今年ももうすぐ終わりですね。
こんばんは、αトラウトです。
ゆく年くる年近未来都市。SF映画じゃ車が空が飛ぶはずだった2017年。デロリアンを作ったドクはいまだ登場せず、デロリアン並みのボロい旧車で釣りに行き続けたこの年に何があったのか?今回は過去に戻ってαトラウトの釣り1年と、僕の考えの変化について振り返ってみたいと思います。
2017年4月釣りをはじめる
2017年4月、この時αトラウトは数年ぶりにトラウトフィッシングを始めました。
トラウトフィッシングを始めた理由は、今となっては良くは思い出せないものの、おそらくストレスですね。
もうやってられない!もう我慢ならない!
そんな時に、ふと「ちょっと釣りでもしようかな」と思って近所の川に出かけてみた。
正直、この時僕はもうやる気もクソも無かった。
仕事はさんざん。金もないし支払いの嵐。
それは今も大して変わってもおらず「人生は基本的にクソである」という考えも相変わらず。
だがこの時、僕の考えを揺るがす出来事が起きた。
そう、わずかな小遣いで買ったスピニングタックルと、たった一個だけ買ったダイワ・クルセイダー5g。
これを投げていたら、なんと50UPのニジマスが釣れた。
しかも、このド素人が、一発目から。
あまりの幸運と興奮。これが運命の一匹だったと今でも思っている。
運命なんて言葉を使うのは久しぶりだ。
そもそも、人生は初めから決まっているとしたら、その運命を決めるのはだれか?
それを「自分」とドヤるほど僕はうぬぼれていないしキラキラもしていない。リアルな話、人の一生は大半が周囲の環境で決められ、それを決めてるは社会という集合体だ。
というと神への冒涜かもしれないが、幼い頃から神がいるとも信じていない。だから道端にある黒看板の「神と和解せよ」というメッセージを見ても未だ何の共感もしないし、いくら人生に満足しなかろうとも神に謝る気もしない。
それに、もし神が僕の人生を決めたとしたら、むしろ和解のために慰謝料をもらいたい。
神はたぶん酔っぱらった後、わけのわからないポエムを書いた。それを運命というタイトルで誤って投稿した。翌朝素面になったら消そうとしたが、残念なことにすでに誰かのタイムラインに残されて変えられない。それが僕の運命とTwitterのメンヘラポエムの共通点だ。
しかし、そんな事を平気で言える僕でも、50upのこのトラウトに美しさには何も言えなかった。それを運命だと思うほどに衝撃を受け、僕は誰かが決めたとか言う二日酔いの落書きポエムみたいな人生のことを一瞬でも忘れた。
つまりこいつに完璧にやられた。
それ以外、言い表しようがこの時には無い。だから、具体的に言葉にできないことは言葉にしないほうが良いんだと思った。べらべらと僕はしゃべる。普段から。でもわからないことはしゃべらない。とにかく釣りがしたい。理由なんて特にいらないから・・・と、まるでモルヒネを求める負傷兵にみたいに、必死にトラウトを求めて釣りにいそしみはじめてあ。
トラウトフィッシングにはまりはじめる
わけのわからないものに惹かれ、僕はついに釣りをしはじめる。
貧乏だから、タックルはもちろん安物。
そして、この時に釣りをはじめるためには予算が掛かることを思い知る。
しかし、僕にはそういう良いタックルは買えない。
買えるのは月のわずかな小遣いのみ。
ただ、それでも釣りをしたいため、とにかく近所のホームセンターで売っている安いタックルで釣りをはじめるしかなかった。
資本主義はこの世界の空気も支配していると誰かが言っていた。
そんなことは無いだろうと思っていた。
それに、僕が惹かれたトラウトフィッシングはなぜかそうい資本主義とは無縁だからだ。
けれど、それは気がしたというだけ。
トラウトフィッシングは別に金が掛からないわけじゃない。むしろきちんとお金が掛かる。
ざっと計算してみよう。
多くの人が使っているタックルを購入するとする。
すると、ロッドを購入するとして、大手メーカーのエントリークラスで1万円。リールで1万円。ラインで2000円。
この辺りですでに2万円を超えているわけですが、こんなのは大したことがない。その中でも最も費用が掛かるのがルアーだ。
ルアーは一つ1000円~2000円が相場。とくにプラグ系が高い。
なに、タックルよりも安いじゃないかて?
いやいやそんなわけがない。
ルアーは、はっきり言って釣りの世界では一番の主力商品だ。
釣りに行けば、誰もが1度はルアーをロストする。さらにネイティブトラウトではトップウォーターは対して使わない。大抵がゴロゴロとした石や枝が張り出した渓流やらストラクチャーだらけの湖で投げまくるしかない。
釣りハマりだすと、一番痛かったのがそこだ。
僕は一回釣りに行くたびにルアーを一個ロストするようになる。それも毎回。だから僕は釣りに行く前に必ずルアーを購入するようになる。2か月のルアーロストだけでもロッドもリールも新調できる金額だ。
道楽なら金のことは気にしないほうが良いのもわかる。
けれど、この文章を見てもらえればわかる通り僕は痛いほどの現実主義者だし、たとえ道楽だろうと夢ばかり見ても居られないし、それは少なからず、このブログを読む貴方も同じだと思う。
例えばだけれど、僕の友人は車が大好きだ。
彼は金に糸目はつけないし、借金もする。それが道楽だとわかっている。
だが、幾ら好きだろうとも道楽は基本、金持ちのためにある。
彼の部屋にあるポスターと同じカウンタックの写真を撮るため、駐車場にあるライムグリーンのカウンタックの隣に自分の中古のホンダを並べて写真を撮影してインスタグラム乗せているのはそのためだ。
それは釣りも同じこと。
結局のところ、金がなきゃルアーは買えないし、それはメーカー側も同じで、金が無きゃルアーは作れない。
つまり、資本経済の売り買いがなきゃ今のルアーフィッシングはあり得ないのだ。
釣りの世界はお金じゃないという人も多い。
というのも、釣りはあまりお金の世界は見えてはこない。それが良いことでもある。
だが、いつの日か大物をと夢見る貧乏人の僕にとって、その仕組みは他の誰よりも痛たいほど良く見えてしまう。
そもそも、僕らにルアーを提供してくれる相手はハリウッドスターの慈善事業家じゃなくて、立派な株式会社のビジネスマンなのだ。ただでルアーを渡してくれて「さぁ大物を!」ってわけにはいかない。彼らは夢を売っている。大物や数が釣れるという夢を多くのコストを掛けて売っている。
だから、僕が大手メーカーだったらきっとこう言う。
「さぁアングラーの方々、口では言いにくいんですが自社の作ったルアーで60Upを釣りたければ、魚の口に掛かる1つのミノーと、岩の間と立木とウィードに挟まる3個のミノーを買ってください、ああすいません口で言っちゃいましたね」と。
これを一つの言葉でいうなら「釣れ過ぎ注意」もしくは「爆釣必須」
つまりそういう事。
釣れるルアーさえ作れれば、何個ロストしようが誰だって買ってくれて、その金で新しいルアーも提供できる。ルアを一つ売ろうが、一つ分の採算はまず取れないのがメーカーの量産ルアーだ。
誤解の無いように言っておきたいけれど、別にそういう世界が憎いつもりもない。
理解は良くしているつもりだけど、僕はそういうのが単に苦手というだけ。単純に沢山買ってくれないと利益なんか出ないと言いたい単純な男ってだけ。むしろだから貧乏ってだけ。つまり、憎いのは自分だ。商売には向いていない。
そんな僕にとっては、水の中のトラウト達はいつもうらやましい。
そんなことをトラウトに言えば「いざとなれば生活保護のお前らのほうがましだろ」と言われそうなのだけれど、僕は違うと思う。
生かされるのではなく、ただ彼らは自ら生きて死んでいる。
一方僕らは何かに生かされながら、何かになれと言われて生きている。今の時代なら、誰もがマークザッカーバーグやらスティーブジョブスになれと言われている。
しかし、僕はどちらにもあこがれてはいない。
だから世の中のその手の風潮はただ苦痛なだけだ。
金のために日々プライオリティに沿ってタスクを処理し。CPOについて文句を言われつつターゲッティングをやり直しさせれるが、彼らはそんなことはない。むしろ、こんな言葉は必要じゃない場所にいる、僕と同じ生き物。
そんな彼らとコンタクトできるのは、僕にとって釣りしかなかった。
釣り人は魚からはまず嫌われているだろうが、これでしかその世界に行けない。なら迷惑だろうけれど、とにかく釣りをしてそっちの世界に行きたいという願望が強まる。
つまり、心の安定を図ろうとしていたのだ。
自作ルアーを作りはじめる
「技術と知識は、常に弱者のためにある」
これは僕のモットーだ。
それをうまく生かせた例は数少ないけれども、とにかくこの世にあるあらゆる情報という情報は、おおむね弱者のために存在していると信じている。
そこで、僕はそれらの情報を当時僕の持っていた画面の割れたスマホを使って仕事の合間に集めることにした。
目的は、自作ルアーを作って少しでもルアー代金を抑えるためだ。
その結果、実際は釣りの世界では多くの人間がルアーを自作していること。そして、ルアー作成の工程についても公開していることを知る。
それではと思い、まず自作を試みたのがスプーンだった。
スプーンは僕が一番はじめにトラウトを釣ったルアーだったし、何よりミノーを作るよりも簡単だと思ったからだ。
ところが、実際にスプーンを作るのは難しいとわかり挫折。
そこで、自作しやすいスプーンはないかと思いタックルボックスを探ると、グルグルXがある。これならいけると制作に取り組むと、あっという間にルアーができてしまった。
これを機に、僕の自作ルアー熱は加速する。
ただ、他の人間とは違うのが、自作ルアーを作るというのは、僕にとって釣りをするチャンスを作るのと同じ意味を持っていることだ。
この時、実はルアーロストを重ねてしまい(元からそれほど持っては居なかったものの)手元にあるのは激安メタルバイブレーションとしてこのブログでも押しているゲキブルだけだったからだ。
もし、このゲキブルも無くしてしまったら今月は釣りにいけない。
その恐怖心から着手したのが鉄男だった。
もともと買っていたジャクソンのダニエルは、そもそも仕組みが謎で凄く興味を持っていたこともあったし、面白いルアーだけに欠点も多かった。
なら釣りの腕を磨くより先に、下手くそでも釣れて、なおかつ僕でも簡単に作れるミノーライクな鉄板自作ルアーの精度を上げようと設計を見直した。
結果、出来上がった鉄男のおかげで様々な魚が釣れた。はじめてのアメマスも釣れ、坊主の日も無くなり、ルアーロストも怖くなくなった。
僕は一から何かを作りあげることは、正直無駄だと思っている打算的なタイプだ。
だから、道楽で自作ルアーを作るという発想ははじめからなく、あくまで釣りをするための必要性に駆られて作った鉄男は、いうなれば原始時代の骨の針。もしくは北欧の漁師が作ったコルク板の疑似餌だ。
そのコルク板が魚の形を模し、銀紙を体にまとい、リップを付け目玉を付けて現在のラパラミノーとなったわけだが、僕の鉄男は今のところまだ銀紙を張り付けたレベルで止まってる。つまり、釣りをする必需品ってだけで、商品ってわけでもない。あくまで自分にとって必要不可欠な道具なのだ。
けれど、その作り方を公開してみたところ、実際に鉄男を作っり、アメマスを釣ってくれる人まで現れてくれた。これには正直感動した。やばい。まじやばい。
ブログをはじめたのはストレス発散だった
僕がこのブログをはじめたのは、正直ストレスの発散のためだった。
釣りに行きたくても貧乏暇なし理論は遥か数千年前から今もなお健在で、釣りに行きたくてもいけない日が続いた。
そこで、ブログを作って自宅でも釣りをしている気分に浸りたい。そんな欲求からブログを開設してみたのである。
このブログで僕がルアーの作り方を公開しているのは、僕と似たような人間がきっといる思っているからだ。釣りにお金を掛けたくないという人もいれば、僕のように掛けるお金を持っていないという人もいるだろう。
そして、情報は常に弱者のためにある。
僕がルアーを作れたのもネットのおかげで、誰かが何らかの理由によりルアーの作り方を公開してくれていた。
それは自己顕示欲であったり、承認欲求であったり、ボランティア意識だったりするかもしれないが、正直なんだっていい。月額5000円のWi-Fiさえあれば、ルアーの作り方は見放題。そこが重要。だから僕にもルアーが作れた。
それにイギリスでtorを作ったの学者たちや、アメリカでビットコインを作ったサイバーパンクス達と同じく、ネットの世界の反権威的なフリーウェアの精神が好きな僕は、OSもリナックスを使ってるし、だから僕が作ったルアーも、彼らと同じように公開すべきだと思った。
ついでに言えば、自作ルアーの作り方を公開して、このブログで広告収入を得ることができれば、新たにルアーを買えたり、自作ルアー開発の費用が手に入る・・・とまぁ浅はかながら必要性にかられた理由によって、僕は自作ルアーを公開していたわけだけど、その結果、自分の考えたルアーを作ってもらえるというのは、こんなにも嬉しいことだと気が付いたのだ。
このブログを続けて、自作ルアーや低価格のルアーが広まれば、お金の無い人間も釣りができる。むしろ、僕はお金の無い人間にこそ釣りが必要だと思っている。
正直に言うと、実生活では貧困にあえぐ彼らのために何かやろうとも思ってないし、大事なのは自分の懐事情だ。昔、母親に食べ物を残して「アフリカの子供たちは食べ物も無いのよ!」と怒られたけれど、大事なのは自分で、苦いピーマンを食べる苦痛から逃れることが先決。だから、金の無い僕はアフリカの難民に対して今まで募金をしたこともないし、昔バイトしてた喫茶店の店長は平気で募金箱から小銭を出してはおつり用の小銭にしていたのも知っているが、僕も店長だったらやっていたかもしれないと思っている。
それに、よくあるブログの「多くの人にメリットを与えたい」というのも胡散臭い。僕はそういうタイプじゃないから、マジで?いやいや嘘でしょリスティング広告出すサイトが何言ってんの?と鼻で笑ってる嫌な人間なのだ。
それでも、何かの役に立つ情報を届けられるというのは嬉しかったし、共有の世代である僕にとっては喜びの一つだ。
来年の抱負
正直、将来の話とかはあんまり好きじゃない。何がおこるかわからないし、約束や期待を裏切るようなことだって起きるからだ。
ただ釣りをするし、ブログも続ける。このブログではコスパを優先したルアーなどの紹介と自作ルアーの公開を続けていくと思う。
できれば一日に一度は更新したい。
どんな駄文でも更新頻度が下がると情熱もさめやすくなる。なるべくブログに触れ続けることが重要だと思っている。
というわけで今年もありがとうございました。
残念ながら、この記事のアイキャッチのふざけた絵を見てもらえばわかる通り、来年もこの奇妙なブログはスタイルを変えずに続きますが、どうかよろしくお願い致します。
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