本当に嫌なことに僕の人生はまみれてる。
そう確信したのは、つい今さっきです。
それはもちろん僕が貧乏だからでもあるんですが、根本的には違うというか、ナント言うか。
そもそも、今日は体調が最悪だったわけですよ。
今日は病院で2つも診察があり、朝から午後までずっと病院。
それでも自宅で仕事もしなくちゃならず、さっさと請求書とかも作る。
おまけに車庫の片付けなんかして、もうさっさと寝よう。もうモニターなんか見たくないぞと思ってたのが、薬を飲んで寝ようかと思ったら、やっぱり目が覚めてしまい、ブログを書き始めたわけです。
そういえば、昔占い師に手相を見てもらったら「基本的に不幸だが、不幸じゃなきゃ幸せになれない守護霊がついてる」みたいなことを言われたのを思い出す。
なんだそれ、守護霊じゃなくて悪霊だろとツッコんだものの、バカにすると暴れてより不幸にされるらしいのでディスれないαトラウトです。シャーマン!
でも、こんな記事を書くつもりじゃなかったわけですよ。
本当のところ、今日は以前のゲキブル釣行記の記事を書こうと思い、写真ファイルをドライブから移送している時、ラインの通知がなりました。
僕はとにかく昔からラインの通知がなるのが嫌いで、家の中ですらマナーモード。それでも必要な連絡が来るので通知設定は切っていないけれど「ああ、なんかきたよ・・・」と、ため息もらしながら画面を見たわけですが、そのせいで、ちょっとブログに書き記しておくべき記憶が蘇りました。
ヒッキー時代の高校の自分とミチさん
で、問題のライン。
連絡してきたのは友人の母親。ミチさん。
内容は「元気?ひさしぶり?」
そこで僕は「久しぶりです、元気じゃないですけど」と返しておく。
僕の場合、元気かと聞かれたら、社交辞令で元気と返したことはない。其の手の挨拶には体が拒否反応を起こしてしまうせいで、ラインだと面と向かってもいないから、つい本音が出る。そのせいで色々苦労してるけど。
だけど、ミチさんの場合そんな心配はない。
ラインはすぐに帰ってきて「元気だって言ったことないけど元気じゃん!」の一言と、爆笑する猫のスタンプ。
あいかわらず、細かいことは気にしない人なので、僕も苦手なことをせずにすむ。久しぶりのラインでも、別に気にせずに住む人だ。
ミチさんは、僕が高校時代に入り浸ってた友人宅の母親だ。
友人はタケちゃん。僕の幼なじみ。
学校も家も嫌いだった僕は、その家に一日中どころか、2日、3日と泊まることも当たり前になっていて、もはや第二の自宅のような場所だった。
其の当時、僕はちょうどヒッキー生活からぬけだそうとしていた時だった。
当時の僕は今ほど周りに本音を漏らすタイプじゃなかった。そりゃ当然で、頭の中じゃいつもクソみたいなことしか考えてなくて、ストレスから逃げるのに必死だった。クソなことを考えているのは今も一緒だけど。
とにかく、それが原因で学校に行くのが嫌になり、自宅に引きこもっていたのをみかねた親と教師が、とりあえずテストを受けないと進学できないと言い出したのだ。
そこでテストだけでも受けるようにと説得され、僕はしぶしぶ学校に通いだした。もちろん最初は無理だった。授業を一時間受けるのが限界で、ストレスのせいですぐに学校から逃げ出した。
その後逃げ込んだのが、ミチさんの家だった。
息子のタケちゃんは僕と幼なじみで、中学から中が良かった。一緒にゲームをしていたし、高校にあがるのタケちゃんはオンラインゲームに夢中になる、僕ほどでは無いにしろ、学校をサボって家でネトゲをしていることが多かったからだ。
そこで僕はタケちゃんの家に逃げ込んだあと、学校に隠し持っていたPCケースを取り出し、中からラジオライフを読んで組み上げた自作のスクラップノートパソコン「メビウス改」を引っ張りだして、タケちゃんと一緒にネトゲをしたり、コピーしたプレステ2をやったり、会員制の海外ポルノサイトに勝手に入っては違法ダウンロードをかましてファイル共有ソフトに突っ込んで映画を落としたりしていた。(まだインジェクションアタックが簡単にできた頃の話だ)
それに、タケちゃんは釣りもやった。
一緒に行くのは近所の溜池で、誰かが持ち込んだブラックバスが勝手に繁殖していた。
そこにいくと、野池の近くにすむタカノリがよくスピナーベイトを投げていたのだけれど、こいつはあまりにも変なやつで(中学の頃に突然叫びだし、教室を抜けだしてグランドを走りはじめ教師に羽交い締めにされた)、いつも気持ち悪いほどテンションが高いから普段は話さないけど、釣りをしている時だけは僕もタケちゃんも話をした。もちろん、会話は噛み合わなかったけど。
それから日が暮れるまで僕はサミーをドックウォークさせ続けたが、水面を割ることはめったになく、いつもアクションの練習ばかり。
タケちゃんはゲーリーのカットテールで小バスを釣るのが趣味。
テンションの高いタケノリは騒ぎながらスピナベを放り投げては、コンスタントに良いバスを釣る。こいつは気持ちわるいやつだけど、短距離走と釣りだけは天才的に上手かった。
日が暮れ、タカノリを置いてミチさんの家に戻っても、僕はあまり自分の家に戻ろうとは思わなかった。
親は僕をヒキコモリから脱出させようと必死だったせいで家にいずらかったし、学校に行けない自分は迷惑だけかける子供だと思ってもいた。はっきり言って、自分が親だったら、こんな子供は本当に迷惑以外の何者でもない。そう考えていた。
かと言って、学校にも行けずじまい。ほんとうにカスだ。
だから、うるさいタカノリを除けば静かだったバスのいる野池と。いつ行こうと受け入れてくれるミチさんの家だけが逃げ場になっていた。
だから僕はよくミチさんの家に泊まった。
翌日には家に帰るけれど、次の日に学校に行っては、また耐えられなくて逃げ出し。ミチさんの家に逃げ込み、タケちゃんと遊ぶ。そんな日がしばらく続いていた。
でも、ミチさんもタケちゃんもいいとして、父親はそれに文句を言わなかったのか?追い出されそうなものだけれど・・・と、思った人は良い環境で育ってるから安心すべきだ。
一方で、察しのついてた人は残念ながら僕と似たような環境で育ったかもしれない。日中から変な子供が入り浸れる以上、当然ミチさんはシングルマザー。子供はタケの他に弟1人。仕事はコープの派遣宅配員。つまり、貧困家庭の母親だ。
当時から、タケちゃんをはじめ、僕と付き合いのある数少ない友人の家はそんなのばっかりだったが、ミチさんの家はぐんを抜いて貧乏だった。
家はとんでもないボロ屋で、木造むき出しの2階建て。
一階には土間があるし、階段はいつだって壊れそうだったし、窓ガラスなんかテープでとめた場所が幾つもあった。
しかも、それで借家だっていうんだから驚きだ。あの家だったら土地を付けて買ったって100万もいかないレベルなのだから。
ただ、当時の僕には土地の価格なんてわからない。
それに子供二人をコープの宅配バイト程度で養えるわけはないことも。生活保護寸前どころか、一度受けたこともあるってことも。
代わりにミチさんの家の貧困を思い知ったのは、冷蔵庫の中を見ただった。。
あれほど何も入っていない家庭の冷蔵庫は今でも見たことがない。
本当に何もない。6缶パックのビールに、冷凍パスタと、モヤシ。野菜室なんかいつも空っぽ。冷蔵庫の隣にあった掃除機のダンボール箱に、ダンボール箱には、インスタントラーメンとパスタがやたらとつめ込まれてたのも覚えている。
だから、僕はミチさんの家に行く時には、必ず食料を持っていったほどだ。自分の食べるぶんだけじゃない。時には家にあったコメや野菜を勝手に持っていったことすらある。
ただ、それをやっていたのは僕だけじゃない。僕以外にも。あの家には何人も人間が入り浸っていたのだ。
僕がなぜここまで、あの入り浸っていた家を「ミチさんの家」と書いているのかは、そこに理由がある。
普通、子供が遊びに行く家は友人の家と呼ぶ。
つまり、本来なら「タケちゃんの家」なのだが、それがミチさんの家になっていた理由は、僕を含めた何人もの人間が、ミチさんに会いにきていたからだ。
ミチさんが僕みたいな人間を受け入れていた理由は1つ。
ひたすらに人が良い。
それも、半端じゃない。
僕も今まで「人の良い人間」と言われるタイプの人間を見てきたけれど、それに比べると、ミチさんのレベルは仏に値する。つまり、もはや人間離れしていると言っても良い。
まるで僕と真逆。すでに性格がネジ曲がってた僕は、人付き合いなんて死んでもしたくないってタイプだったし、こだわりも以上に強いし、すでに嫌いな人間も山ほど居た。
けれど、ミチさんにはそんなものが一切ないのだ。
ミチさんは学校から逃げ出してきた僕を、無理やり学校に行かせようなどと微塵も考えていなかった。家に帰って僕が勝手に居ようとも、「学校どうしたの?」とか笑って聞いてくるけれど、それ以外は何も聞いてこない。「仕事だからタケと掃除しといてね」とか言うだけだし、タケが居ないけれど家に居た日も、まったく同じで「タダイマー、ご飯たべた?」と、いたって普通なのだ。
そんな異常なほど人の良いミチさんのもとには、当然僕以外にもへんてこな奴らが集まる。かなりの人数がいたし、そいつらが連れてきたツレまでいたから全員はとても思い出せない。
ただ、僕にとって幸いであり、はっきりと思い出せるのは、そこは教室じゃなかったってこで、大半は制服じゃなかったし、大人も多かった。
おかげで、当時の僕はミチさんの家で合う時だけ、人見知りをせずに住み、時々居る名前の知らないやつにも平気で話かけられた。
それと、野良猫。
ミチさんの家にはいつの間にか大量の猫がいて、それにミチさんは餌をあげていた。結果として全員飼い猫になってしまったのだが、家の中のどこにでも猫がいた。
そして、一番密集度が高くなるのが夕食だ。
野良猫を含め、ミチさんの家に集まる人間はきまって夕食をミチさんの家で食う。中にはミチさんが呼んだ人もいたけれど、大半は勝手に集まった連中だから、いつ、何人になるかなんてまるでわからない。
そして、そいつらの夕食を準備するのも交代制であり、忙しいミチさんノテを煩わせまいと、いつのまにか暗黙のルールが決められた。
しかし、問題は料理が出来る奴が殆どいなかったことだ。
その家に集まるのは、野良猫に人間の遺伝子を無理やり突っ込んで作られた出来損ないみたいな奴らばかりで、そもそもまともな食生活なんて人生で一度も体験したことない奴ばかりだったのである。
そのくせ食欲だけは尋常ではなく、飯どきばかり集合してくる。
其の結果、唯一料理が得意であり、もっとも入り浸っていた僕が食事当番の大半を占める結果となってしまった。
夕食の時はいつも大変だった。
作るのは大抵がパスタ。安いし大量にゆでて、レトルトのソースをかければすぐに出来るし、子供でも楽勝。
ところが、夕食の準備の途中でミチさんの家に入ってくるやつまでいるのである。そいつらが「ご飯ある?」とかヘラヘラと言ってきても100%ない。僕はプレッシャーとストレスのせいでキレてしまい、知らないやつだろうが「来るなら飯もってこいよクソ!ミチさんちは食料なんかないんだよ!」と、人付き合いの苦手っぷりを全力で発揮していたが、「なに怒ってるのよー」と笑って、必死にパスタをゆでまくる僕をつまみにビールを飲んでいた。
ミチさんは良く笑う人だった。
怒っていることもあったけど、喜怒哀楽が簡単に変わる上、其の大半は喜ばかり。しかも細かいことも気にしないし、人の悩みも良く聞いていた。みんなに好かれていたのは間違いないし、僕もあんな人間になりたかったが、すぐに無理だと悟った。それほどにお人好しなのだ。
そのミチさんが一番笑っていたのは、確かミチさんの恋人がはじめて家に来た時のことだ。
その時飯を食っていたのは、単車でやってきたヤンキー2人。そのうちのセキは院から出てきたばかりで、近所のスーパーを叩いてパクられるというダサ過ぎる内容でウケを取っていた。それとミチさんのバイト仲間の不倫カップル2名。終始イチャついていたが、ここでは気にする必要なんかなかったし、僕もたいして気にならない。そういう場所なのだ。
それと、僕とは違って高校にきちんと言っていて、空手部部長で成績優秀なユウ。こいつは僕の面倒をひたすらみようとするヤツで、うっとうしいけど根はひたすらいいやつだ。それと、僕がたまにシナリオを書いていた、漫画家を目指すメガネのサキ君。彼らは僕を学校に連れてこようと説教しつつ、結局大抵一緒に飯をくっていた。
そして、ミチさんの彼氏。
その彼氏はシェフで、その日の料理は僕ではなく其の人が作っていた。
料理は鍋だったが、味は僕が作る量産型パスタとは比べものにならない。息子のタケちゃんも旨いと喜んで食っていた。きっと複雑な気持ちだったろうけど、楽しそうにしていた。本心はどうあれ、母親にようやく彼氏ができたことを、タケちゃんは安心していたし、上手く言って欲しいと思っていたのだ。
タケちゃんのオヤジ。つまりミチさんの元の旦那は最悪だったらしい。
旦那は農協のお偉いさんで、もちろん金はあったし、生活には何も不自由は無かったらしい。それに、僕が見た以前のミチさんの家はどこよりも立派だった。新築でデカくて車も立派で、大人はみんなあの家をうらやましがっていた。
けど、タケちゃんがあの家が大嫌いで、ついでに父親のことが死ぬほど嫌いだったのは、その時から知っていた。
タケちゃんの弟は父親に暴力を振るわれることもあったらしいし、とにかく身勝手な性格のヤツだったと話に聞いてる。
それから僕が高校に上がるころ、ミチさんは離婚。あのボロ屋に引っ越して、パートの宅配をはじめたのだ。
それから、次第に人が集まりはじめた。
それが良かったのかどうかはわからない。人生いつも満たされてるわけじゃない。金がなくり、クソなオヤジと別れて貧乏になったミチさんだけれど、かわりに多くの人間と一緒に笑って夕食を食えていた。それが幸せってやつなのかもしれないけれど、それは僕が言うことじゃない。他人から見た幸せなんて、いつも便所に転がってるトイレットペーパーの芯位の価値しかないからだ。
けれど、あの時だけは幸せだったはずだと言い切って良い。。
僕も安心していた。こんなにも料理が上手いんだから、僕が必死に作ることもなくなる。そう思うと、なんだか寂しい気もしたし、みんなも寂しかったと思う。もちろん僕の雑なパスタが食えないことじゃない。結婚したら、もうこの家には集まれなくなるからだ。
だが、そうはならなかった。
それから2ヶ月後、ミチさんの家の二階に線香の匂いがするようになった。
小さな仏壇だった。
スライド開閉式のタックルボックス位の大きさで、それはミチさんの寝室の奥に置かれていたが、中にあったのはもちろんルアーじゃない。
事故だったらしい。
その夜、ミチさんの彼氏は店を閉めたあと、駐車場まで歩いて帰る途中、酔っぱらいの車に轢かれた。ただ、タケちゃんが知っていたのはそれだけで、ミチさんに直接詳しいことは聞けなかった。
僕も線香を上げた。一度しか話したことは無かったけれど、ミチさんのためにあげた。みんなもそうだった。保護観察付きだったセキも、今度はタイヤ窃盗で追い回されている最中にやってきて線香をあげていた。
ミチさんはそれでも笑っていた。
「なにしてんの?」と、セキに突っ込んでいたけれど、無理していたのは僕もタケちゃんもわかっていた。セキがそのあとまた捕まったと相方から聞いた時も笑っていたが、やっぱり、見ていられなかった。
それから皆がミチさんの家に集まるたびに、自分で食べる以上の食料を持ち込みはじめた。
そりゃもう冷蔵庫はいつもパンパンで、ミチさんも「こんなに食べれないよー」と言っていたが、それでも食料は増え続けた。
結果、生物持ち込み制限がタケちゃんから発令されたものの、いつも食べていたパスタとレトルトソースだけはひたすらに増えつづけたし、中には掃除機やらビデオデッキまで持ち込んで、ミチさんの古い家電と交換したやつもいた。盗んだやつじゃないと言っていたけれど、それはどうだかわからないし、聞く気もしなかった。
みんな、どうしたらいいのかわからなかった。
タケちゃんはいつも注意されていた部屋の掃除を自分でやりはじめた。僕はミチさんの家に行くと、いつも何をしたらいいか聞いていた。何もすることなんかないと笑われたけれど、それでも、何かしなくてはと思った。
それから僕は、まともに学校に行こうと努力しはじめた。
理由は1つじゃない。けど、その原因にミチさんを心配させないようにしようという思いがあったのは事実だ。
自分の親に迷惑をかけ、さらにミチさんまで心配させないようにしようと思った。なんてカッコつけたけれど、やっぱり学校がキツくてミチさんの家に逃げ込んだが、その日はいつもより1時限は長く学校にいられた。
それから高校を卒業するまでの間に、ミチさんは次第に明るくなっていた。もともと明るい人だし、立ち直りも早い。僕だったら自殺ものだったけれど、ミチさんは無事だったのだ。
けど、それからミチさんは誰とも交際せず、今も独身。
だから、傷はきっと今も消えてないだろう。
それに、僕が高校で3限目までふんばれるようになった頃、ミチさんは死んだ彼氏ずっと頭の中で生きてると言っていたのを思い出す。
で、正直僕にはよくわからなかった。それって妄想の中で?いや、記憶か?それとも心か?何がなんだかわからず、若干スピリチュアルでキモいとも思ったし、大切な誰かが死んだら、あのミチさんですらこうなるんだと思った。
けど、それでもミチさんは仕事に行って、家に帰ってきたら皆と明るくしゃべっていた。それを見て、僕も学校に通える気がした。僕みたいな人間とミチさんはまるで正反対だけれど、無理をしてでも学校に行った。
学校ではユウが僕の面倒を見ていた。いつも辛くて授業をスッポカすと、だいたいユウが僕を教室に連れ戻す。あいつも母親みたいなやつだった。
それから、僕が無事高校を卒業した時は、親も喜んだけれど、ミチさんも喜んでくれた。
だけど、僕は地元を離れて東京に行くことになっていた。
ミチさんの家は好きだけれど、地元は嫌いだし、やりたいことがあった。タケちゃんもプログラマーになるため専門学校へ。ユウは大学に行くし、あそこに居たやつの大半は地元を出て行く予定だった。セキは出たり入ったりだろう。タケノリはわからないし、今でもあの野池でスピナーベイトを投げてそうだ。
それに、僕は色んな世界を見たかった。学校という狭い場所や、社会という狭い見方だけじゃない。カスだろうがゴミだろうが、色々なものが交じり合って、わけがわからないけど自由になれる気がした、あのミチさんの家みたいな世界が世の中にあると知ったから。
僕が東京に行く日の前、ミチさんの家によった。
僕は何時もよりも沢山の食料を持っていてた。特にコメは重かった。もう食料を持ってこれないと思ったから、家にあるのを黙ってかき集めたのだ。
そのコメを渡そうとおもったけれど、ミチさんが笑いながら「そんな重いのもてないから!」と笑われ、それもそうかと家の中まではこび、いつもの冷蔵庫の横に置いた。
それから振り返ると、僕はミチさんが初めて泣いているのを見た。
ミチさんは「ちょとまってて」と、慌てて二階に上がる。しばらくして、鼻を噛みながら一枚のCDと雑誌を持ってきた。
ミチさんは昔、音楽雑誌の編集者だった。大学時代にアルバイトをしてそのまま入社したらしいのだけれど、結婚して地元に戻りってしまい、働いていたのは5年もないらいし。
その雑誌はコアなオールドファンなら誰でも知っているし、デビットボウイがなんども表紙を飾っている。
そのうちの3冊を渡され「これ、欲しかったでしょ?」と言われた。古本が好きだった僕にとって、その価値はかなり高い。
そして、CDだ。
渡されたのは、MARVIN GAYEのベスト盤。
その裏面を指さし「この曲が一番好きだから聞いてるの」と一言。
曲名が長いし英語だからよくわからないけれど、とにかく大切なものらしい。
そんなものをもらっていいのか?尋ねると「ううん、これ新しいやつだから」と一言。どうやら大切な一枚をプレゼントというわけじゃないらしい。
とにかく僕はそのCDを受け取ったわけで、久々にラインがきてその曲を思い出した。
当時はどんな曲か良く知らなかったけれど、たまに聞いている。
英語も今では多少わかるようになって、歌詞もなんとなく。
だから、もしかしたらミチさんは、彼氏が死んだ時も、僕に死んだ彼氏が生きているといった時にも、この曲を聴いていたかもしれない。
けどそのことはもう今は聞けない。
全部昔の話。みんなもう戻れないし、戻りたくない人だっている。
僕は改めて目の前のスマホを見た。
当時のガラゲーには無かったラインは嫌いで、たまにガラゲー時代に戻りたくてしょうがない。
でも、アイテはあのミチさん。
そのまま無視はできない。
『どうしたんですか急に?』
『最近人にすすめられて、アフィリエイトはじめたんだけど、αちゃんパソコン詳しいでしょ?これって儲かるのかな・・・』
『アフィリエイトって・・・・なんでまた急に?』
『ほら、私ももう年でしょ?それにお金もないし』
なんだか話がうさん臭くなってきた。
『それで、どんなアフィリエイトなんです?』
『えっとね、情報商材っていうらしいんだけど」
まず、これはまずすぎる。
『こんなやつなんだけど!』
と、猫のスタンプで土下座のあと、URLが送られてきた。
急いでみると「豪華大得点!入会5万円で今なら大富豪のチャンス」と書かれていた。
だめだ、完全にダマされてる。
『いや、これはダメですよ、百パーセント詐欺ですよ』
『え!そうなの!これが良いって言われたから』
『誰にですか?』
『知り合いでアイフリエイト会社やっている人がいて、それで』
ミチさんは人が良いせいで無駄に人脈が広い。そのせいで、こんな変な奴とも付き合いができてしまう。
僕は必死に情報商材なんて一切儲からないことを説明し、結局ネズミ講になるだけといった。ミチさんはなんとなく理解したらしいが「ヘェーソウナンダー」と笑って聞いている。ダメだ。この人はどんな詐欺でも騙される。
『じゃぁやらないほうがいいんだね?』
『絶対ダメっす!つうかアフィリエイトなんかやってるやつ僕もふくめてロクなもんじゃないです』
『αちゃんも?』
『そうっす』
『そういう自己卑下するクセよくないよ、昔からだけど、いい所もあるんだから!』
と、またネコのスタンプ。今度は爆笑して転げまわっている。
『とにかく、がんばってね!辛いことあるかもだし、αちゃんは体弱いし、根暗だけど前向きに!」
『そうすか、はい、そうすね、がんばります』
そう返して、ラインは終わる。
きっと、僕の返信でミチさんは笑っていたに違いない。
頑張る。何を?わからないし、あのころから人生はいつもクソとしか思えない。
それにあのころみたいに、夢があるわけじゃないし、もうどうにでもなれってところが本音だ。
だけど、それでも生きていく。
何をしたって、みんなそうして生きていく。
そうするしかない。
ミチさんみたいには無理だ。それでも、悪態をつきながらで、どうせ明日もクソな日が始まると知っていても。最悪もう死んじまっても良いと思っても。
というか、やれるはずだと思って今も生きているし、思い出せる記憶はクソばかりじゃないし、忘れないようにしていることだってある。タケちゃんと違法ダウンロードで見たタイタンズも忘れないし、みんなであの家でみた金曜ロードショウの天使にラブソングも。それにミチさんや、あの家に居た連中のことも。
だから、きっと大丈夫な気がしている。
あの時から、僕は一人じゃない。
コメント