魚のリリース方法の正解は?僕の優しさは贖罪

超コラム

今回は釣った魚のリリース方法に関する記事です。

キャッチ&リリースをはじめてやったのは子供の頃。

当時ルアーフィッシングは第二次ブームの待った中であり「釣った魚はリリースすること」を当たり前のように学んだのが僕や、同じような世代のアングラーの方でしょう。

そんな皆様は釣りキチ三平よりもグランダー武蔵派が多いはず。

というわけで、スケルトンGを投げたら絶対水面が割れると思い込み投げ続けたものの、結局割れたのは石に当たったスケルトンだったαトラウトです。ギョロッチ。

失ったスケルトンGは悲しいですが、悪い記憶ばかりではありません。

あの当時、ルアーフィッシングの用語が色々と登場してきて、とにかくカッコよくて真似したのを思い出します。

ルアーフィッシングをやる釣り人のことを「アングラー」と呼んだのあの頃。カッコイイですよねアングラー。もう横文字の役職名が幼少期についているんですよ?テクニカルアドバイザーとかファインナンシャルプランナーみたいな二つ名が付いているようなもんですよ。ヤバすぎですよ。

だから僕なんて子供の頃は「いいか、僕は今日からアングラーなんだ!」と周囲に叫びまくってましたが、そもそもアングラーの意味が、釣りを趣味にしている人のことを指すとはしらずに、「ジムがアングラーって言ってからアングラー」ぐらいに思ってましたよ(ジムとはグランダー武蔵に登場するミラクルジム:村田基のこと)

で、もう一つアングラーと同じく好きだったのが「キャッチ&リリース」です。

語感もすごくいいし、なにより他の横文字釣り用語とは違って、自然を大切にするっていう気持ちがこもっていたから。ただ魚を取るのではなく、釣りをさせてもらっている気持ちになったのも、この言葉が思います。

だから、僕にとってのキャッチ&リリースは、魚に優しくすることと同意。

あの時はそれに何の疑いも持たずに釣りをしていた、本当に釣りが好きな少年アングラーでした。

しかし残念ながら、今ではもう、ただ純粋に釣りをできるようなキラキラした目をしているわけではありません。

新たな渓流でリリース方法について考える

キャッチ&リリースについて疑いを持ちはじめたのは何時からなのか?

考えてみましたが、それは丁度、渓流でのルアーフィッシングをはじめてからです。

昔はなんの疑いも持たなかったし、ロックをやっている時もそう。

なのに渓流で山を歩き、川に足をつけるようになってからというもの、どこかで何かが狂ったような気がしますが、それは僕のせいだけではないです。

渓流での釣りは、いつも心がむき出しになるような気がする。

妙に辛気臭くなるというか。

いや、というよりも、嘘がつけなくなる。自分自身に。だから今回も正直に記事を書くしかありません。

河川の新規開拓の乗り出したのは、夏の水量の低下のせいでした。

僕が良く行く川が水位があまりに下がりすぎたのと、ウグイが大量にやってきたこともあり、そろそろ別の川で釣りをしようと新しい川へ。

到着すると、水位こそ低いものの中々良い川です。

良い感じに深い部分もあるし、木陰も十分。

水温もそれほどなさそうだし、上流部にいけばさらに良い場所があるかもしれません。

魚は主にヤマメが中心。

スプーンを投げると、それなりに反応もあり20㎝前後のヤマメがいることがわかりました。

コンディションはかなり良いというか、お腹もうパンパン。

ルアーを追ってくる速度もかなり早く、夏バテはさほど見られません。しかも元気。

フックを外して撮影ご、すぐにリリース。山女魚はすぐさまもう脱出で流心に向かい、もといた位置に戻っていきました。

この川のヤマメはかなり元気が良い。

しかも殆ど人が這っている雰囲気がないのか、釣り歩いていると、すぐそこでエゾシカが水を飲んでいる姿を発見。僕に気が付きすぐに逃げていきました。

エゾシカが川で水を飲むということは、先行者はいなそう。

というわけで、しばらくルアーを投げながら上流部へと向かいました。

この川で釣りをしているお爺さんに出会う

スプーンを投げながら歩くこと10分。

目の前に多きめの渕が姿を現しはじめました。

初めて見る絶好のポイントは、いつも胸が高鳴る。

もしかしたら大物がいるかもしれないと、警戒しつつ近づいていく。

すると、渕に座る人影が。

先行者かと一瞬思いましたが、さっきはエゾシカが水を飲んでいたし、入渓できそうなポイントは僕が入った場所しかない。ヤマメも普通に沢山でてくる。ということは上流部から入ってきたのか?

近づいてみると、かなり年齢のいったおじいさん。

年季の入ったのべ竿に仕掛けを付けている所でした。

「おはようございます」

声をかけると、ようやくぼくに気が付いたのか、お爺さんが僕を見る。

「いやいや、仕掛けやっちゃたよ、こんなのはじめてだ」

と言いながら、照れ隠しの苦笑いをしながら古いのべ竿に天糸を付けていきます。

雰囲気からしてかなりのベテラン。しかも川に詳しそうだと思い、しばらく話を続けました。

「仕掛けどうしたんですか?」

「いやぁ、そこの藪で切れちまったのさ、年はいやだわ」

かなり柔和な感じな人。険しさなどは殆どなく、釣り人にしては珍しいお爺さんだと思いました。

「上から降りてきたんですか?大変ですよねここ」

「いやぁ、そんなことできねぇよ、後ろの藪こいできたんだ。いつもここで釣りしてるから自転車できてる」

どうやら、川の後ろにある藪を超えきたとか、しかも自転車で。

「藪漕ぎですか、それは大変ですね」

「なんも、いつも通ってるからもう草も生えてねぇよ、でも仕掛けやったのははじめてだな」

そういって口でラインを切り、天糸に結び付ける。銀鱗だ。

「兄ちゃんどこから来たね?」

「隣の市からですよ、新しい川探しにきたんですけど」

「そうかい、ここはヤマメかウグイで、今はウグイばっかりだ。ほら、この渕もウグイばっかりいるわ」

そう言われて渕を眺めると、澄んだ水をためた岩盤の上には、確かにウグイの背中が。

「そうなんですか、ヤマメなら小さいの釣れてるんですけど」

「上流のほうにいけば、もっとでかいのいるわ、こんなの。かなりでかいわ」

そういってお爺さんが作った手の幅はおよそ50㎝。

釣り人換算は大抵20㎝オーバーなので、おそらく尺ヤマメ。

そんな上流に良いヤマメがいると聞けば、この川はやはり当たり。

「おめぇさんルアーでやってんのか」

「そうです、最近餌もはじめたんですけどね」

「そうか、餌のほうが釣れるからな、それにヤマメも死なねぇし」

「死なない?」

「逃がしたヤマメはな、半分は死んじまうのさ、この川で仲間でルアーしにやってくる人もいるんだけども、そのあといつも死んだヤマメが増えるわ」

「リリースすると、そんなに死んじゃうんですか」

「詳しくはわからねぇけども、確かに増えるわ。素手で触ったり、陸に上げすぎたりして死ぬやつもいるしな」

「そうなんですか」

「だから針掛けるんだったら、食ってやったほうがヤマメのためだぁ」

そういってお爺さんは立ち上がり、いつの間にか仕掛けはできていたみたいで、餌のミミズを針先につけはじめました。

僕はそこで渕をあとにし、下流へと下りつつ、ルアーを投げながら、先の言葉を思い出す。

“リリースしたヤマメが死んでいる”

”食ってやったほうがいい”

”ヤマメのため”

僕は一度に1つのことしかできません。

だから、考えながら釣りをしていると、どうにもうまくいかないし、大抵フッキングをミスします。

それが、この日はそうでもない。

キャストしてしばらく、ピックアップ寸前のスプーンにヤマメが食いつきました。

チェイスすら見ていない。急に竿先が重くなったと思ったら、ルアーが魚に変わっていたような感覚です。

ネットに入れて、ルアーを外す。

掛かったのは上あごの目の下。

普段なら、そのまま写真をとるか、もしくはすぐにリリースしてしまうはずが、

この時は傷口を観察。血は出ていないけど、もしかしてリリースしたら死ぬのかと思うと、やはり持ち帰って食べたほうが良いような気がする。

けれど、やはり川へとヤマメを返します。

ネットから抜け出たヤマメは一目散に逃げ出し、水の中へと消えていく。

普段なら、川に戻った山女魚を探すことはありませんでしたが、その時ばかりは、消えたヤマメをしばらく見つめ、白い腹を浮かせて流れはじめないか心配で仕方がありませんでした。

出来る限り傷をつけないリリース方法は

釣ったヤマメが泳ぐ川をくだったあと、僕はリリースについて考えざるを得ませんでした。

僕はヤマメに限らず、釣った渓魚は大抵リリースします。

でも、お爺さんが言っていた通り、確かにリリースしたヤマメは、そのあと死ぬ可能性が高い。それもリリースの仕方が悪ければ悪いほど死んでいく。

できれば考えたくないことですが、水の中で死んだヤマメの妄想が頭から離れません。

ただ、それはお爺さんのせいではないです。

餌釣りのお爺さんはきっとこの川を長くは見ていますし、ホントウにヤマメが死んでいる姿を沢山見ていたかもしれません。

しかし、結局は僕も汚い大人の一人。

あのお爺さんが言っていたことが、全て事実だと確認できたわけじゃありません。

それに、餌釣りをしているお爺さんは、大抵ルアーを投げるアングラーが好きじゃないもの。そんな感情が、僕に餌釣りをすすめる口実として働いたかもしれません。

ですが、やっぱり自分に嘘はつけません。

お爺さんの言葉が頭から離れないのは、僕自身が疑問に思ってきたことを、直接この耳で聞いたから。それがお爺さんじゃなく、その前に水を飲んでいたエゾシカが言ったとしても同じだったでしょう。

リリース後の魚の生存率について

釣りを終えて帰宅後、仕事をしている最中もリリース後の魚がどうなっているか気になっていました。

もちろん、リリース方法についても考えていたのですが、それよりも先に魚の生存率が気になる。

そこで昼食を終えたあと、タブレットでリリース後の魚の生存率について調べ手見た結果、次の論文があることを知りました。

『実験池においてキャッチアンドリリースされたイワナ,ヤマメの生残と成長』

栃木県水産試験場研究報告(2005年発刊)

研究目的:水産資源活用のためのキャッチ&リリースの有用性について

(参照元:実験池においてキャッチアンドリリースされたイワナ,ヤマメの生残と成長)

この論文はすでに幾つかのブログにも取り上げられていたので見つけやすかったのですが、キャッチ&リリースにおける死亡率についてかなり細かく研究されていました。

気になる人は上記リンクからデータを参照してもらいたいのですが、そうでは無いかたのために、その内容をかいつまんで説明します。

針によるヤマメ・イワナの生存率は85%以上

研究結果の結論からいえば、針をフッキングさせた場合の生存率の総数は80パーセント以上となっていました。

これは僕が思っていたよりもかなり高いです。

針を口に掛けるというのは、ルアーフィッシングでは普通のことですが、これにより死亡する可能性はおよそ15%。

この実験では餌釣りとフライでしか試されてはいませんでしたが、実験結果にはどちらも違いが無かったとのことなので、ルアーでもほぼ同じ結果になると考えられます。

しかし、リリースしたあとの15%は14日以内に死亡。

実験は試験場のプールで行われたものであり、実際の渓流とは環境も違うでしょうが、やはり全ての魚がリリース後に生きているわけではないことは覚えておくべきでしょう。

なお、同じような研究結果はニジマスでも報告されているので、生存率も似たようなものになるかと考えられます。

バーブレスによる細菌感染の死亡率は4.5%

実験中に死亡した30個体のうち、7体が口ぐされと呼ばれる症状による死亡だと確認されました。

口ぐされの症状は、エリアトラウトなどで時折見かける症状。

もともと保有していた最近が口の傷から感染し、口の周囲に白い部位ができ死亡するものです。

研究によると、口ぐされの原因となったのは針のバーブレスであるとのこと。

返しが大きく、魚から抜く時に傷口を広げるような針は、魚の死亡率を確実に上げるようです。

ハンドランディングによる致死率は驚くほど高い

続いてハンドランディングによる致死率ですが、濡れた手で触るのと、乾いた状態で触るのでは、後者のほうが確実に死亡率が上昇しました。

実験では、ただ乾いた手で触るのではなく、砂などを魚にまぶした状態にしてから触る方法を用いましたが、これは釣った魚を乾いた地面に置く状態を意味しています。

釣った魚を乱暴に扱えば、それだけ死亡率が下がるということ。

釣った魚を濡れた手で触る、もしくはまったく触らないほうが、やはり生存率は高くなります。

針が食道にかかった場合はハリスを切ったほうが生存率が高い

渓流のルアーフィッシングではまずありえませんが、魚の食道に針が掛かった場合には、そのままハリスを切ったほうが魚の生存率が高いそうです。

以前餌釣りをした時に、ヤマメが餌を飲み込んでしまって、針が喉に掛かってしまったことが何度かありました。

ヤマメは口と食道が一直線につながっているため、口に入るものはそのまま食道も通過してしまう。そのため喉によく針が掛かってしまいがちです。

この状態になると、針を外す出血で死亡率が高くなりやすく、リリースするならハリスを切ったほうが生存率が高くなります。

しかし、ハリスが残った状態でも死亡率は上がるとの結果も出ています。

渓流のヤマメの餌釣りは先日体験したばかりなのですが、やはり餌を食べるのが早いヤマメは遅アワセが多くなり、針が飲まれることも増えます。

この状態で針をはずしてリリースするくらいなら、そのまま持ち帰って食べたほうが良いということにもなりますね。

リリースを遅らせると死亡率が上がる

リリースの具体的な方法だけでなく、リリースの速度も魚の生存率に大きく関わってきます。

以前にシーバス関連の記事で呼んだのですが、ファイトに時間がかかるほど、魚の体内にある酸素が減ってしまい、結果的にリリースした後に乳酸値の増大で死亡してしまうというものでした。

(参照元:魚のリリース論・・・

これはシーバスに対しての話ですが、僕はシーバスに限らず、全ての魚類が酸素の欠乏により死亡すると思っています。

その欠乏を招くのが、長時間のファイト。

ファイト時間を長くすればするほど魚の死亡率は上がり、それはファイト時間の長い大型魚ほど死亡率が高くなります。

これは渓魚であっても同じでしょう。

釣りをしていると大型魚がヒットした場合、リリース前に自力では泳げずにお腹を上へと向けてしまう個体がいます。

こういった魚は、その後元気に泳いでいっても、次第に乳酸値が上昇し、処理しきれない段階になってから死亡します。

体内の酸素が無くなって死亡した魚は、浮上する力もなく川の底で死亡。

実は、僕もこういった魚を見たことがあります。

渓流を歩いていると、大型のニジマスがひっくり返って死んでいる。

見ると口元に傷があり、釣られた魚だとわかります。

しかし、そんな良型を捨てるわけがない。間違いなくリリースしたもの。

けれど川の中で死んでいるのは、やはり大抵が尺以上の大型ばかりです。

最良のリリース方法は何か?

釣りあげたヤマメやイワナをリリースした場合、その魚が死亡する確率は15%。

このデータを鵜呑みにするとするなら

10匹釣った場合には、その一匹は確実に死ぬ可能性が濃厚。

さらにいえば、おそらく現実として1匹では絶対に済んでいないはず。

扱いが悪ければ半数が死亡するかもしれません。

では、それでも逃がした魚が生存しやすい環境でリリースするには、いったいどんな努力が必要なのでしょうか?

シングルフックを使う

先に紹介した実験結果はファイト時間まで計算されておらず、サイズも不明。

また、実験方法はプールでのもの。

つまり死亡率15%は、病気や出血多量によるものだと考えられます。

出血多量や病気による死亡は、フックの傷によるものが大きいでしょうから、やはりトリプルフックよりもシングルフックのほうが傷が少なく、感染などを防ぐ効果があると考えられます。

また、バーブレスにすればさらに感染は防げるでしょうから、マイクロバーブかバーブレスフックを使うのが最良かもしれません。

シングルでなくとも、ダブルにしてバーブレスにすればキャッチ率を減少させずにすみますが、これはよくわかりません。

顎の硬い魚なら有効でしょうが、ヤマメやイワナといった渓魚になると、ねじれた時に他のフックがもう一方のフックの回転を阻害し、阻害されたほうに力がかかりすぎて周囲の傷口を広げるかもしれません。

また、単純に傷口を二箇所作るぶん、感染率が増えるかもしれないので、やはりシングルフックにするのが一番ダメージが少ない気もします。

ランディングは絶対にネットを使い水から出さない

釣った魚の死亡率を上げないために一番重要なのは、どうやら魚の体をできる限り傷めないことのようです。

実験では乾いた砂を体に付けるだけでも簡単に病気になってしまいましたが、魚の体はそれくらい弱く、簡単に病気になってしまうようです。

そのため、乾いたコンクリートがどうこうというより、草だろうが土だろうが、陸地に上げて魚が跳ねて、体に傷ができた時点で死亡率が極端に上がると考えたほうがいいでしょう。

また、使うネットは柔らかいものが良いですよね。

ラバーネットが最適ですが、そうでなくとも渓流用のネットなら、水から出しさせしなければ安全かもしれません。

素手で魚を触らない

魚を直接触ることは、それだけで魚にダメージを与えずにすむということです。

素手で触ることで魚がやけどをすることもありますし、不用意に感染症に陥らせてしまうこともあるでしょう。

リリースはできる限りネット越しで行い、魚には直接振れないこと。

もし触れる場合には、手を必ず濡らすことで魚に対するダメージを軽減できるはず。

また、フックを外す時に魚を掴む場合には、ネット越しに触ることでもダメージを減らせるかもしれません。

リリースまでの時間は最速で酸素の欠乏を防ぐ

リリース後の魚の生存率を上げるためには、ファイト時間はとにかく短くすませることが重要でしょう。

また、渓流のトラウトフィッシングでは写真をとるため、水から出した状態でトラウトを移動させるかもしれませんが、これも酸素量を減らす原因になります。

ヒットからランディングまで遊ぶのは一切なし。

取れるとおもったら即座にランディング。渓流なら力が弱まるのをまつよりも、自から動いてランディングに走ったほうが死亡率が少ないでしょう。

僕も魚が酸素欠乏によりリリース後に死ぬという可能性を知ってから、出来る限りファイト時間を短くするように心がけはじめました。

ラインも通常より太めのものを使い、フッキングから一気に巻く。

キャッチしてからも写真には時間をかけず、近くに撮影場所がないなら、ネットの中で写真をとり、魚は水から出さないようにする。それしかありません。

なので、撮影のために時間も掛けないのが一番重要ですね。

僕のブログの魚の写真はかなり雑で、大半がネットの中だったり、別段写真映えするようなポジションじゃないのはそのせい。

「このブログの主は写真下手だな」

と思われたでしょうが、いや、確かに下手なのは間違いない。

ただ、別段上手く取ろうとしないのは、やはり意識してのこと。

良いサイズが出たとしても、メジャー付きの写真を撮影する努力もあまりしません。

別に競技をやっているわけでもないので、サイズ自慢のために時間をかけるだけリリース後の死亡率が上がるなら、さっと測って終わりで良いと思ってるからです。

リリースせずに食べてしまったほうが優しいのか?

僕が向かった新規河川で、かつてリリースされたヤマメが多数死んでいたとして。

だから餌釣りが良いのか?というのは難しい問題です。

僕が出会ったおじいさんは「どうせ逃がして死ぬなら食べた方が良い」と言っていましたし、僕もそれには同意です。

ていうか同意しかないです。魚の命は、意図しようがしまいが、いたずらに奪うべきものではないからです。

 

釣りというのは残酷です。

 

いや、人間の残酷さを浮き彫りにするといったほうが正しいかもしれません。

 

僕は釣りに癒やされているのだと気がついたのも、渓流での釣りをはじめてから。罪悪感を強く感じるようなったのも、渓流に通いはじめてからです。

もし僕が管理釣り場で渓魚を釣っていたら、別にそんなこと特に考えなかったでしょう。払った金のぶんだけ魚と遊びますし、そこにいるのは養殖魚ばかりです。

海釣りもそうです。魚は沢山いますし、さらに美味しい魚ばかり。キープが基本の環境。だから別に考えなかったですし、思いをはせたこともありませんでした。

でも、渓流での釣りは違いました。

美しい自然の中で、渓魚を釣って楽しむということ。

渓魚をいたわるために、リリースとシングルフックが推奨される北海道であり、リリースした魚に挨拶をするような、自然に優しくするのが当たり前の渓流釣り。

だからこそ、残酷さにより気が付き、強い罪悪感が生まれます。

矛盾してますよね。

自然を愛しているなら、美しい渓を減らしたくなければ釣りなんてしなければいい。

それでも釣りをするなら、魚に対して悪いと思うなら、食べるぶんだけ釣ってあげればいい。

それが最も良い方法だと、僕自身も思います。

でも、それでも僕は釣りを辞めるきにはなりません。

きっと、明日もまた釣りに行き、釣った魚を出来る限りの方法でリリースをするでしょう。

ほんとうにおかしな話ですし、矛盾がただ浮き彫りになるだけ。

わかったことが1つあるとしたら、僕の中にあるこの矛盾こそが、たぶん釣りそのものだということでした。

アングラーとは矛盾を併せ持つ存在

話を冒頭に戻します。

僕が小さいころ、ルアーフィッシングをする中でしったアングラーという用語ですが、其の意味を調べた時には、妙な気持ちがしました。

というのは、アングラーという言葉がとても不思議だと感じたからです。

もともと海外では釣りをする人のことをフィッシャーマン(fisherman)と呼んでいました。

しかし、それは釣り自体が漁と同義だった時代のことで、それから釣りを趣味にする人々が現れ、職業釣師達と呼び名を分ける必要が出てきました。

そこで付いた名前がアングラー(angler)

元々、小細工や作為的な企みによって目的を達成させる策士のことを指す言葉でしたが、次第に主にルアーやフライを使い、ゲームとして魚を釣る趣味の釣り人を指す言葉として使わ得れるようになりました。

つまり、僕ら釣人は───とくにルアーやフライを使う人間は、食べるために魚を釣る人間ではないのです。

仕事ではなく、あくまで趣味で魚を釣っている。

だからフィッシャーマンではなくてアングラー。

其の微妙な立ち位置が、僕にリリースや魚の命について考えさせる原因です。

魚を食べることで僕は罪悪感が消える

 

もしも僕が漁師なら、魚を取ることは仕事のためと割り切れます。

いや、割り切れるなんてものじゃないです。

なんの疑いだって持ちません。こんなことすら考えない。

リリースするのは完全に水産資源のため。幼魚を逃がすのも同じですし、お金にならないから逃がすし、お金になるから逃がす。とてもシンプルで矛盾なんてないです。

また、お金がなくて、魚屋もなく、目の前に水辺がなあるなら、やはり魚を釣ることに矛盾なんてありません。

だって、それは生きるためだから。

それが、リリースをしないで魚を食べることに、僕らが罪悪感を感じない理由です。

命の糧にもならずに殺すことを、僕らは強く忌み嫌いますが、その反対に、命の糧になるのなら、罪悪感は感じずにすむ。

だから、趣味で魚を釣るアングラーであっても、結果食べるのであれば、殺すことは必要にかられてのことになりますよね。それがルアーフィッシングでフッキングミスをし、ランディングにも失敗し、もはや蘇生不可能な魚だったとしても、罪悪感が和らぐ効果がある。

だからこそ、傷つけた魚は食べてあげるのが良いことだ、僕も思います。

 

でも。そうと知っていても、結局リリースしている僕。

だって、僕らアングラーは、釣りをしなくたって生きていけますから。

いや、アングラーだけでなく、多くの人がそうです。

魚を食べたければスーパーにいけばいいし、魚を食べなくたって肉を食べれば良い。そうじゃなくたって、ビーガン達は肉も魚も一切食べずに生きています。

なのに僕は魚を釣る。

生きるわけじゃなく、辛い現実から逃げるため、遊ぶため、生きがいとして釣りをする。

これを残酷じゃないと言うためには自分に嘘を突く必要があります。

本来、人間の脳は矛盾を嫌いますから。

ですが、不思議なことに、僕自身、その矛盾する2つの事柄を常に抱えつつも、やはり釣りをやめる気にはなれません。

自分は渓流にとってのウイルスだからリリースする

渓流を見ていると、自然はとても美しいですが、そのぶん残酷なことにも気が付きます。

生き物は、大抵が自らの命だけでは生きてはいけません。特に川の周りに生きる生き物たちは、大抵が別の生き物を捕食することで命を続けています。

いや、命だけではなく、渓流の美しさそのものが、命のやりとりがなくては動かない。

それは自然のサイクルとよく形容されますが、僕はただのサイクルではなく、この記事を表示するPHPなんか比べものにならないような、生物というコードにより動く美しいプログラムだと思っています。

そして、僕自身も生物ですから、当然コードの1つ。

ただし、渓流というプログラムに必要とされるほどの重要性はありません。

前述の通り、大半の人間は渓魚を取らなくても生きていける。

つまり、渓流のシステムに頼らずとも、人間社会のシステムのみで生活可能だからです。

だから、僕は自分をとっくに自然の一部とはみなしてはいません。

あくまで別のプログラム。それも、渓流にとってはウィルスのようなものだと考えてます。

渓流という美しいプログラムは、セキュリティがザルです。

深い森や藪に守られているため、普通の人間なら侵入はできませんが、アングラーというウィルスであれば、その気になればダレでも入れますし、そのためのルートを見つけるのも得意です。

また、一旦渓流に侵入したら最後、渓魚というファイルを書き換える。もしくは削除してしまう。これにより、その動作をコントロールすらしますし、渓流は防御不可能。そんな力を持つ脅威の存在です。

しかし、僕らウィルスは渓流というプログラムそのものに魅了されています。

そんな出来損ないの常駐型ウィルスが、アングラーなんだと思います。

渓流に入れる以上、人間はその気になればなんでもできます。

もし小さな渓流の生態系を壊そうとおもったら、上流からガソリンを流せばいいだけ。

アングラーは、それを魚を釣る。ゴミを捨てるといった行為で実行していきます。

結局、人間は自然にとって圧倒的な脅威です。

僕らはそうは思ってはいませんが、魚にとってはまるで台風レベル。

アングラーがル通過するだけで住処は破壊され、遊びにより何匹か死ぬでしょう。

しかし、アングラーは根本的な破壊できません。

その力がありながら、動作をコントロールすることを最小限に止め、最悪ファイルを削除はするものの、システムの動作そのものは円滑に行われるようにします。

また、他のウィルスがプログラムを破壊しようとした場合に攻撃を仕掛けることもあります。ゴミを捨てる人間、魚の扱いを雑にする人間などなど。

そんな攻撃的なアングラーは自らをセキュリティプログラムだと思う人もいます。

魚を守ろうとするのはアングラーに必要な偽装

本来、魚にとっては悪戯に命を奪うウィルスであるはずのアングラー

そんな僕が魚を守ろうというのは、アングラーが持つ偽装プログラムのせいだと思います。

一般的なウィルスは本来、OSに紛れ込み動作を続けることで真価を発揮しますが、そのためにファイル名を偽装し潜伏します。

そして僕は、自然という環境に紛れ込むため、釣りを続けるために『自然を守るアングラー』という偽装をいつからか行うようになりました。それも本人が気がつかないほどのレベルのセキュリティ意識を持つのは、依存するためのシステムを破壊されないため。

それか、もしくは。

残酷さからくる罪悪感を消し去るため。

というか、実は多くのアングラーがそうなんじゃないでしょうか。
だって、あの釣りキチ三平もそうだったんですから。

Twitterで少し前に話題になっていたとあるシーン。
これは48巻で伝統の鮎漁を受け継ぐことから逃げていた新司を三平が説得するシーンです。

この時、三平が言っていることは「残酷さ」について。

鮎を取ることに残酷さを覚えていた新司に、川を守っているのが、川に生きる人間たちだであると訴えることで、残酷さを取り消そうとしています。

ただ、僕は三平の発言は、あくまでアングラーとしての意見だと感じます。

そもそも、新司やその祖父は生活のための漁師。罪悪感を抱くべき人々ではありません。

それをあえて息子の新司に罪悪感を抱かせるようにして、三平が必死にアングラーとしての目線で説得しているのは、読者に強い罪悪感を抱かせないためじゃないかと。

この場合の罪悪感とは、魚の命をうばうことで生きる人々を通し、アングラーもまた、魚の命を奪っているという現実に対してです。

ただ、それは作者が意図したことであり、この話では命を奪って生きる意味と、自然の尊さが主題。

しかし、少年誌に描かれたこの漫画で、いきなり事実をつきつけることは憚れる。

だから、三平が漫画を読む少年アングラーに対してクッションを挟むために、アングラーにとっては『良い台詞』に思え、釣りをしない人間には『自分勝手な理屈』にすら映るばかりか、新司にとっても的はずれなこの台詞を書いたのだと思います。

罪悪感と釣りのために魚を守るのがアングラー

三平にかぎらず、アングラーは大半が同じようにセキュリティ意識を持つのは、強い罪悪感から。

それに、本当に自然そのものを守りたいわけではないでしょう。

多くの釣り人が自らが釣り場に対して驚異的なウィルスであるという自覚を持っているからこそ、魚に対していたわり、釣り場を守っていますし、釣り場を荒らす人間を攻撃しますし、三平のような正当化も行う。だって、もし自然をいたわるのであれば、魚を釣るのをやめるしかないからです。

しかし、そんな偽装もつかの間。

魚を釣ること自体が魚を傷つけることなのですから、結局は自らがウィルスだという自覚を思い出すことで矛盾が生じます。

そして、自分がどちらがわなのか、はっきりとさせようともがくのでしょう。

では、リリースという行為により魚が死ぬとしとして、僕というウィルスはどんな動作を起こすのか?

何十通りか考えてはみましたが、結論として、やはり僕はリリースを選択します。

それは、再び渓魚が増えることを願うという考えでもあり、死ぬとわかっていても、最良のリリース方法を取れば、生存率85%を維持できるという打算からでもあります。

もし85%を維持できるなら、10匹釣れば8匹程度は生存する。

釣った渓魚を全て食べてしまうと、ただファイルを破壊するだけで終わり、渓流はシステムを維持できないかもしれません。

また、これも残酷な話ですが、川の中で死んだ魚も渓流にとっては不利益とは言えません。

大量死でさえなければ水質汚染はありません。死んだ魚は幼魚の餌にもなりますし、何かの稚魚が死んだニジマスを食べている様子を見た翌日、同じ場所に綺麗に骨だけが残っていたことを思い出します。

また、渓魚が捕食する他の水性昆虫や甲殻類にとっても有益になる可能性があります。結果、渓流は維持され、自らも渓流に通い続けられる可能性が高まる。

そのためにはリリース方法について再検討するのは当然で、よりダメージを与えないように釣りをしていく方法を今後も模索していくしかありません。

だから僕は、おじいさんの言葉は理解できても、渓魚を必ず食べることはないです。

また、魚を食べるのが良いことだと考えるのも、結局は釣り人の罪悪感が原因。

それなら、罪悪感を我慢してでも、生存の可能性がある魚はリリースしたほうがお得だし、食べる場合には、食べたいから釣って食べる。だけど少量に留めておく。これが、渓流に寄生するウィルスとしては効率的な活動だと考えます。

でも、もしかしたら他の方法があるかも?

それならそっちのほうが良いですよね。

だから、釣りをしながら、自然を維持できるかどうか考えなくてはなりませんよね。

 

ただ、それは全て自分のためです。

それも、生きるためじゃない「自分のため」です

 

自分のためとはいっても、他の生物も自分のために他の命を奪っていますが、それは自然に深く関与している上での「自分のため」。その利己性そのものが自然を維持する機能の1つなのです。

しかしアングラーはウィルス。あくまで渓流というプログラムのコードではなく、その動作を構成する上では不必要な存在。いわば依存する第三者の関与。欲望が渓流の利益にならない、一方的に搾取する側の戦略にすぎません。正解もなんでもなく、事実のみを並べた結果ですから、一般倫理的には悪論に近い。

だから、この長い記事を、ここまで読んだ貴方次第としかいいようがありません。

なにせ、僕は渓流にとってはウィルスだから。

考え方そのものが渓流に依存する第三者だから、リリース以外思いつかない。

でも、もしかしたら貴方もそうかも?

だとしたら逃げ出したいかもしれませんが、僕の場合、もう引き返せるとは思えません。

なにせ、僕なんて貧乏人のくせして釣りに時間をさいては、日頃のストレスから逃げ出すため、釣り道具を自作してなんとかしてまで渓流にいくようなヤツですから。僕はこれからも、ずっと渓流で釣りをするこに癒やされながら、同時に自分の愚かさについても考えさせ続けるはず。

だから、とっくに手遅れです。

僕は、何も考えずに釣りを楽しむには、あまりにも渓流を好きになりすぎました。

リリースの矛盾の中で釣りをする

渓流クランクベイト

僕は世の幸せというのは、大抵が何も考えないことで生まれると思っています。

釣りをして幸せになれるのも同じで、僕にとって釣りをしている瞬間は、大半が日常のストレスから解き放たれ、金のことも、嫌いな世の中のことからも開放されるから。

だから、こうして真剣にリリースについて考えている現実は、やはり愚かとしか言いようがありませんが、きっと僕と同じような愚かな人々がいると思い、リリースについても考えてみました。

 

知らなければ良い事実なんて、世の中沢山あります。

特に矛盾持した2つの事柄は、考えるだけ頭を混乱させるだけ。

魚を守りたいのに、釣りをしている自分なんて、カオスの極みですよ。

そんな哀れな人におすすめなのですが、考えすぎてストレスを感じたら、渓流にいってみてください。

あまり大きな声ではいえませんが、僕もそうしています。

美しい渓流にいると、自分がいかにそこで異質なのかすら忘れさせてくれる。

それが数時間後、渓流から離れ、シラフになった時、ふとリリースによって死んだ魚について考えるとしてもです。

その繰り返しの先に何があるかはわかりませんが、そんなアングラーという愚かな生き方だって、きっと悪くない。少なくとも川にいる間だけは幸せでいられるから。

なんていうのも、ここだけの話ですから、人前では、普通の人間のふりをしっかりとやっていってください。

 

ちなみに、僕は失敗しています。

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