逃がした魚は本当に大きかったのか?それとも小さかったのか?魚に逃げられた時にわかる釣り人の性格とは

釣り超コラム
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釣りをしていると、必ず耳にするあの一言があるのをご存じですか。

それは魚がヒットした直後、ふいにラインテンションが抜けた瞬間、おもわず口から漏れるあの言葉。

「あれは大きかった!」

そう、最初は笑って聞き流していたはずなのに、気づけば自分も口にしている。冗談のつもりが、冗談ではない気がする。きっとデカかった。あれはデカい。なんか10メートルくらいあった、いや100メートルはあった、そんなのクジラじゃないか。いや、クジラなんかじゃないんだ、あれは……あれは……ああ……頭が……頭が割れる!

と騒ぎ立て意識を失う。いったい何を見てしまったのか……それは、もはや魚ではなく、神の領域の存在であったのではないか……宇宙の果てからやってきた、名状しがたい存在ではないのか……

……などというコズミックホラーの憶測すら生む「のがした魚は大きかった」というワード。これがまた不思議で、まるで水辺に立つ者たちの口から次々と呪文のように出てくるのです。

しかし、本当に逃した魚はデカかったのか?

そして、どうして人は逃した魚を大きいと言うのか。それは単なる負け惜しみなのか、それとも……。今回はそんな釣り人の都市伝説について書いてみます。

言葉の起源と伝承

昔から、魚を逃したときに「大きかった」と言うのは、水の中の生き物に対する礼儀だったと言われています。逃がしてしまった命をせめて言葉で称える。そんな考え方は、日本だけでなく世界中の釣り文化で不思議と共通しています。

英語圏には「The big one got away」という古くからの言い回しがあります。海を越えても同じような言葉が残っているということは、この感覚が釣り人の心に深く刻まれている証拠なのかもしれません。

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釣りの経験から「のがした魚はデカかった」のか考えてみる

世界中に「のがした魚はデカかった」というセリフがあるということは、日本だけでなく、世界中の釣り人が「のがした魚はデカい」と思っているということです。

では、本当に逃した魚はデカいのか?

ここから経験をもとに逃した魚がデカいのか? デカくないのか? または、なぜデカいと感じるのかを考えていくことにします。

たしかにデカい魚は逃げやすい

魚がヒットしたあと、デカい魚と小さな魚、どちらが逃げやすいかといえば、たしかにデカい魚は逃げやすいですね。

とりあえずデカい魚はパワーがあるし、首振りも大きい。おまけにファイトの時間も長いので、とにかくバラす確率が大きいです。

とくに小さなフックで小さな魚を狙って釣っているとき、偶然食ってきた大きな魚などはとてつもなくバラしやすいです。

小さな魚も逃げるがあまり気にならない

しかし小さな魚もけっこう逃げます。まずフックが大きすぎて逃げることが多いので、要はタックルバランスが合っていないと大きくても小さくても逃げやすいです。

しかし、小さい魚はだいたい逃しても気になりません。

ドカーン!とヒットしてからダッシュされ一気にフックアウトされると「あああ……」と絶望的になりますが、小さい魚の場合スルっと逃げますし、心理的にもあまりダメージがありません。

「あー小さかったか」でとくに心理的ダメージがないのです。

のがした魚が小さかった場合は、とくに声にすら出ないことも多いです。

しかしのがした魚がデカかった場合は心理的ダメージが大きく、

「アレはデカかった!!!」と叫びたくなることが多いです。

逃げた魚はデカいとしか思えない

そして肝心なのが、逃げた魚はどう考えてもデカいとしか思えないことです。

とにかく魚が逃げるときに、一気にダッシュされて、突如フックアウトという衝撃的な出来事があると、もはやデカい以外の言葉が浮かびません。そりゃもう信じられない大物だったとしか思えないのです。

それはもはや魚ではない、魚以上のなにかであった。そうだ、あれはきっと神に近い生き物。いや、それ以上なのではないのか?

といった恐怖により脳が異常事態に陥ることがあるほど逃げた魚はデカい。

だからこそ断言しましょう、逃げた魚はデカくはありません。

逃げた魚は、宇宙そのものなのです。

科学で説明できることと、できないこと

心理学では、人間は悔しい出来事を記憶するとき、無意識に少しドラマチックにしてしまうと言われています。釣りで言えば、逃した魚の大きさを頭の中で少しずつ大きくしてしまう、というわけです。

けれど、釣り人の多くはそれでもこう言います。「いや、あれは本当にデカかったんです」と。

科学的な説明だけでは片づけられない何かがそこにある。水面を割った手応えや、糸の先で暴れた力の記憶は、数字では語れないものです。

消えた魚の正体

ある釣り人は夕暮れの湖で、糸が切れた瞬間をこう語ります。水面の下に黒い影が残ったのです。魚にしてはあまりにも大きく、輪郭はまるで人の顔のように見えたそうです。

また、別の人は逃した魚が何度も夢に現れると言います。夜ごと同じ水音で目が覚め、岸辺で振り返ると暗い水面に大きな目だけが浮かんでいる。そんな話を聞くと、あながち都市伝説と笑えなくなります。

本当に大きかったのか?

のがした魚が大きかったのかどうか、誰にも答えは出せません。でも、その言葉を口にした人の中では、その魚の存在は今も生き続けています。

だから、もし釣り場でこの言葉を耳にしたら、どうか笑わずに受け止めてほしいのです。それはまだ終わらない物語を語る声だからです。

「逃げた魚が大きかった」と言う人の性格

逃げた魚が大きかったと言う人は、どこか子どもっぽい好奇心を持ち続けている人です。失敗しても「まあ次があるさ」と笑い飛ばし、釣りの一部として楽しむタイプです。周囲の人を巻き込んで盛り上げるのが上手で、仲間内ではムードメーカーであることも多いです。

心理学的には楽観性が強く、自己効力感も高いタイプとされています。バラした魚の悔しさを大きさに変えて、逆にそれを釣りのエネルギーに変えるような人です。こういう人は「釣りそのものを楽しむ」ことを優先するので、釣果に一喜一憂しすぎず、釣りを長く続けられる傾向があります。

「逃げた魚が小さかった」と言う人の性格

逆に、逃げた魚を「小さかった」と言う人は、慎重で現実主義な人です。釣りの失敗を盛らずに冷静に語り、むしろ「自分の未熟さ」をしっかり受け止める姿勢が見られます。こういう人はその悔しさを次の釣りに活かすことが得意で、釣果の安定感も高いことが多いです。

心理学的には、自己評価を控えめに保ちつつ、分析的な思考を持つタイプ。失敗を大げさに語らず、心の中で次の一手を考え続ける人です。見た目にはクールですが、誰よりも水辺で真剣に戦っているタイプと言えるでしょう。

「逃げた魚が大きい」派と「小さかった」派の性格の違い

心理学の観点で整理すると、これは自分を過大評価するか、過小評価するかの違いが大きく影響しています。……と言うとなんだか小難しく聞こえますが、要は「どうせなら夢を見たいか」「現実的でいたいか」の違いです。

「大きかった」と言う人は、自己評価を高く保ちたいタイプで、楽天的で冒険を好む傾向があります。失敗すらネタにして笑い飛ばせる人で、逃した魚を語るときもどこか楽しそう。釣りの帰り道、仲間に「あれはデカかった!」と語りながら、次はもっとデカいやつを釣ろうと心の中で燃えているタイプです。ドラマを生きるように釣りをする人とも言えます。

一方で「小さかった」と言う人は、自分を過小評価する傾向があり、慎重で反省的。言葉は控えめですが、頭の中では「あの時ドラグをもっと緩めれば……」と冷静に次の作戦を立てています。淡々として見えても、実は釣りのノートに細かく書き込んで研究しているようなタイプです。

つまり、前者はロマンで自分を高める派、後者は現実で自分を鍛える派。この違いが、逃げた魚の大きさの記憶にまで表れているかもしれません。

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