグルトみたいな触手だらけの神がやってきて町を破壊。で、何をされるかといえば、そいつをみるだけで死ぬ。見るだけだ。マジでそういうことになる。
こうなれば、いくら異世界ものとはいえオリジナリティとかどうとか言っている場合じゃない。
いや、はっきりいおう。
そんなものは二の次でいい。
何が独創性だ。僕の人生というストーリにはそんなものいらない。小説の中ならいいが、リアルに考えてみてくれ。そんなもの必要か?このさい個性なんて死ぬべきで、僕だってほかと同じように、異世界で美しい世界と見知らぬ貿易で経済を動かしたりパッとしたことをしたいんだ。それでハッピーだろ?もしもこの夢に読者がいたとしたら、僕も、みんなハッピーなはずじゃないか。いやだ、魚人だらけの異世界なんて絶対にいやだ。
瞬きもせずにパスタをすすったあと、妻が最近はまっているクックパッドで最新というサンマのパクチーサラダにフォークを伸ばそうとする。が、驚くほど苦くつい口走ってしまった。
「あのさ・・・これって本当に流行ってるの?」
僕がためらったサンマのサラダを美味そう食べつつ、妻は不思議そうな顔をする。
「そうよ、みんな作ってるしツクレポだってすごい多いのよ?」
「ああ、そうなんだ」
「なに?文句あるの?」
「いや、ないようん、ないない」
といいながら、新鮮なレタスの間にうもれたサンマの頭部と目が合い、先日であった二息歩行のニジマスを思い出し眩暈がした。
だが、妻の鋭い視線を感じ、僕はしぶしぶサンマのサラダを食べることにする。すまないと思いながらも、サンマの頭と目をあわせないよう、額の部分をフォークで押し、春の天塩川のごとく濁る内臓とオリーブオイルのドレッシングの底へと沈める。
やはり、個性なんてクソだ。
天塩川の呼び声
クックパッドで2000レポを超えたというサンマサラダを食べ終えたあと、思った通りというか、ともかくトイレから出られなくなり、そのレポの数字をミリリットルに変えただけの排泄に必死だった。
ひどい下痢だ。
腹痛と、洗濯機の排水ホースから出っぱなしの水みたいな便意に悩まされる。これが水道料金だったら幾らになるのか考えつつ、僕は震える手でスマホを握り、クックパッドを開いて調べる。確かに、本当に2000を超えている。それどころか書籍にまで掲載されているという。
キャッチフレーズは「美味しくて最高のインスタ映え!」だそうだが、笑うよりも先に僕の腹部に亀裂が入ったような痛みが襲い、それどころじゃなかった。
ソーシャルネットワーキング全盛期。民家もまばら、新鮮な空気があるこの美しき道北のド田舎であろうとも、クックパッドでおいしい料理のレシピを知れるのは良い。けれど、こんな料理がネットで流行っているなんて、ネットはいつから生ごみの入れ物になったんだと思ったが、それは昔からのような気もする。
ページの下側ではインスタ映えが凄いというフォロアー達の声が並んでいる。だから、今僕がこの場で排泄作業をインスタに上げてやりたい気持ちになる。だが、そんな皮肉もここまでが限界だ。僕はすぐさまひびわれたiPhoneを取り出し、震える手で便器に落とさぬようSIRIを起動した。
「げ…下痢…止め方…サンマ……」
「スイマセン、ヨクキコエマセンデシタ」
「だから・・・下痢!止め方!サンマ!」
アイフォンに向かって叫びながら思うのは、いつから僕はこんなに情けなくなったのか、という疑問。さすがにAIには応えられないだろうし、聞くのはやめておく。
そんなことを考えているのは、僕が弱気だから?
いや違う、ただ腹が痛いからだ。いつだって人は苦痛と恐怖の前では従順に、常に事実を知るようにできてるんだ。
「オサガシノケンサクケッカはコチラデスカ?」
ああ、ついにでてきた。
いまの時代、ネットを見ればこの奇怪な下痢の正体だって簡単に見つかるのだ。みてろ?これで僕も無事個室から脱出だ。
で、表示されたwebの検索結果は次の通りである。
ここから15キロ離れた場所にある地元唯一のツルハドラッグのグーグルマップ
それと、インスタ映え抜群というクックパッドのサンマ・サラダのレシピ。
最後に表示されたのは「下痢にサンマが効くかも?」という記事のタイトル。いつからAIはこんな皮肉を覚えたんだ。
「・・・・いや、わかったよ・・・」
この個室の中で、アシスタントAIにすら頼れない。なら、諦めるしかない。苦痛と自らの呻き声と一緒にミキサーに突っ込まれたように、便器の間で体をよじらせる。見事脱出失敗。こんなはずじゃなかった。
そう、僕はこんなはずじゃなかったのだ。
というのは、何もサンマ・サラダを食べて悶えている僕の姿を指して言っているわけではない。
こんなトイレの中で自分語りをする羽目にもなるとは思っていなかったが、しょうがない、この苦痛から逃れるためにも、別のことを考えなくちゃならない。ほら、個性がなんだよ。普通のほうが良いだろ?
僕がいるこの個室の板張りの壁を支柱にした築60年の建物。耐震工事検査をしたら廃屋にされそうなボロ屋に住みはじめたのは、今から3年以上前のことだ。
僕のうめき声すら閉じ込めているか怪しいこの家の値段は、なんとわずか50万円。驚きだろう?このあたりの土地には、こんな空き家がゴロゴロしているんだ。
だが、別に安いからという理由でこの土地にきたわけではない。
ほかの移民者のように自然に憧れていたりとか、農作業に従事したくてとか、そういう意識の高さなどまるでないし、僕はもともとインドア派。もちろん、トイレ以外の場所でだ。
それにもともと、僕は北海道の出身ではない。
生まれたのは長野県。それから一時的に北海道にいたのだが、それから東京で就職することになった。
コメント
面白い。才能ありますね。
妻がサンマのパクチーサラダをつくってくれる幸せ。
QDAさん>ありがとうございます!
パクチーサラダ作ってくれるだけ主人公ましですねw
色々誤字とか直したり改編したりしつつ最終的に完成を目指してがんばります!