ラウリラパラとオリジナルフローティングの歴史を渓流で体感してきた

ミノー

今回はラパラのオリジナルフローティング、F5での渓流釣りと、ラウリラパラについてのご紹介です。

渓流で使うフローティングミノーで、バルサ製のアイテムを唯一使ったことがあるのはやっぱりラパラ。

もちろん安いからってのもあるんですが、使い勝手がとてもいいというか、なんか妙にしっくりくるん。誰もが手軽に使えるバルサミノーって感じ。

それに、見た目もやっぱり可愛いし、この間抜けなオールド感溢れるデザインが好き。誰もが愛着もてるし、なにも気取ってないバルサ感が良いですね。

ただ、別に古くて可愛いデザインじゃない。

オリジナルフローティングミノーはラパラの歴史そのものが詰め込まれたアイテムなのです。

オリジナルフローティングを生み出したラウリラパラとは?

ラパラのFシリーズ、いわゆる「オリジナルフローティング(フローター)」シリーズは、ラパラのうみの親であるラウリ・ラパラが初めて作り出したミノーです。

このミノーは、いわば「ミノーの始祖」と呼ばれるもの。

その影響力のせいで、「ラパラを超えろ」とばかりにカウンター・フォロアーまで生んだ伝説を持つ唯一のアイテムといえます。

ただし、実際に世界初のミノープラグだったかは定かではありません。

当時は今のように情報が生き渡らず、ミノープラグの起源も様々な説がありますから。

それに、ラウリの育ったフィンランドはヨーロッパの貧しい北国。

当時ヨーロッパで生まれたスピナーといったアイテムも殆ど入ってこなかった、いわば辺境の地域だったのです。

生き残るためにルアーを作る

有名なルアーを作り出した経緯というのは様々ありますが、その大半は「釣りが好きだった」からであり、趣味が高じて生まれたアイテムです。

基本釣りが好きで、釣りが楽しくてしょうがない。

だから自分で釣れるルアーを作って販売したいと考えます。

つまり、その大半は趣味の延長上に存在したもの。

しかし、このオリジナルフローターが唯一違うのは趣味ではなく、生活のため。

ものすごいはっきり言えば金を手に入れるため

しいていうなら、家族を養うために作られたルアーだったということ。

それがこのミノーの最大の特徴だと僕は思っています。

すべては泥の中から

ラウリが生まれたのは1905年

場所は首都ヘルシンキから60マイル離れたシュスマという地域です。

ラパラが物心ついたころには父親はおらず、5歳の時に母と共にシュスマに移り住んでいます。

区を管轄する協会では、ラウリの元の性であるSaarinenから、付近の村の名前である「Rapala」を性にした記録があります。

つまり、あのRapalaはフィンランドの村の名前だったわけです。

Rapala村はフィンランド最大の湖であるパイヤネン湖の畔にある小さな村。

フィンランド語での意味は『泥』を指しており、この地区の中央部にはRapalanlampiと呼ばれる湿地帯に似た小さな湖があります。

このバイヤネン湖の島で生まれたラパラは、常に自然の中で生きてきました。

僕ら現代人からしたら、自然あふれるフィンランドの島で生活できるなんて夢のようかもしれません。

ただ、それは避暑地としての利用に限ったはなし。

ラウリには兄弟が居ましたが、うち1人は12歳で死亡。

父親についても殆ど覚えておらず、名前もコール・ステインと呼ばれていたことを知るのみ。

息子のエスコ・ラパラが調べた記録によれば、ラウリが生まれたあと、コールはフィンランドの東へと移住したことしかわかりませんでした。

母は家政婦として働いていましたが、それだけでは当然生活はできず、幼い頃から働いて家計を支えていたため、生涯にわたり正当な教育を受けた経験はありません。

まさに、彼の名前の通りの泥の中。

彼が生まれ育ったフィンランドの湖には、美しくも厳しい自然と貧困だけがありました。

生きるために見つけたトラウトの習性

成人したラウリは妻エルモと結婚。

それから両親の家で1933年まで暮らしますが、ラウリ達が結婚した時代は近代フィンランド史の中で最も厳しい時代です。

1929年に発生した世界恐慌により、フィンランドでも1930年には農業恐慌が発生。

農村は物が売れず大打撃を受け経済的に困窮。フィンランドは大規模な農業革命を迫られます。

また、同時にフィンランドとソ連の領地問題が発生。

こうした厳しい環境で生き抜くため、ラウリは漁師以外の仕事、例えば冬季には伐採業(フィンランドは林業が盛ん)夏季には農業の手伝いもしています。

そもそも、ラウリは漁師の家系ではありません。

釣りは好きですが、母親はメイド。

本来漁を教えるはずの父もいない家の子であり、漁師になる選択肢のほうが少なかったはず。

それでも漁師をしていたのは、3キロオーバーの魚を3頭釣れば、付近の工場の2週間分の労働に匹敵する賃金を得られたから。

つまり、金のためなんです。

もちろん子供の頃から釣りは好きでしたが、それよりも彼にとっては生活のほうが大切でした。

ラウリには3人の子供達がいましたが、彼らを育てるためには当時の労働賃金ではとてもまともな生活ができません。

しかし、大物を釣れば、それだけ金が入るチャンスが生まれる。

そこでラウリは漁師としての仕事により情熱を燃やしはじめます。

ラウリが初期の頃行っていた漁は、フィンランドの伝統漁であるsoutuvene(手漕ぎボート)を使ったtroutlineといわれる漁でした。

これは延縄漁のトラウト版であり、一定間隔に針を結んだ仕掛け流してトラウトを釣るというもの。

ラウリは約1000の針を使った仕掛けを使用していましたが、この漁は非常に大変。餌を付けてから仕掛けを流すのも一苦労ですし、その餌となる小魚などを手に入れる手間もかかる。

しかも、ラウリはそれをすべて一人で行っていました。

また、ラウリにはエンジンボートが高くて買えず、嵐の日ですら手漕ぎボートで湖に出ていたと言われます。

生活のためにルアーを作れ!

troutlineは伝統的で確実な漁でしたが、その仕掛けは針の数も多く、設置に時間がかかります。

そこで、ラウリは餌として使っていた小魚の動きを模した疑似餌を作れないかと模索しはじめました。

もし小魚の動きを出せる疑似餌が作れれば、仕掛けもいらず、餌もいらず大幅なコストカットにつながります。

そこで、ラウリは漁の合間に研究を開始。

様々な材料を吟味し、小魚の動きを出すための方法を模索しはじめたのです。

そのために、ラウリの友人であるAkseli Soramakiと、湖の中央にあるコテージに勝手に住む変わり者のToivoPylvalainenに協力を依頼し、ルアー作りを開始します。

実は、このToivo(トイヴォ)という人物は、ラパラの歴史における最重要人物。

これについては後述しますが、ラウリの人生を大きく変え、オリジナルフローティングの誕生に深く関与しています。

ラウリは幾度もルアーを作り続けますが、作った木製のルアーはことごとく失敗。

動きはするものの、そのアクションでは魚は釣れず、仲間にアドバイスを求めています。

 

なんとかして、疑似餌で魚が釣れないものか?

 

ラウリは来る日も来る日も試作ルアーを作ってはテストしますが、上手くいきません。

そこで、幼い頃から水辺を見て観察したトラウトのある習性を思い出しました。

ラウリが注目したのは、湖のトラウトが捕食していたミノー(小魚)の動きです。

小魚たちは常に集団で行動していましたが、ラウリはそれを身を守るための方法だと自然と学びました。魚たちは集団で全方向に目を光らせ、誰かがトラウトの接近を察知した場合、すぐさま安全な方向へと回避すると考えたのです。

しかし、その集団にトラウトはむやみに突っ込みません。ラウリは長年の観察から、トラウトが小魚の集団から、特定の魚だけを狙い捕食していることに気が付きました。

さらに観察を続けると、トラウトは決まって群れから少し外れた者。もしくは群れの中で、目立った行動をしている者だけを集中的に攻撃すること知ります。

 

ならば、弱った小魚の動きを出せば、魚は口を使うのではないか?

 

そう考えたラパラは、アドバイスを元にデザインを変更。ラウリが試作し、それを友人らに見せて、どうやれば弱った小魚に似た動きを出せるかアドバイスをもらい続けました。

また、ラウリは餌となる小魚の動きをチェックするため、一匹ずつ違った傷をつけた小魚を準備。それを針につけて泳がせ、どの動きの小魚に最もトラウトが襲い掛かるかデータを取り続けたといいます。

そして、最後にたどり着いたのがワインのボトルに使われるコルクを使うことでした。

ラウリ自身、まさかそのあたりに転がっているコルクが成功例になるとは思わなかったでしょうが、アドバイスを受けながら靴メーカーのファイルから切り出したリップを取り付け、チョコバーについていた銀紙を巻き、魚の鱗に似せたといいます。

ただ、その見かけはあまりにも不細工。

材質も柔らかすぎる上、強度がまるで足りません。

また、当時はコーティング技術も不足しており、ラッカーすら買えなかったラウリは苦肉の策として、写真のネガを溶かしてルアー全体をコーティングしました。

カラーは背は黒。腹は鈍い金色。

こんなもので、本当にトラウトが釣れるのか?・・・

しかし、フックを付けて泳がしたところ、見事に小魚の動きを演出。

このルアーをテストしますが、ラウリは絶対に無くさないため、ロッドではなく自らの親指に糸をまきつけ、直接トローリングを開始。

なぜなら、彼が使っていた自作の釣り竿はあまりにもボロく、大物が掛かると時として折れることがあったからです。

しかし、トローリングを開始すると見事にヒット。

幾多の試作の末、ラウリははじめて自分の作ったルアーで魚を釣り上げました。

寡黙だったというラウリですが、この時ばかりは大喜びして友人たちのもとへとボートを漕いだでしょう。

そのボートの端に転がる不細工なコルクの塊こそ、伝説の「ファースト・ラパラ」

1936年。

のちにオリジナルフローティーングとして世界を驚かせるルアーの誕生です。

戦争とオリジナルフローティング

ファースト・ラパラの制作に成功したラウリは、すぐさま自身の漁に劇的な変化を生み出しました。

今まで仕掛けをセットし、餌をつけていた時間も、ルアーを使えば全てを漁の時間に費やすことができたからです。

また、ラパラの作ったルアーはトラウトの習性を理解しきっており、今まで餌にスレていた魚も、弱った小魚を演出されては食うしか無かったでしょう。

結果、ラパラは最大で一日に600ポンド(約272キロ)という釣果を手に入れたといいます。

当時、3キロのトラウトが工場2週間分の労働に匹敵したわけですから、わずか1日で1年分か、それ以上の収入を得るほどの収益を手に入れられたのです。

これで、飢えに苦しむこともなく、家族も養っていける。

そう安心したラウリですが、その苦労を台無しにするような悲劇が起こります。

冬戦争の勃発

第二次世界大戦が起きてから3か月後、ソ連は傘下に下らないフィンランドに業を煮やし、国境での発砲を理由に進撃を開始。いわゆる「冬戦争」が勃発します。

冬戦争が有名な理由は、圧倒的戦力を持つロシアに対して、3分の1にも満たない戦力しかないフィンランド軍が徹底抗戦の末、二度も進撃を挫いた伝説を持つからです。

その陰には、フィンランドの厳しい自然環境と、そこで生きてきた人間の強さがありました。

冬戦争で最も有名で、ソ連軍から「白い死神」と恐れられたシモ・ヘイヘは戦闘経験の無い猟師でしたが、フィンランドの厳しい寒さと吹雪を利用した中距離狙撃で一躍ロシア最大の敵へと変貌。

戦車も兵士の数も圧倒的に足りないフィンランド軍でしたが、国民はスキーが得意。

そこで、ゲリラ的スキー部隊を結成し「ちょっと滑って戦車奪ってくるわ」といって滑り出すと、あっというまに敵戦車を鹵獲し反撃。

このように、厳しい自然を生きる人間のタフさで「雪中の奇跡」を起こしたこの冬戦争。

国民全員がチートレベルの兵士だったと言われる戦いでしたが、我らがラウリ・ラパラもその一人だったのです。

コルクが無ければ樹皮を使えば良いじゃない

冬戦争が始まる頃、フィンランドは経済的に追い詰められ、国全体が貧困にあえいでいました。

それでも家族を飢えさせないよう、ラウリは漁を続けます。

幸い、この時すでにラウリは自作のオリジナルフローティングをある程度完成させており、素材もバルサが最適だと判断。完成間近となったルアーのおかげで、魚だけは大量に手に入れることができたのです。

しかし、そのルアーにも危機が迫ります。

圧迫された国の財政が農村部を苦しめた頃、物流が滞りバルサを手に入れることが難しくなったのです。

そこでラウリはバルサの代わりに、松の木の樹皮を使うことにしました。

松の木の樹皮が軽くルアーに適していると知っていたのは、貧困のせいで伐採業も兼業していたから。

周囲の人間は、なぜ彼が松の木の樹皮なんて欲しがっているかわかりませんでしたが、ラウリが松の木の樹皮を手にした瞬間、声を荒げて喜んだのをみて、さらに首が妙な方向に曲がったはずです。

けれど、せかっく松の木で代用したルアー作りも、いよいよ開戦した冬戦争により中断せざるを得ませんでした。

戦争だろうが釣りまくれ!

ついに国境をやぶり、ソ連兵が進撃してきた頃、国民動員によってラウリも戦闘へと駆り出されます。

この頃、すでにラウリのルアーは自分のルアーが商品になると確信していました。

かれの1938年にはすでにバルサ製の第一号lureをカルキネン協同組合に販売しており、製品化を考えていたのです。

そこで、ラウリは自身の妻のイトコに誘われ、一緒にルアーを作る会社を夢を持ちはじめましたが、そこにいきなり冬戦争がやってきたのです。

しかも、ラウリが住む村があったのは冬戦争の激戦地として有名なスオミッソ地域。

この地域はソ連がフィンランド侵攻のため何がなんでも奪取すべき最重要拠点であり、この地域が陥落すれば、フィンランドは敗戦を余儀なくされます。

この地域で兵役に就いたラウリは、戦争前まで教師だったという異色の指揮官ヒャルマー・シーラスヴォ(後に雪中の奇跡最大の立役者となり、冬季ゲリラ戦の神と呼ばれる)指揮下のもと戦闘を行っていたと考えられています。

絶対に死守すべきスオミッソの森。その雪上を集団で駆けるスキー部隊の活躍は、かの有名なシモ・ヘイヘをも上回ります。

この戦闘では、集められたスキー部隊が主軸となり、敵の部隊を森の中から急襲し続けるというもの。数時間以上もの滑走の上、ポイントで敵を待ち伏せし、攻撃。すぐさま制圧するか、離脱するというゲリラ戦を展開。

厳しい環境を利用した見事な作戦により、スオミッソの森で敵の補給を断つことに成功したフィンランド軍は、ソ連軍の進撃を食い止めたのです。

そんな伝説的スキー部隊にラウリがいたかは不明。

その可能性は高いものの、ラウリ本人が語る戦争の記憶は、その多くは釣りのことだったからです。

ラウリは冬戦争の英雄シモ・ヘイヘイのように、猟師という経験を生かして前線で敵を倒しまくるわけではありません。

そもそもラウリは戦争なんて好きじゃありませんし、白い死神と言われたスナイパー、シモ・ヘイヘだって戦争が好きだったわけではありません。彼は猟師であり、ラウリは漁師。二人とも自然を好み、人間世界の争いなど無関心でした。

 

しかし、戦争に巻き込まれた人間は、誰もが残酷な現実と向き合わなくてはなりません。

 

それはラウリも同じで、極寒の激戦ではラウリ達の部隊も食料不足に悩まされました。

そこで、ラウリは戦時下の湖で漁に挑みました。す。

元から家族のために漁をしていたラウリは、戦闘よりも飢えた仲間のために釣りをすることに使命感を燃やしたのでしょう。迫るソ連軍との戦いの合間、食料補給のために大量の魚を獲ってきたのですが、その結果、ラウリが作ったルアーが驚くほど釣れると評判となりはじめました。

そもそも、当時はルアー自体フィンランドに皆無。

そんなもので魚が釣れるかと誰もがいぶかしんでいた所、目の前でラウリが釣りまくるものだから兵士達が驚くのも当然です。

 

しかし、大量に魚を獲っていたのはラウリだけではありません。

 

戦争中、国民をほぼ総動員して戦っていたフィンランドでは食料の確保は困難。

そこで、一般の兵士たちは装備品として渡されていた爆発物を使用して即席の漁を行っていました。

 

この漁法は一般的に「ダイナマイト漁」と呼ばれ、あまりに残酷な手法から今では様々な国で禁じられています。

ただし、その効果は絶大。

ダイナマイト漁の仕組みは単純で、湖などの水中で爆弾を爆発させ、その衝撃で周囲の魚を死亡、もしくは失神させて水の上へと浮いたのを拾うだけ。専門技術がなくとも、通常の漁より何倍も効率的に魚を手に入れられます。

また、実際にダイナマイトを使う場合もあれば、爆発物なら何でも可能。戦地でのダイナマイト漁では手榴弾や改造した迫撃砲の弾が使われていました。

この漁は魚を殺すばかりでなく、稚魚までも見境なく爆死させてしまうほか、周辺の環境まで変えてしまう漁方であり、今では環境保護の観点から禁止されている国が大多数。

しかし、戦時下のフィンランドではそんなキレイ事は通用しません。極寒の大地での戦争では、食料確保は戦闘と同じ位大切。簡単に大量の魚が手に入るダイナマイト漁は兵士にとって欠かせない日常になったのです。

しかし、ラウリはその漁を行っていた兵士に対して、次のような発言をしたといいます。

「そんなもの使うよりも、このルアーのほうが沢山魚が釣れる!」

たしかにラウリのルアーは良く釣れたのですが、それにしても言い過ぎです。

いくらなんでもダイナマイト漁に勝てるわけがないと兵士達は笑ったでしょう。

しかし、ラウリは一向に引かず、最終的に兵士のダイナマイト漁VSラウリのルアーフィッシングの対決へと発展したのです。

爆弾とルアーの対決

こともあろうに、戦争中に釣り対決。

それですら前代未聞ですが、ダイナマイト漁とルアーでどちらが釣れるか争った記録には驚かされます。

それにしても、なぜラウリはダイナマイト漁に挑むことになったのか?

普通に考えて、あの漁にルアーで挑むなんて誰でも負けるにきまっているはずですし、飢えた仲間に魚を与えるという意味では、ダイナマイト漁のほうがラウリ1人よりも多くの人間に食料が行き渡るはずです。

それでも勝負したのなら、そこには、ラウリが作ったルアーへの絶対的な信頼とプライドがあったのでしょう。

しかし、それだけではないかもしれません。

美しいフィンランドの湖に投げ込まれる爆弾と、ただ魚を殺して獲るだけの無節操な漁を見て、ラウリが何を思ったのか?

今では何もわかりませんが、彼がダイナマイト漁に対抗心を燃やしたのは事実です。

 

その時のラパラの獲物は、戦争仕様となった樹皮製のオリジナルフローティング。

本来の性能を100%発揮できる状態ではありませんが、ラウリはすでにルアーの扱いをほぼ完ぺきにこなしたと言います。

そして、歴史上最初で最後の「ダイナマイトVSルアー」の戦いが開始。

ルールは数時間の間に、どちらが多く魚を獲れるか?

勝負がはじまると、兵士たちは爆発音と共に次々と魚を水面に浮かせていきます。

一方、ラパラは漁師の経験を生かし、ルアーを投じては魚をキャッチ。

結果、ラウリは爆弾漁をはるかに上回る78匹という釣果をたたき出し圧勝。

わずか数時間。湖でのトラウト漁でこの数はケタ違いの釣果。

この勝負の後、陸軍の間では「ラウリのルアーは爆弾を超える」と一気に噂に。

史上最初で最後の戦いは、ルアーの勝利で幕を閉じました。

Rapala社の誕生とオリジナルフローティング

不利な講和条約であったにせよ、冬戦争を事実上の勝利で乗り切りったフィンランドにようやく春がおとずれます。

兵役を終えたあと、ラウリが再び漁師に戻った頃には、彼のもとにルアーを求める多くの人が集まりはじめました。

彼が戦時中に見せたルアーの活躍や、ダイナマイトとの対決などが噂となり、フィンランド中からラパラのミノーを売ってくれと集まってきたのです。

しかし、ラウリと一緒に会社を興し、ルアーを作る約束をしていたイトコは、冬戦争で戦死したのです。

雪中の奇跡としてフィンランド軍の英雄達が語り継がれるこの戦争ですが、だからといってフィンランド側が無傷なわけではありません。

フィンランド軍の死者は2万名を超え、民間人の死者も1000人以上。

敵のソ連軍との壮絶な戦いにより奇跡的に撃退はできましたが、それでも多くの命が失われたのです。

企業の約束をした従兄弟との死別により、ラウリは諦めかけます。

しかし、それを助けたのがラウリの妻。

彼女はラウリを励まし、市場などで魚を売る傍ら、ルアー作りの手伝いをするとラウリの背中を押したのです。

そこで、ラウリはファーストラパラを自らの力で販売することを決意。

そのころは4人の息子(Listi、Ensio、Esko、Kauko)が生まれており、妻と共に家族全員でのルアー生産に乗り出します。中でもEnsioはルアー生産の中心人物となり、その高い技術からフィンランドの国民栄誉賞を受賞することとなります。

そして、ファーストラパラを家庭内手工業によりはじめて量産したのが、かのオリジナルフローティング。

──だったのですが、じつは販売名が違います。

実際に作られていたのは、オリジナルフローティングと同じを形をしていた

「Wobbler(ウォブラー)」という名前のミノーでした。

ウォブラーとは、よろめきながら進むという意味。

現在でもウォブラーという名で売られているルアーは多数ありますが、ラウリの場合は弱った小魚の動きを例えてこの名を付けたのです。

この頃はRapalaという会社はなく、ラウリはあくまで家庭内手工業の位置を出ていません。

ルアーもリップ部分にWobblerと彫り、腹部に Finlandの文字を付けただけ。

今でいう所のハンドメイドルアーという領域を出るものでは無く、数もそう多くありません。

ただし、このルアーは大変貴重ながらRapala社のロゴが無いため、「メーカー不明」としてわずか250円という値段で売られることすらあるお宝。見つけたらぜひ購入したい所です。

Wobblerと銘打たれたルアーが人気になりはじめたころ、首都ヘルシンキで釣具店を営むフリッツシュローダーの店や、釣り具展覧会にラウリのルアーが置かれ評判がさらに上がります。

そこで、フリッツシュローダーが出資者となった他、国の助成金も利用できるようになったラウリは正式に会社の設立準備を開始。

そこでパッケージの都合上、正式にメーカー名を付けることになり、自らの苗字を付けた教区の牧師が印刷会社を経営していたため相談。結果、印刷に「Rapala」と入れることとなり、ついにあのRapala社が誕生します。

その後、ラウリはウォブラーの代わりに「Rapala」の刻印を押し、ついにラパラのオリジナルフローティングが販売されました。

さらにその頃、1952年のフィンランドではヘルシンキオリンピックが開催。

この大会に参加した選手の中には釣り好きの人物もおり、その一人が偶然Rapalaのルアーを購入。それをアメリカに持ち帰ったところ、北米のトラウトフィッシングを中心に有名になりはじめます。

アメリカから世界に広がったオリジナルフローティング

ヘルシンキオリンピックにやってきたアメリカ人選手により持ち帰られたオリジナルフローティング。

その性能の高さに驚いたアメリカ人は、こぞってラパラのルアーを手に入れようとしました。

当時、アメリカはルアーフィッシング先進国であり、すでに趣味としてルアーを釣りに使う人が多数いたのですが、国内でのルアー生産数はまだ少なく、多くのルアーを海外から集めていたのです。

そこでラパラと交渉したのが、アメリカ人バイヤーのロン・ウェーバー。

この人物はラパラのルアーに惚れ込み、アメリカで大々的に輸入販売をしたいと持ちかけてきました。

そこで、ラパラはロンと契約。「ノーマーク社」を設立し、本格的な輸出販売へと踏み切りました。

ラウリのオリジナルフローティングは世界へ

この頃、すでに機械化によるバルサルアーの大量生産を実現していたラパラは、ハンドメイドよりも安く高性能なオリジナルフローティングをアメリカに大量輸出することができました。

しかも、当時はここまで動きの良いプラグは存在しなかったところに、いきなりのオリジナルフローティングですから、そりゃ売れるのも当然。

ラパラのオリジナルフローティングは、渓流でも湖でも使える万能フローティングミノー。

トローリングのただ巻でも、キャスティングゲームでのトゥイッチ、ジャークにも高反応を示し、トラウトのみならずブラックバスゲームで高い成績を残しました。

また、この頃ベイトリール(キャスティングリール)中心だったアメリカにミッチェルやアブガルシアなどのスピニングリールが大量に入ってきます。

これにより、軽量のルアーを扱うことができるようになり、オリジナルフローティングのムーブメントを加速。

さらに、その活躍はライフ誌にも取り上げられることになります。

「A Lure Fish Can’t Pass UP」とタイトルを打たれた記事は、マリリンモンローが死んだ8月5日(1962年)の直後に発売されたもの。life誌の歴史の中でトップクラスの売上が達成されたのですが、その結果ラパラのルアーの宣伝高価も絶大だったという皮肉めいた結果を産んでいます。

オリジナルフローティングを超えろ!

アメリカ全土に広がったラパラのルアーは、そのまま国外にも輸出されはじめ、世界中に広がりを見せはじめました。

値段も安く大量生産ながら高性能のミノーは、アメリカ人のみならず世界中で使われたのです。

つまり、第一次ラパラームーブメントによりラパラは世界を制したと言っても過言ではないでしょう。

しかし、そうなると生まれるのが、ラパラへの対向意識を持つメーカーの誕生です。

世界は何かに染まれば、それに反発する人々が現れるもの。

ビートルズのロックが世界を制すればパンクが生まれたように。

ディスコブームが世界中で起きたあと、スラムからヒップホップが生まれたように。

ルアーの世界のカウンターカルチャーがラパラムーブメントと同時に発生していたのです。

 

ラパラに明らかな影響を受けたメーカーは数え切れません。

例えば、アメリカンルアーとして有名なヘドンはオリジナルフローティングそっくりのコブラを発売。

また、ラパラに感化され、ラパラを超えることを目指したバグリー社は、バルサ素材を使ったバンゴーミノーを販売したりしています。

そ中で最も有名なのは、REBEL(反逆者)の名を自らの会社につけたジョージ・ペレン。

この男が持つラパラへの反抗心は特別大きく、まさしくカウンター・ルアーともいうべき先鋭的なアイテムを多数輩出しています。

打倒ラパラを掲げたジョージは、バルサ素材の管理の難しさと、製品のバラつきなどのコスト的弱点をいち早く見抜き、得意としていたプラスチック加工の技術を用いてルアーの研究を開始。後にプラスチックミノーの傑作と言われるREBELミノーを作りました。

しかし、ジョージはそれでも飽き足らず、ラパラに足りない要素を次々と打ち立てます。

塗装もよりベイトライクに寄せ、さらに釣果を上げるためのクロスパターンやリアルプリントに成功。スレた魚を釣り上げるため、バス用プラグでありながら常識破りのサイズダウンまで行うなど、あまりにも尖鋭的な実戦主義を押し通していきます。(僕もREBELのクリックホッパーを渓流で愛用しています)

また、その影響は日本でも。

ラパラをほぼ真似たダイワをはじめ、数々のルアーメーカーやデザイナーがオリジナルフローティングを越えようと挑み、各ブランドを成長させていきます。

結果、今では多数のミノーが生まれたわけですが、その爆発的な進化と細分化の切っ掛けは、このオリジナルフローティングだったのです。

オリジナルフローティングを生んだのはラウリではない?

あまりにも歴史あるラパラのオリジナルフローティングですが、そのはじまりはラウリがコルクから作ったファースト・ラパラがはじまりでした。

このルアーを作ったのはラウリ・ラパラというのが世の定説。

ですが、実は別の説が存在します。

それは、ラウリのルアー作りを手伝ったToivoなる人物がオリジナル・フローティングを作ったという説です。

(引用元:http://www.countryfisher.org/images/Articles/2016/Pylv%C3%A4l%C3%A4inenKahvisaarella01.jpg)

実はラウリとトイヴォは子弟関係にあり、漁のノウハウを教えたのはトイヴォだったといわれています。

父親もおらず、漁師の家系でもなかったラウリが漁師になれたのはそのため。

ラウリにとって、トイヴォは友人であり、魚釣りの師匠だったのです。

Toivo Pylväläinen viimeisen kerran Koreakoivussa

上の映像は、toivoを知る人物が彼の住む島に出向いた記録映像。

トイヴォは湖の中心にある小島にあるコテージに勝手に住み着いた浮浪者同然の男でしたが、漁師としての腕は確かなもの。

さらにその飄々とした陽気な性格と話し好きな性格から、地元では万人に好かれる人物だったと言われます。

彼はラウリの仲間の中で最初にルアー作りに興味を持ち、モトコクチマスとキュウリウオを模したルアーをライフジャケットに使われていたコルクで作ったと言われています。

しかも、トイヴォはそのルアーを使って魚を釣るばかりでなく、仲間にもルアーを販売。

その影響により、地元では有名な漁師となりルアーの専門家として名を知られていました。

しかし、トイヴォは変わり者で、誰に聞かれても自分の作ったルアーの作り方を誰にも教えませんでした──

 

──ただ、一人を除いては。

 

その人物がラウリ・ラパラ。

ラウリはトイヴォ親しく、トイヴォにとっての弟子。

そのラウリが、家族のために必死にルアーを作ろうとしているのを見かね、トイヴォはこっそりと自分のルアーの秘密を教えたというのです。

しかし、トイヴォはラウリにだけは教えても、その他の人間には決してルアーの秘密を教えたくありません。

そこで、ラウリとトイヴォはその技術を誰にも明かさない契約を交わすことに。

しかし、その契約をラウリはのちに破棄し、息子たちに技術を継承。さらにRapala社を設立しています。

この事実について後にラウリは「たしかに悪いことをしたが、あまりにもルアーが良すぎた」と弁明したとか。

シュスマの図書館にはラウリのルアーの隣に、トイヴォのルアーも仲良く並んで展示されています。

ただし、ラウリは生涯にわたりトイヴォとの契約の内容を息子たちに明かさないまま1974年に死去。

契約を破棄されたトイヴォも、自身がラウリ教えた内容を口外しないまま、ラウリが死んだ5年後の1979年に85歳の生涯を終えました。

つまり、ラウリがどこまでオリジナルフローティングのアイディアをトイヴォから得ていたのかは不明なまま。

結局、オリジナルフローティング出生の秘密は未だ解き明かされていません。

オリジナルフローティングで渓流を楽しんでみよう

というわけで、オリジナルフローティングの歴史を見てきましたが、これほどルアー界に大きな影響を与えたアイテムは無いと言っても良いでしょう。

そんな偉大なルアーなのに、値段も1000円前後で購入できてしまうし、中古でも大量に出回っているので、誰もが手軽に扱える唯一のバルサミノーであり続けています。

そんな安くて深くて釣れるルアー、このαトラウトが逃すわけがない。

スーパーdoopeなオリジナルフローティングのF5で、季節ハズレのフローティングゲームをやってきました。

秋の渓流オリジナルフローティングを投げ倒す

というわけで、向かったのは現在チェック中の渓流河川。

一日に朝の1時間程度しか釣りにいけないので、ちょっとずつ入渓ポイントをずらし川の全体図をマッピングしております。

そこで今回はF5を投入。

ラパラといえばコレなGFRカラーで挑みたいと思います。

オリジナルフローティングをシングルフック仕様に

オリジナルフローティングを渓流で使う時は、だいたいシングルフックにしております。

だいたいっていうか、まぁホボシングル化しちゃうんですが、その場合にはこうしてウェイトを追加。

F5は浮力のバランスが結構シビアだったりして、フックをトリプルからシングルにすると地獄のようにバランスが変わる。

そこで、即席のウェイトを付けるっていうのが定番です。

僕は両面テープを貼り付け、そこに板鉛をくっつけて調整してますが、完全に元のウェイトに戻すよりもわずかに軽くし、なおかつ前部にウェイトを調整して立ち上がりを速くしてます。

僕は基本アップクロスの釣りしかしてないので、上流に投げて流れにのせた直後から動き出して欲しいという欲求カスタムですね。

ただ、オリジナルフローティングは元から立ち上がりが速い上、ブリブリとよく動くので本当に良いミノーです。

ボディサイズが他の5cmクラスよりも大きめで、飛距離もいまいちなのですが、渓流だとあまりに気になりません。

一匹目は良いサイズのニジマス

ポイントに到着後、まだ薄暗い中入渓。

ロッドはいつもの鱒レンジャーにPE0.8のセッティングです。

にしても、この時期は太陽が登るのが遅い上、クマがまぁ怖い。

恐る恐る笛を吹いて周囲に「すいませーん人間通りますー」と告知しますが、それでも怖い。

しかし、今回は僕には心強い味方がいます。

僕のロッドの先には、ラパラの初期ルアー、オリジナルフローティングが取り付けられているのですから。

そこで僕は早速精神力を竿先に集中。

でろ、出ろ!お願いだから出ろ!!

そう祈りながらロッドを動かしていると、いきなり僕の肩に手が。

──誰!?

おもわず振り返ると、そこには黒い影。

まさか、出るって熊のほうですか??

そう思い飛びのくと、目の前にいたのは背の大きな老人。

厳格なまなざし。深い皺を称えた肌。

その顔には、どこかで見覚えが──

 

老人「坊主、ここはどこだ?」

僕「ま、まさか貴方は・・・ラウリ・ラパラ!?」

ラウリ「いかにも・・・それよりここはどこだと聞いている」

 

まさか、そんな馬鹿な

出ろって言ったよ?確かに。

でも出る?

ラウリラパラ出る???

 

いきなり目の前に現れたラウリラパラに困惑し、思考が追いつきません。

もしかして、このF5にはラウリの魂が隠されていて、それを偶然呼び出してしまったのか?

 

ラウリ「というか坊主、おまえ釣りしているのか?」

僕「え?ええそうですけど」

ラウリ「どれ、見せてみろ・・・フーム、見たことがないな」

そういって鋭い眼光で僕の鱒レンジャーを吟味するラウリ。

そんなにまじまじと鱒レンを見た人間はあなたがはじめて。というか人間かどうかわからないけど、ていうかナニ?怖いもう!ほんとコレナニ!?

ラウリ「なんだこれは・・・見たこともないロッドだし、このリールは?シマノ?聞いたことないな」

僕「そ、それはそうですよ・・・これ、日本のやつですから後凄い安いんで」

ラウリ「日本?なるほど・・・というか坊主、俺も釣っていいか?

僕「ハイ?え?ハイ!?」

ラウリ「ここがどこかは知らんが、もう我慢ならん、俺に釣りをさせろ!」

と、僕のロッドをもって渓流を進んでいってしまいました。

さすがラウリ、1974年に死亡するまで現役の釣り師だっといわれていますから、その釣り好きは異常。現状確認よりも釣りを優先しました。

しかも体力も半端じゃない。

手漕ぎボートを漕ぎ続けたそのタフネスで、老人とは思えない速度で渓流を登っていいます。

ラウリ「どうした坊主!遅いぞ!」

僕「すいません・・・ていうか気を付けてください、このあたりヒグマ出ますから」

ラウリ「松の木の樹皮を手に入れるためならヘラジカとも喧嘩したからヒグマなんて余裕だ

僕「ええ・・・ルアーに命かけすぎっすよ」

 

しかし、ラウリの覇気によってか?ヒグマは一向に出没せず、この僕は安心して入渓できました。

それにしても、このオリジナルフローティングにまさかラウリのスタンドが隠されていたとは。

この能力さえあれば、もしかして600ポンド爆釣も夢ではないかも?

などと思いながら、ラウリのスタンドと釣りをしたのですが、入渓から20分はまるで釣れません。

まさか、厳格なラウリのスタンドに恐れをなしたのか?

それともノーザンパイクを絶滅寸前に追いやったオリジナルフローティングに恐れをなしたのか?

理由はまるでわかりませんが、ヤマメのチェイスはあるのですが、寸前で引き返していきます。

 

ラウリ「ウーン、殺気が出過ぎているのだろうか・・・」

僕「まぁ顔がちょっと怖いしね」

ラウリ「それにこの川は狭い、なんでこんな小さいんだ」

僕「これが日本の渓流ってやつですよ」

ラウリ「KEIRYU?なんだかわからんが、ボートでトローリングすれば良いだろ」

僕「絶対無理っすね

 

まぁこの時期、フローティングでヤマメを狙うというのが非効率な釣り方なので仕方ありませんよ。

で、フォローでスプーンを投げようかと思いましたが、今回はF5だけで釣りたい。

その思いで釣っていくと、ある淵でようやくラウリがヒット。

ラウリ「なんだ?なんか小さいのが釣れたぞ!」

僕「え?小さいのって・・・ええ?これ小さいんすか?」

と、ラウリがブチ抜いたのは、良いサイズのニジマスでした。

かなりワニ顔のオス。

鼻だけでなく顔の横にも傷があり、釣り傷か、もしくは喧嘩の傷っぽい。

もしかしたら、この渓流には結構なニジマスが産卵遡上していて、オス同士が争っているかもしれません。

 

ラウリ「レインボーだな、まだ子供か」

僕「いや・・・この辺りじゃ良型っすよ」

ラウリ「これが?7ポンド(約3キロ)もないぞ?」

僕「ちょっとフィンランド換算するのやめてもらえません?」

 

これがオリジナルフローティングの一匹目。

チェイスしてひったくっていきましたが、暗い時間でもなかなかのアピール力です。

もう一人の伝説

ニジマスが釣れた淵から少し上がったポイントで、ヤマメちゃんチャンス。

ここに来るまで、小さなヤマメちゃんがスレで掛かったりしたんですが、普通のヤマメは追い切れず、足元まで来て帰っていってしまいました。

というわけで、今回も足元までやってきて、再び淵へと戻っていったのですが、もうチェイスで諦められるのは嫌。いくらフローティングだからって諦め過ぎ。

 

ラウリ「こうなれば、使うしかあるまい」

僕「使うってなにを?」

そう尋ねた瞬間、僕は目を疑います。

なんと、ラウリの体から黄金の光がほとばしりはじめたのです。

これは・・・まさか!

ラウリ「いくぞ・・・冬戦争でつちかった能力…ダイナマイト釣方!」

そうラウリが叫んだ瞬間、頭の中に見知らぬ声が聞こえてきました。

『説明しよう!

この能力は、冬戦争でダイナマイト漁と死闘を演じた時に体得した、命の危機が迫った時のみ発動する能力!周囲の魚たちの時間を止め、魂を暴走さたルアーに襲い掛からせ釣ることができるのである!』

い、いったいなんだこの説明は?

さっぱり訳がわからないうちに、黄金のラウリは僕のかわりにF5をキャスト。

バルサとは思えない飛距離で滑空し、甘い着水音で魚を誘う。

そのままラウリは高速リトリーブを開始。時折シェイクを入れると、ルアーが生き生きとした小魚に姿を変えました。

 

僕「す・・すごい!まるで本物の魚だ!」

ラウリ「どうだ坊主!これが俺のルアーの実力だ!」

 

すると次の瞬間、僕の足元につり上がった美しいヤマメが姿を表しました。

いける!これは釣れる!!

 

しかし

 

またもキャッチならず。

 

ヤマメはバイトを仕掛けたものの、フックの先をかすめ、そのままUターンしたのです。

 

ラウリ「なぜだ、なんでこれでも釣れない・・・」

僕「あの、もしかしてその技、フィンランドでしか通用しないんじゃ・・・」

ラウリ「・・・なるほど、そういうことか!

ラウリの体から黄金の光が消えます。

必殺のダイナマイト釣法も、日本のヤマメには不発に終わり、ラウリの険しい顔にもさすがに落胆の色が見えます。

 

もうだめなのか?

これほど低活性だと、もはやRapalaの問題じゃない、もうフローティングじゃ獲れないんだ──

 

──そう諦めた時です。

 

ラウリラパラの肩に、何者かの手が置かれました。

振り返ったラウリは、厳格な顔を崩し唖然と口を開けます。

 

ラウリ「ト…トイヴォ…!!」

 

それは、かつてラウリの師匠であり、友人であり、ファースト・ラパラをラウリに作らせた男

隠居者(ハーミット)のトイヴォです。

 

トイヴォ「どうしたラウリ、まだルアーで釣れないのか?」

いきなり現れたトイヴォは飄々とラウリの肩を叩き笑います。

しかし、ラウリは笑い返すことができません。

それどころか、その場でひざまずき、肩を落としてトイヴォの前で首を垂れました。

 

ラウリ「すまない、トイヴォ…あんたの技術で作ったルアーだっていうのに…」

トイヴォ「ははは!何を言っとるラウリ、これはお前のルアーだよ」

ラウリ「そんなことはない!これはあんたのルアーだよ。なのに俺ときたら……恥ずかしいよ、みんなが俺を褒めたたえて、もうひっこみが着かなくなって……」

 

ひざまずいたラウリ肩が微かに震えます。

それを抑えるように、トイヴォは笑顔を絶やさず、やさしく良肩に手を置きました。

 

トイヴォ「はは!いいのさラウリ。それに、あの時代はみんな苦しかったじゃないか!あの泥の中で生きていたせいで、今でもそのドロが取れない気もするんだよ」

トヴィオは座り込み、ひざまづくラウリの顔をまっすぐ見据えました。

「けど、お前はあの泥から抜け出せたんだ……それに、変わり者の俺には家族はいなかったが、お前には守るべき家族があったろ?」

ラウリ「トイヴォ…すまない…俺は…俺は…」

トイヴォ「はは!泣くなよラウリ!胸を張れ!お前は世界一の男なんだ!それに、俺がお前に教えたのはルアーだけじゃないだろ?諦めるな、もがきながら、それでも──

 

するとトイヴォは霧のように消える。

残されたラウリは、涙をぬぐい、僕の代わりに再び渓流に立ちます。

そして、思い出したかのようにキャスト。

先ほどと打って変わり、力なく飛んだルアーの行き先すら目で追わず、遠い目をしながら、ラウリはリールを巻き始めました。

思い出すのは、フィンランドの湖に並ぶ二隻のボートか──

ゆっくりと、流れるギリギリの速度から、いきなりグリっとリールを巻く。

その瞬間、水のなかに悶える小魚が出現。

ラウリがステイさせた瞬間、小魚は疲れ果て、水の中で腹を横に見せて浮きはじめました。

──これが、本当のオリジナルフローティングなのか?

僕が息をのんだ刹那、浮き上がろうとしたルアーが真横からがひったくられました。

釣れたのは美しいヤマメ。

ステイさせた瞬間、今まで追いきれなかったヤマメのリズムにぴったりと合ったのが肌でわかりました。

僕「すごい!良いヤマメだよらラウリ!」

そう話しかけたものの、気が付けばラウリの姿は見えませんでした。

それじゃぁ、この魚はいったい誰が釣ったのか?

渓流には釣り上げたヤマメと、その口元にぶら下がったF5の夕日のような輝きだけが残されていました。

オリジナルフローティングは歴史を背負った

その後、渓流を下った僕は夢をみていたのだと思いました。

しかし、iPhoneには写真がのこっているし…一体何がなにやら。

ともかく、オリジナルフローティングはなんともクラシカルなデザインですが、やっぱり実力は本物。

弱った小魚を演出したこのミノーから、僕のもっている様々なミノーが生まれたと思うと、とても考え深いです。

誰もが体感できるルアーの歴史を自分の手にし、それで魚を釣るという贅沢は、オリジナルフローティングにしかできないルアーフィッシングかもしれません。

それと、余談ですがラウリの師匠であるtoivo(トイヴォ)は、フィンランド語で「希望」を指す言葉。

ラウリにとって、まさにオリジナルフローティングという希望を与えてくれたあの変わり者のじいさんも、隠居者よろしくこのルアーの中にこっそりと隠れているかもしれません。

コメント

  1. QDO より:

    ついつい読んでしまうすばらしいコラムです。ぼくもラパラ買おうっと。

    • αトラウト より:

      QDOさん>お読みいただきありがとうございます!ラパラの歴史は長く、不明瞭な部分もあるので調べるのに苦労しました。
      僕もラパラ好きなので、ぜひぜひ使ってください!楽しいですよ!

  2. 赤石 より:

    いつも興味深く拝読しております。
    ラパラの歴史にワクワクしました。

    「ちょっと戦車とってくるわ」WW

    一点だけ気になったのですが、以前読んだ、民明書房の「レジャーの始り」に「ミノーの起源は中国で、祭時に魚の神・美瑙を型どった木の玩具を川に流したら、魚が川に引きずり込んだことから始まる」って書いてあったと思うんですが、あれは?

    • αトラウト より:

      赤石さん>いつもありがとうございます!
      ラパラの歴史はかなり奥深いですね、あと冬戦争もすごいです。お暇があれば雪中の奇跡をお読みください。面白いです。

      なるほど、ついにお気づきになる方が現れましたか。
      たしかに民明書房には中国での起源説がありましたが、あれは呪われた美瑙。語るものすら川に引きずり込むと言われており、僕も言及しようかと思ったのですが、ためらわれ「様々な説がある」などと曖昧にしてしまいました。
      しかしながら、民明書房とは懐かしいですので、最後にあの言葉を叫ばせて頂きたいです。

      「目を覚ますんだ富樫---!!!」

  3. ばんぱく より:

    まさかラウリ・ラパラに関する記事で
    シモ・ヘイヘの名やガッチン漁法に関する記述を
    目にしようとは(笑)
    オマケにコメントには、あの民明書房の名まで(笑笑)

    やはりラパラは他のルアーメーカーとは
    一線を画した存在ですね
    正に北欧の偉大なる巨人です

    • αトラウト より:

      ばんぱくさん>いやいや僕もまさか書いちゃうとおもわなかったんですけど気がついたらこんなことにw
      雷電は知っているのです、はい!

      ラパラは本当に他のメーカーとは違いますねー、明らかにハングリーさが違います。
      まさしく巨人。ラパラは偉大でございます。