釣りクラブとは?キッズアングラー達の狡猾な活動記録

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はいどうもαトラウトです。

先日、ザラポーチの記事でちょこっと僕の過去を紹介したのですが、そこで僕がトップウォーターを教わった釣りクラブについて書いていました。

そこでこの年になり、冷静に考えてみると。

あれ、釣りクラブって普通ないよな?

と改めて思ったんですね。

僕なんかは別に普通だったし、まわりも釣りクラブ入ってたから特に違和感なんか無かったんですけど、大人になって釣りクラブの話をすると。

「そんなクラブあんの?」

と、教育者すらドン引きしてくるわけです。

あれそんな珍しいことなのかな・・・と思ったら、まぁそりゃ珍しいかもしれないと思ったので、今回は昔の思い出を探るついでに、僕が入っていた釣りクラブについて説明したいと思います。

僕が通っていた学校には釣りクラブがあった

昔僕が中学校のころ、学校には釣りクラブがありました。

クラブ活動と部活動が別の学校だったので、部活いがいにより趣味的な活動をするクラブ活動なるものが存在したんですね。

そのクラブ活動では、漫画クラブだとか手芸クラブだとか読書クラブなど色々あって、スポーツ的なものではなく、より文芸的な要素が強いクラブが圧倒的に多かったんです。

で、なぜだかそこに「釣りクラブ」なるものが存在したわけなんですが、実はこのクラブは元々存在したわけでなく、釣り好きの生徒と釣り好きの教師が共謀してつくりあげた、完全私利私欲全開の教育予算無駄使いクラブだったんですね。

クラブ活動は生徒たちの申請により作られる

僕の学校、というか恐らく全ての学校でも一緒でしょうが、クラブ活動のためには申請が必要になります。

これは部活動も一緒で、必要となる最低部員数がそろった上で申請を行い、顧問の教師が付くことでようやく発足するわけです。

僕が中学校に入った頃、この釣りクラブというのはまだ存在せず、僕が2年生になるころにようやく発足したのですが。

何を隠そう、発足させようとしたのが僕だったんですね。

正確には僕だけじゃなく、他にも数名のキッズアングラー達が集まり、釣りクラブ発足の機会を1年制の頃から虎視眈々と狙い続けていたわけです。

そもそも、中学校の頃なんて釣り覚えたていの猿みたいなものじゃないですか。

もうとにかく釣りがしたい、もう何がなんでも釣りがしたいと腰ではなくロッドを振りまくっている年齢。

学校帰り、休日、ありとあらゆる時間を使って釣りに場に向かいたいわけで、もう時間なんていくらあっても足りないわけですよ。

しかも、当時は確かバスムーブメントが起きてからとっくに定番化した頃合い。

各メーカーも絶頂を極めていた頃であり、釣り場のプレッシャーも最高潮。

小さな野池に常に4,5人のアングラーがひしめくような状況ですから、スレのせいでもはや簡単にはバスなんて釣れない時代に突入していました。

だからもう、とにかく時間が足りない。

キッズ達の発想は非常にシンプルで『釣りに行く回数を増やす=バイトチャンスが増える』程度に考えていました。

それと、問題だったのは僕らの移動範囲の狭さです。

バスを含めたあらゆる釣りエリアは全て自転車で移動できる距離に限られているため、遠い有名スポットなんか絶対に行けない。

しかもなけなしの小遣いでタックルを揃えていたので、交通費も無い。

というわけで、僕らはクラブの発足前に次のストレスを抱えていたわけです。

 

・より多くの釣りチャンスを増やしたい

・雑誌に乗ってた超有名エリアに釣りに行く

 

特にに釣れないストレスはかなりもので、僕を含めた数人はいかに学校帰りに効率よく野池に到達できるのかを考えた挙句、安物のテレスコスピニングをバッグに詰めて登校するという危険な賭けに出ていました。

しかしベイトのテレスコは手に入りませんでしたし、いつまでも釣り具を学校に持ち込む事はできません。

もし没収されたら・・・

そう考え、中には投稿中の草むらにロッドを隠すやつもいました。

 

では、これらの問題をいかにしてクリアするのか?

この課題を目にした僕らは宿題なんかそっちのけで話しあいを重ね、ついにある友人から決定的な一言が飛び出します。

タカミチ「クラブを、作っちまえばいいんじゃないか?」

α「クラブって?できるの?釣りだよ?」

タケノリ「やろうぜやろうぜやろうぜやろうぜ!!

タケ「タケノリうるせぇよ、でもそれイケんじゃね?もしかして」

と、クラブ発足時の主要メンバーである4人(なぜか僕をのぞき名前がタではじまる)の話し合いにより、自らの釣り欲求を満たすためのクラブ発足運動がはじまったのです。

バスムーブメントの最中にアングラー生徒と教師が結託

僕らが釣りクラブ発足を画策したのは、悪なきまでの釣り欲求が原因。

しかし、いくらキッズとはいえ何の打算もなくクラブを作ろうと思ったわけでもなく、そこにはある1人の教師の存在が大きく影響していました。

その教師というのが、寺崎。

寺崎は体育教師であり、当時流行の茶髪のロングヘアーに色黒というキムタクを意識しまくったヤツ。愛車はサーフで、やたら派手好き。当時、バサーといえばまぁこんな人が多かったのを覚えているでしょう。

この寺崎も例にもれず、まさにバスブームに完全に乗っかってた人間で、いつも車にタックルをのせて学校に来ていたのを知っていました。

いや、知っていたなんてレベルじゃありません。

学校の駐車場に行くと、寺崎のブルーのサーフが置いてあったんですが、その中には僕らが憧れていた夢のタックルが山ほど積まれていました。

そのタックルを眺めるためだけに駐車場に行くことすらあるほどで、僕らにとって寺崎はまさに憧れのアングラー。

つまり、この寺崎がいるからこそ、僕らはクラブの発足が可能だと判断したわけです。

もし寺崎が顧問になれば、僕らはあのタックルを試しに使うこともできるし、あのサーフにのって遠い有名エリアにもいける。

となれば、もはや寺崎にクラブを作ってもらうしかない。

タケ「なぁ、寺崎にクラブ発足の申請出せばいいのか?」

α「あれ確か担任じゃない?」

タカミチ「なんでもいいから寺崎のとこ持ってこうぜ」

α「一応確認したほうがいいんじゃない?」

タケノリ「いこうもういこう!絶対いこう!絶対ける!」

タケ「うるせぇよタケノリ、ていうか申請用紙誰からもらうの?」

タカミチ「それも寺崎に聞くんだよ、そうしたらあいつ、ぜったいノリ気になるって」

この4名の中で最も悪知恵が働きリーダとなっていたのが、このタカミチ。

タカミチの親は大の釣りバカで、其の影響で釣りを覚えたタカミチは、4人の中で最も釣り経験値が高く、釣り好きの大人が周囲に沢山いました。

釣りキチ大人の習性を良くわかっていたタカミチは、自分たちのような子供が釣りにつれてって欲しいと頼めば、彼らが「しかたねぇ」と、面倒を見るついでに自分が釣りに行けるため、積極的に協力してくることを知っていたのです。

そんなタカミチの計画は見事成功。

直接寺崎のもとへと相談したことにより。

 

寺崎「釣りのクラブぅ?そんなもんできるわけないだろー」

一同「先生!一緒に釣り行きましょうよ!僕らに釣り教えてくださいよ!」

 

寺崎「なんだしょうがねぇな!!」

 

と、まったくもって予想通りの反応でトントン拍子。

あっという間に寺崎は釣りクラブを申請し顧問に収まったのですよ

当然寺崎はクラブ活動の顧問として釣りに興じられるわけですし、願っても無い状態。

この時の僕ら完全に結託し、ただひたすら釣りをするためクラブを設立したのです。

釣りクラブの活動内容

 

こうしてクラブが発足し、僕らは釣りをするチャンスを増やすことに成功しました。

これで釣り道具を没収されるリスクをおかし、パックロッドを所持する必要はありません。

しかし、当然好き勝手に釣りをするだけでクラブと名乗れるわけではありません。

僕らは釣りと学業を無理やりくっつけた内容で職員をごまかし、いかにも教育上よろしい行為のように見せかけていました。

もちろんこれは寺崎との相談の上決定したこと。

僕らが案を出し、それを寺崎が予算を通りやすいよう改案することでクラブ活動の内容が決定したのです。

環境観察&ゴミ清掃と名付けた有名エリアへの遠征

僕らが真っ先に行ったのは、有名エリアへの遠征をどうクリアするかでした。

これに関しては寺崎のアイディアなので、僕らはただ行きたい有名スポットの名前を羅列しただけです。

 

寺崎「ああ?お前ただ釣りに行って釣りするのなんか通じないんだよ」

タケ「じゃぁどうすれば良いんですか?」

寺崎「清掃活動だよ、やっぱり

一同「まじすか・・・わぁ・・・

当時の釣りブームでは環境問題やゴミ問題はさほど目立って取り上げられませんでしたから、当然キッズの僕らも釣り以外のことは考えられず、なんでゴミ拾いなんかするんだとブーイングとため息の嵐が起こりました。

しかし、クラブを私利私欲のモンスター結社と見られないためには、このボランティア活動しかあり得ず。僕らはゴミ拾いをすること条件に遠征を許可されたのです。

図画工作としての自作ルアー作り

続いては自作ルアー作り

確か、これは当初に予定にはないプログラムでした。

当時僕らはロクにルアーを持っておらず、プラグが1-2個にワーム2袋限界の超極貧アングラー。

そこに釣りクラブを発足した頃、誰かがこんなことを言い出しました。

 

「なぁ、予算でルアー買えないかな…」

 

そう、僕らは日本有数の金欠キッズアングラー。

バブル弾けたせいで親はどいつも貧乏で、バスムーブメントの中だというのにルアーをロクに買えない。

そんな僕らがクラブの予算でルアーを買おうとするのは当然の流れでした。

しかし、ルアーの購入はどうやっても無理かと諦めていたところ、僕らを見かねた寺崎が

寺崎「だったらルアーを作るんだよ!」

と言い出したのです。

 

当時、僕らはルアー = 釣具屋で買う物としか考えてませんでした。

そこにいきなり「ルアーが作れる?」と言われれば?

当然、僕らは飢えた野池の子バスのごとく喜び勇んで飛びつきました。

寺崎曰く、ルアーの購入は流石に無理でも図画工作の一環としてルアーを作るなら予算が降りるはずだ、とかなんとか言ってたと思います。

僕は本当は有名ルアーが欲しかったのですが、それでもルアーが手に入るなら何でも良いほど飢えていたので渋々承諾したのを覚えています。

学習教材として釣り雑誌が買えた

僕がこのクラブで何の対価もなく、完全に美味しい汁を吸えた思い出は、ルア雑誌を無料購読できたことです。

釣り雑誌は元々寺崎買っていたものですが、これをクラブ活動のためにメンバー回し読みを許可されたのです。

結果、ルアマガが発売されるとすぐに寺崎が読み、読み終わった雑誌を受け取り、授業中以外ならそれを読むことができました。

もちろん、寺崎が山のように買う雑誌の購入代金を経費として落としてましたから、本当に美味しかったのは寺崎ですね。

クラブ活動の開始と初遠征

というわけで、いよいよクラブ活動が始まりました。

ここまで紆余曲折ありはしたものの、ようやく釣りに行けると喜んだ一同は、寺崎に信越地方で超弩級の有名スポットへの遠征を願い出たのです。

 

キッズ一同「野尻湖行きたいっす!」

寺崎「はぁ?野尻湖??」

 

マンモスの化石出たことで知られる野尻湖は、僕が住んでいた場所から最も近い有名エリアでした。

しかも少し前、土曜の朝にやっていた釣りロマンで村田基が野尻湖のスモールマウスバスを白いシャッドで釣っていたのです。

当時のキッズにとってジムは神同然。

しかも、それが車なら行ける距離の野尻湖。

おまけに居るのは、見たこともないスモールマウスバス。

もうこれしかない。

というか、もはやここだろ!

とばかりに野尻湖に行きたいと寺崎にせがみました。

ところが

 

寺崎「クラブ活動で市内を出ることはできないぞ」

一同「はぁあああああ!?」

 

そうなんです。

当時、僕らは必死に野尻湖遠征を頼んだのですが、クラブ活動でそこまで遠くに行く事は許されなかったのです。

 

代わりにということで寺崎が提案したのが市の端にある○○湖というスポットでした。

 

このスポットは周辺で最も有名な釣り場だったのですが、高い山の中腹にあるため、自転車のキッズには近寄れない場所。

 

なら、せめてソコに行こう!

と、僕らの初遠征はローカル有名フィールドになったのです。

 

初体験の湖でのバス釣り

 

小さい頃におじさんに連れられ北海道のトラウトフィッシングを経験していましたが、本州に越してからバスばかりの僕にとって、湖でのバス釣り驚きでした。

寺崎のサーフに乗っかり到着した湖は、驚くほどの数のアングラーがひしめきあっていたのです。

さほど大きくない場所なのに、あちこちにルアーを投げる人達がいて、おまけにボートまで入っているわ、フローターで浮いているわ、もうわやくちゃ。

完全にバスより人間の方が多く、まるで日本1広い管理釣り場でしたね。

普段近所の野池で釣っていた僕にとって、その人の数も驚きだったのですが、さらにバスを釣る大量の大人達の姿にショックを受けましたね。

そうか、こんなに大人達もバスに夢中になっていたのか!

と驚きと感動を覚えた僕。

そこで意気揚々とルアーを投げるも

まぁ当然釣れませんよ。

あの頃はアングラーの数が完全に飽和していて、フィールドは軒並みスレていたからです。

僕はウィードエリアでゲイリーグラブの何インチか忘れたけど、とにかく白を投げて(その前に村田基が白いワームで野尻湖爆釣していたので)なんとか子バスを1匹釣って終了。

他のメンバーも子バスばかり。

寺崎はなぜかノーフィッシュ。

 

寺崎「お前ら!もう止めてゴミ拾うぞ!」

 

一同「もっと釣りましょうよ!」

 

寺崎「俺が一番釣りたいわボケ!いいからゴミ拾うぞ!クラブ活動だって忘れるなよ!」

 

と言いながら諦めきれずシャッドを投げ続けている寺崎の横で、僕らは先にゴミ拾いを開始しました。

当時のゴミは半端じゃなかった

今はどうかわかりませんが、当時の人気フィールドのゴミは凄いものでした。

まず何より多いのがタバコ。

そして空き缶やペットボトル。

釣り関係のゴミより圧倒的にこれらが多かった。

あの頃突然降って湧いたようにアングラー増えたのもあってか、そのあたりのヤンキーからサラリーマン、そして寺崎のような教師までが数年の間一気に釣り場集まったわけで、そりゃゴミなんて半端じゃない

あの頃はマナーについて教えてくれる人もメディアも皆無でしたし、ゴミを拾っている人間なんて一人もいませんでした。

ただ、ゴミに関する意識は釣りだけの問題じゃなかった。

釣り場に限らず、野山で吸い殻や空き缶をその辺りに捨てることも当たり前みたいな人間がとても多かったんです。

 

というわけで、釣り場にはゴミが沢山あるわけですよ。

それらを拾い上げなければ再びここに来れない僕らは、まぁ必死に拾いましたよ。

しかし、環境やマナーなんて意識の高い考えは一切ありません。

全ては釣りがしたい一心。

金のために空き缶を集めるホームレスと

釣りをするためにゴミを集めた僕に違いがあるかわからない。

 

α「ウェェ 誰だよ飲みかけのビール捨てたやつ」

タケ「うわクッサ・・・・お、あれワームの袋じゃん!」

α「マジで!なんか入ってる?」

タケ「・・・ダメだ・・・切れたテールしか入ってない」

α「マジでゴミかよ・・・」

てな感じでゴミを拾い集め、用意されたビニール袋が一杯になるまで集められたらようやく終了。

ただし、当時のゴミは本当に量が多く、ものの20分もあれば簡単に袋一杯にゴミが集まりました。

このゴミは湖を管理する事業所に持っていき、そこで処理してもらうことになります。

管理のおじさんが「おおエライねぇ」とかいって毎回ホメてくれるんですけど、僕らとしてはゴミ拾いなんかモウ辞めたい。正直釣りしてたいっていうのが本音でしたね。

自作ルアー作りを予算でやる

続いて自作ルアー作りですが、これは思い切り予算が降りました。

しかも道具はその辺りのホームセンターで売っているレベルじゃなく

自作ルアー専用の高級部品を使えたんですよ。

もう信じられないですね。

今考えたらキッズにはまぁもったいない道具。

使う木材も良いものを使っていて、今なんか普通にホームセンターの激安バルサなのに、まぁエライ違いですよ。

それを使って自作ルアーを作ったのですが、図画工作室にあった道具をフル活用できたので、電動ノコにルーターとなんでもそろってました。

なお、寺崎先生は自作ルアーにも詳しく、愛用していたトップ系ルアーの作り方を教えてくれました。

 

寺崎「よーしお前ら、自作ルアー作るけど、最初はトップウォーターからだ」

α「何からやるんですか」

寺崎「きまってんだろ!スウィッシャーだよ!」

 

そう、僕が初めて作った自作ルアーというのは、何を隠そうスウィッシャーだったのです。

ところが、僕はこの頃、スウィッシャーは釣れるルアーだと思ったことが無かった。

なぜならトップはドッグウォークさせるか、ポッパーでカポカポさせてナンボだと考えていました。

それに、あの頃はI字系ルアーという発想もなかった。

動かないルアーに意味はないと考えていた僕は、ただ棒引きでペラをクルクルさせるだけのルアーで釣れる気がしなかったんです。

また、こう考えたのは僕だけでなかったらしく、他の皆も「クランクがいい」「ポッパーが良い」などと言いまくり

 

寺崎「うるさい!スイッシャーはお前らでも簡単に使えるトップルアーなんだよ!いいから作るぞ!」

 

と、見本に持ってきた寺崎愛用のトピードを見せ、それを見本にスィッシャー作りがはじまりました。

作り方は簡単。

木材を削り、トップを丸く、テール側を細く削ったあと、塗装をほどこします。

たしか絵の具を使って塗ったと思うんですが、僕は真っ黒なボディにして、そこにヘドンのボーン模様を描きましたね。

僕はこのカラーのヘドンは一個も持ってなくて、近所の小さな釣具屋にも無かったんですよ。

だから、どうせならボーンカラーにしてやろうと。

これでトビード買わなくてもいいぞ!と思ってたんですね。

でもよく考えると、あの材料で作ったスイシャーってトピードより高いんじゃ。

そんなことはつゆしらず、ムラだらけの絵の具の黒でぬったボディに、筆でボーン模様を描いていて、あとはドブ漬け。

仕上げに専用のペラとヒートンを埋め込み、これで完成。

ウェイトを仕込むこともなく、準備したパーツを付けるだけで完成する超カンタンなトップウォーターこそスイッシャーだったのです。

ちなみに、これが僕が人生で初めて作った自作ルアーなんですが

実はこのルアーで釣れたことが無い。

初ルアーで初フィッシュっていう良い思い出がぜんぜんない、超クヤシイ

その後クラブ活動が終わるまで、はじめて作ったスウィッシャーでは1回もつれることがなく、そのあと作ったPOP-Rにスウィッシャーを付けた謎ルアーのほうが釣れてました。

あと、ミノーを作ったりだとか、なんかタイガーみたいなやつとか

最初に強制的にスイッシャーを作らされたあとは、結構自由に好きなルアー作って良いと言われてました。

僕は小遣いで買えなかったルアーを作って、なんとかプラグのバリエーションを増やそうと必死でしたね。

さすがに日本の超人気プラグは無理だと思ったし、ぜんぶプラだったし。

真似したのはヘドン、ボーマー、ブーヤー(スピナベも作った)

だいたい寺崎先生の影響だったけど、アメリカのルアーはウッドで作ってもいい感じに動くデザインが多く、形成も楽だし、作りもシンプル。自作ルアーのお手本にするのにうってつけだったんです。

釣りクラブで学んだことは何だったのか?

こんな感じで釣りクラブの活動は中学を卒業するまで続きました。

このクラブ活動について今思い返すと、まぁ色々と学びましたね。

まず第一に、キッズは釣り好きの大人をとっ捕まえるのが一番メリットが大きいということ。

子供だけなら不可能な遠征も、釣り方を知ることも、全て釣り好きの大人が近くにいるだけで可能にしてくれるわけです。

それと、ゴミ拾い活動は今思い返すと結構貴重な体験でしたね。

あの当時、釣り場でゴミなんか拾ってた子供はいなかったですから、釣り場清掃のパイオニアとか名乗って良いすか?

うん冗談

ぜんぜんゴミ拾い楽しくなかった

でもあの修行は本能にスリこまれていて

今でも無意識にゴミがあると拾っちゃうんですよ。

完全に調教されましたね。

まじで万引きクセのあるおばちゃんみたいに「気がついたら拾ってたんです・・」って言うレベルですね。

 

まぁなんか、これといって学んだことは釣りのことだけで、人生に大きな影響を与えた何かってのはないんですけど。

うちは親が釣りをする人間じゃなかったんで、釣り好きの大人と一緒に遊べたのは良い思い出。

今も何処かの学校で釣りクラブができて、釣りキチのキッズ達があれこれ画策しているでしょう。

 

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