正直最近物凄い鬱だからハードボイルドな世界に行くか釣りしたい

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けど、イカレた破壊者だったジョーカーを演じたヒースレジャーは、睡眠薬の過剰摂取で死んだ。

僕も病院をにらみつけた後、薬局で睡眠薬をもらって車に乗った。

エンジンが掛かり、シートベルトを忘れずにしめて、アクセルを踏むと、いつもの帰り道を走る。

これしかない。

映画のような人生は、僕は見るだけ。役者は演じるだけ。本物ジョーカーはスクリーンの中だけ。

だからリアルはムナシくて、いつも無力で愚かで、なるようにしかならないのだ。

車を運転しながら、頭の中をめぐっていた赤い液体が流れ出るのは止まったが、透明だった液体は青く変色して、それを見る僕の感覚を奪い始めていた。ノルアドレナリンのせいだ。よけい鬱になった僕は、コンビニでLチキを買ってそのまま家に帰った。

それからLチキをかじったあと、無駄に仕事をして今にいたる。

深夜2時。ほんとうに意味もなくこの文章を書いているわけだけど、現実の自分があまりに嫌だったのでさっきも映画を見た。くだらないジョークを言う殺し屋たちの映画だったけど、こういう気分のときは、殺伐とした笑いがいつも心の支えだ。

ハードボイルドな世界だったら、僕の憂鬱さは世界の一部みたいなものだ。

人が死に、悲しみや怒りばかりが支配する場所なら、憂鬱さなんかバーボンに付いてくるチェイサーみたいなもんか、それに口も付けづに酒を飲みながら殺し屋同士が喋るジョークの一部でしかない。

けれど、人とあえばそうはいってられない。まっとうな顔をして、まっとうな笑顔で、まっとうな冗談を言うしかない。どうせなら10分に一人死に、5秒に一回ファックと言う映画の中で生きたいよ僕は。

だから、もし寝れなければ釣りにいこうと思う。

もし寝れなければの話だし、そもそも僕は眠りたい。

でも、朝日を見てまた気持ちの悪い思いをしたくない。部屋から見るくらいなら、渓流の中で見たい。そのほうがずっとマシだからだ。

釣りをしていれば、まぁまぁ嫌な事は忘れられる。

それに、自然は憂鬱さを不思議と癒す。

それは誰もを明るくしてくれる童貞コメディ並みのハッピーワールドだからじゃない。自然は美しいけど、その美しさを作っているのはフルメタルジャケットとプラトーンとランボーを足してジョンウィックを添えたくらいな完璧な残酷さだからだ。

弱いものは死んで、強いものが生き残る。

鮭稚魚を食い荒らすニジマスが殺し屋なら、それを狙う鳥も殺し屋だし、釣りにきた僕も殺し屋だし、もしかしたらテロリストかもしれないが、それならヒグマは歩く戦車だ。

だから、渓流にいる限り、その摂理にかぎりなく従順でいられる。みんなが命のやりとりをしてる。どこもかしこも、ファックと言いまくってる。その共通点だけが浮き彫りになる気がする。人間の僕は本当に一部にはなれないし、魚はリリースするけれど、それでも渓流の摂理を作る一つのパーツになれる気がする。

すると、不思議なことに憂鬱さを忘れるし、憂鬱であっても、それが当たり前だと思える。ようは残酷な場所なのだから、憂鬱なのは不思議じゃくなるし、自然なことだと思える。

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