正直最近物凄い鬱だからハードボイルドな世界に行くか釣りしたい

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5月病になったというなら、確かになっている。

けど5月病っていうのは5月になるものだし、正確には4月後半から僕の憂鬱さは増した。

そもそもメンがヘラってるのは僕にとっては日常。

朝起きて、歯を磨き、朝食もとらずにシャワーを浴びて服をきて、すがすがしい朝日をみながら「気持ち悪い、さっさと死にたい」と言い出すのが僕。あと大体睡眠不足なので、朝方のハイテンションな太陽の光はパリピがEDMを爆音で流しながら挨拶してくるのと同じで、速攻でカーテンをしめたくなる。

そもそもこのブログでも、散々鬱なブラックジョークを繰り返し連呼してきた。

ということは、僕にとって憂鬱さとは自己を形成する一部。というか人体を作る90%以上の物質が水分らしいのですが、のこり10%は鬱なのかもしれない。まるでアルコール度数。ストロングゼロか僕は。

けど、もし鬱=アルコールであるとするなら、この程度の鬱なら日常生活を送れる。僕としゃべっていると、こいつ酔ってるのかと言われるかもしれないが、喋れることは喋れるし、相手もそれなりに効いてくれる。

ところが、毎年この季節と秋の終わりには度数が上がってしまう。

精神が発酵熟成し、スピリタスとかウォッカレベルにまで鬱度数があがる。

すると、もはや飲み物というか、暴動とかで飲み口に布をつめられて火をつけたあと、警官隊に投げつけられるようなレベルになる。ようは鬱のモロトフカクテルであり、僕が喋るとみんな逃げる。そういうレベル。

そんな僕を受け止めてくれるのは、こんな場所では不可能だ。

モロトフカクテルになりそうな酒を一気飲みしそうなやつらが山ほどいる、タフでハードな人と世界なら、僕は常人扱いされるかもしれない。

例えば、荒野の7人だったら、まぁ3人くらいは「うん、まぁいいけど・・・」って言ってくるかもしれない。

ダイハードだったら、人質が打たれて配管を這いまわったあと、ボスの弟を殺すくらいの時には「奴らをころしたら話を聞いてやる」位はって言ってくれるかもしれない。

ランボーだったら、敵につかまってひどい拷問を受けたあと、矢じりにプラスチック爆弾を仕込んだあたりなら「わかった、はなしを聞こう」と言ってくれるかもしれない。

ともかく、それくらいハードボイルドな鬱はハードボイルドな場所でしかなおせない。

そこで行きつけのバーに行き、マスターに「たのむ、強い酒をくれ」と頼んだのですが「そういうハードボイルドな感じで来る場所じゃないですからね、あとこれ以上強いお薬出せませんよ」とやんわりと断られてしまったαトラウトです。イエス!ホスピタル!

まぁ、そういうこと。

バーとか行けるタイプじゃないし、だいたい病院にしか行かないし、マスターではなくドクターなわけで、ちっとも僕の世界にはハードボイルドなタフガイなんていない。

いや、いないこともないし、あることはある。けど、この日はさすがに無理だ。なにせ診察日なんだから。

ちなみに、僕の担当医師は色白のやせ細った見るからに病弱そうなタイプで、とてもランボーのように機関銃片手に叫びながら乱射なんかできない。もしやったら、せいぜいウォルターホワイトのように車の荷台に機関銃を設置するのが限度。しかもドラマが終わる。

それに、こんなに鬱なのに病院の対応も楽しみだった作品の最終回を見たあと並みに最悪だった

夜寝れないといったら、毎度のごとく「はーいお薬だしときますねーー」てな具合でパソコンをカタカタ。寝れないといったら「あったかいミルクにお砂糖まぜて飲んでくださいねー」といってパソコンをカタカタ。

はぁ?なんだそれ、ここは精神科だろう?幼稚園じゃないんだぞ

と思って薬を出してくれと頼んだものの「これ以上はだせませ~ん」と一言。

しかもカタカタカタカタしてる割には全然文字が打ててない。

なんかバックスペースを押しまくる。やめろ、なんだ何を書いたんだ。なんだおまえ話聞いてんのか?”以前と変わりなし”ってなんだ?

いっそのこと音声入力してほしい速度だし、何を書いてるのかわかるからないし、そっちのほうが安心なんだが、ここにそんな設備はない。もういいよ、連休明けで患者が混んでて、さっさと診察をおわらせたいんだろ?子供を相手にしているように雑な対応しかできないんだろ?

そこで、僕は診察が終わると「わかりまちたちぇんちぇーい、サンチュでちゅたハム!」といって病室を出て行ってやった。これでヤツは精神科から出す薬の副作用で幼児退行の症状が出たうえ、とっとこハム太郎のハム語を喋り出したと下手くそなタイピングで打ち、後でわらいものになるのだ。いい気味だ。あと飢餓状態に陥ったリボンちゃんに耳をくわれろ。

診察室を出て、僕と同じく心を病んだ患者がならぶソファーに座り、次に呼ばれた金髪少女と、その少女よりも暗い顔をした母親が病室に入っていくのを眺めながらため息しか出なかった。待合室は人でいっぱいで、それがよけい僕を憂鬱にさせた。

それから長い会計待ちをしたあと、病院を出て車に戻る最中、頭の中ではイライラと鬱々がまじりあって化学反応を起こしていた。よく映画でみるテロリストが仕掛ける液体爆弾見たことは?時限タイマー付きのガラス容器の中に満たされた透明な液体の中に、血のような赤い液がまじりあっていく。これが完全に混ざりあったら、凄まじい破壊力で周囲のものを粉々にするが、頭蓋の密室に閉じ込められた僕は、それを止めることもできず、見続けるしかない。

もしこれが本物爆弾だったとしたら、いますぐ病院に戻り、自分も建物ごと吹っ飛ばしたくて仕方なかった。それに今なら、ダークナイトでジョーカーが病院を吹っ飛ばしたのかわかった気がする。あれはトゥーフェイスを生死不明にするためじゃない、あいつもアサイラム(精神病棟)出身なんだから、一度やってみたかったんだ。そりゃ気持ちいいいもんだ。嫌な記憶が大量に眠ってる、この白い建物を吹っ飛ばせたなら。

けど、イカレた破壊者だったジョーカーを演じたヒースレジャーは、睡眠薬の過剰摂取で死んだ。

僕も病院をにらみつけた後、薬局で睡眠薬をもらって車に乗った。

エンジンが掛かり、シートベルトを忘れずにしめて、アクセルを踏むと、いつもの帰り道を走る。

これしかない。

映画のような人生は、僕は見るだけ。役者は演じるだけ。本物ジョーカーはスクリーンの中だけ。

だからリアルはムナシくて、いつも無力で愚かで、なるようにしかならないのだ。

車を運転しながら、頭の中をめぐっていた赤い液体が流れ出るのは止まったが、透明だった液体は青く変色して、それを見る僕の感覚を奪い始めていた。ノルアドレナリンのせいだ。よけい鬱になった僕は、コンビニでLチキを買ってそのまま家に帰った。

それからLチキをかじったあと、無駄に仕事をして今にいたる。

深夜2時。ほんとうに意味もなくこの文章を書いているわけだけど、現実の自分があまりに嫌だったのでさっきも映画を見た。くだらないジョークを言う殺し屋たちの映画だったけど、こういう気分のときは、殺伐とした笑いがいつも心の支えだ。

ハードボイルドな世界だったら、僕の憂鬱さは世界の一部みたいなものだ。

人が死に、悲しみや怒りばかりが支配する場所なら、憂鬱さなんかバーボンに付いてくるチェイサーみたいなもんか、それに口も付けづに酒を飲みながら殺し屋同士が喋るジョークの一部でしかない。

けれど、人とあえばそうはいってられない。まっとうな顔をして、まっとうな笑顔で、まっとうな冗談を言うしかない。どうせなら10分に一人死に、5秒に一回ファックと言う映画の中で生きたいよ僕は。

だから、もし寝れなければ釣りにいこうと思う。

もし寝れなければの話だし、そもそも僕は眠りたい。

でも、朝日を見てまた気持ちの悪い思いをしたくない。部屋から見るくらいなら、渓流の中で見たい。そのほうがずっとマシだからだ。

釣りをしていれば、まぁまぁ嫌な事は忘れられる。

それに、自然は憂鬱さを不思議と癒す。

それは誰もを明るくしてくれる童貞コメディ並みのハッピーワールドだからじゃない。自然は美しいけど、その美しさを作っているのはフルメタルジャケットとプラトーンとランボーを足してジョンウィックを添えたくらいな完璧な残酷さだからだ。

弱いものは死んで、強いものが生き残る。

鮭稚魚を食い荒らすニジマスが殺し屋なら、それを狙う鳥も殺し屋だし、釣りにきた僕も殺し屋だし、もしかしたらテロリストかもしれないが、それならヒグマは歩く戦車だ。

だから、渓流にいる限り、その摂理にかぎりなく従順でいられる。みんなが命のやりとりをしてる。どこもかしこも、ファックと言いまくってる。その共通点だけが浮き彫りになる気がする。人間の僕は本当に一部にはなれないし、魚はリリースするけれど、それでも渓流の摂理を作る一つのパーツになれる気がする。

すると、不思議なことに憂鬱さを忘れるし、憂鬱であっても、それが当たり前だと思える。ようは残酷な場所なのだから、憂鬱なのは不思議じゃくなるし、自然なことだと思える。

そういうわけで、鬱さ加減は相も変わらずですが、釣りにだけは行ってきます。

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