物には歴史がある。
とはいうものの、それは歴史を知る人間がいてこそ、はじめて価値が生まれるというもの。
それがなければ、いかにレアなルアーだろうと、わずか200円でタックルベリーで売られてしまう。
そんな正体不明の中古ルアーにスポットライトを当てようというこの企画。
名づけて「謎のルアーを追え!」
こんな企画をやる以上、もはや奇妙な中古ルアーに魅入られ抜けられなくなっているαトラウトです。名付けてる場合じゃない。だれか助けて。
さて、前回中古ショップで購入した謎のスピナーについての記事を書きましたが、今回はその続きになります。
中古ショップで深紅のスピナーを手に入れた
今回調査するのは、この200円で見つけてきた真っ赤なスピナー。
一見してかなり古そうですし、塗装もはげかけています。
しかし、この深いレッドのスピナーは見ためもキレイだし、なんだか惹かれる魅力があり購入してきました。
スピナーって、なんだか懐かしさを誘うルアーですよね。
僕がスピナーを使ったのも、まだ釣りもしらない子供のころでしたが、その時に「ただ投げて巻けば釣れる」という手軽さで小さい魚を何匹か釣っていたのを思い出す。
このスピナーを買ったのも、そういう郷愁に似た気持ちもあったかなと思います。
デザインは妙に古い。
というか、ウェイトやフック、その色や質感がもう懐かしい。
たぶん、このスピナーをもって「これ使ったことある?」と聞いてみたら、誰もが「前に使ったことあるかも」というデザイン。
一回も投げたことないのに、なぜか投げたような、むしろ魚すら釣ったような記憶すらある暖かさがあります。
しかし、その記憶はやはり偽物なんでしょう。
こんな真っ赤なスピナー投げたことないですし、ルアーのロゴにも見覚はまったくありません。
かなりかすれていているのと、赤背景などで読みずらいですが。
どうやら「OLYMPIQUE」と書いてあります。
さらにその下には、ロゴと思わしき3つの丸が重なり合った線。
さらにその下には「MADE IN FRANCE」という輸出元の国の名前が彫られています。
どうやら今回のスピナーはおフランスの出身らしい。
また手ごわそうなのがやってきましたよ。
スピナーというのはフランスが主な生産国らしくて、かの有名なメップスにダイワが輸入しているブレットンもすべてフランスが生産しています。
そのフランス生まれのスピナーに、OLYMPIQUEなるものがあったなんて…しかも僕はルアーにはそう詳しくはありません。
というか、そもそもOLYMPIQUEってなんて読むのか?今回はそのあたりから調べていきたいと思います。
OLYMPIQUEはフランス語で「オリンピック」という意味
今回はルアーにブランド名があったので助かりましたが、残念ながらこの読み方がわからないと調べようがありません。
そこでフランス語だろうとあたりをつけて調べてみると、どうやらフランスで「オリンピック」という意味らしいです。
ううん、やっぱり聞いたことありません。
僕が知っているのは日本のオリンピックというメーカーだけ。
というか、これはオッサンなりたての僕でもギリギリ知ってるメーカーですよね。
僕の家には子供の頃に買ったこのメーカーの中古ルアーが転がっていたりして先日発見しました。
でも、今回のオリンピックはフランス製。
しかも日本のオリンピックはOLYMPICですし、まぁ違うメーカーでしょう。
それに、オリンピックという名前なのに、なぜかマークは三輪です。よくわかりませんねこれ。
というわけで、まずはOLYMPIQUEの名前でスピナーを検索してみることにしました。
いきなりのレアルアー宣言
OLYMPIQUEの名前でスピナーを検索すると、中古品を取り扱う海外のサイトでヒットが出ました。
すでに販売が停止していましたが、このロゴは僕が買ったスピナーと一緒です。
ショップはアメリカにあるようですが、このルアーについても簡単な説明がありました。
ビンテージルアーで1940年に製造
おっと、きましたよ。
いきなりのレアルアー宣言。
さらに、日本語でルアー名を検索すると、ヤフオクに3つほど過去に出品されている形跡をみつけました。
そこでも。
レアアイテムです
との文字が。
しかし、レアやビンテージという言葉はみつかれど、このルアーについての情報は一切なし。
なんの情報もなくレアってなんでわかるんですか。
なにをもってビンテージかもわからないけどもうやめて、調べてるこっちの身にもなって?
そこで、必死にこのルアーの情報についてワードを変えつつ調べてみます
が、いっこうに出てくる気配すらありません。
今回はどうにも厳しそうです。
サッカーのブログしかでてこない
まず、ネットでとにかく検索しまくるものの、出てくるのはOLYMPIQUEという名前のフランスのサッカーチームのみです。
しかも、フランスにはOLYMPIQUEの名前がついているチームが二つもあるせいで、検索結果の大半がサッカー情報で埋められている。
しまいにはスピナーで見つかったと思ったサイトが試合への愚痴の掃きだめみたいなフーリガンブログだったりしてもう最悪。
なんだよフランス
どんだけOLYMPIQUE好きなんだよ!
さらに普通のオリンピックのサイトで溢れかえる
とにかくサッカーの話題はさけるべきと判断。
これじゃいくら時間があっても見つかりっこない。
そこで、今度は別のキーワードで検察を続行。
すると、サッカーの話題はさけられましたが、今度は普通のオリンピックの話題ばかり溢れてきました。
まぁそりゃそうです。
なにせフランスは近代オリンピック発祥の地らしくて
古代ローマーで途絶えたオリンピックを、現代に再建させたはじめての国だそうです。
再建させたのはピエール・ド・クーベルタン伯爵という人。
彼はオリンピックを通し教育や世界平和を学ぶことを目的とし、フランスではじめてオリンピックを開催した人物らしいです。
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」
という名言を言ったことで有名らしいんですが、実際は違うことがわかってしまってもいまだフランスでは英雄です。
そのせいなのか、フランスではオリンピックへの興味関心が並外れてでかい。
そりゃサッカーチームにもオリンピックという名前をつけてしまうぐらいですしね。
って、なんてこんなことを調べているんじゃありません。
ここはスポーツブログではなく釣りブログ。
さっさとメーカーについて調べたいところですが、オリンピック好きのフランス人はあちらこちらで過去のオリンピックについてつぶやきまってくいます。
「パリ五輪は素晴らしかった」
「アテネのほうがいい」
「東京五輪はまじどうなってんの?」
「空手くる!!ニンジャ!!」
みたいなフランスのティーンが騒いでいる内容ばかり。
おじさん探してるのはたおくの国のスピナーなんですよ、日本の手裏剣じゃないんですよ。
でも、この名前で検索をかけるのに無理があるますね。
フランス語でオリンピックっていうなら、そりゃスポーツ関連の話題ばかりでてきますし、いまごろは次の五輪の話ばっかりです。
ですが、調べを進めると中古での出品はいくつか見つかっています。
中古品は日本、フランス、カナダ、ロシアなど、ずいぶんと幅広い地域で売られているのを確認しましたが、現行品は一切ゼロ。しかもどれも傷だらけで古いアイテムばかりです。
数は相当数で、輸出国も多い。
でも、これだけ世界にルアーを輸出しているに、どこのサイトでも詳しい情報は一切なし。
これじゃぁまるで忘れ去られた古代文明の名残を追っている気分です。
さらに会社名、ドメイン名、いずれを検索してもでてこない。アーカイブされたものもなし。世界にルアーを輸出していたはずの一流メーカーが、ある日忽然と姿を消したとしか考えられません。
弱りました。
前回通用した手法が一切通じない。
これだけ中古ルアーが存在するのに、まったく情報がないなんて、いったいどうなってるんだ?もはやダメかと思ったその時、脳裏に再び博士の声が聞こえてきました。
「はっ!僕には毎度のことさ」~インディージョンズ・最後の聖戦~
そうです。
あのインディー・ジョーンズは毎回とんでもないピンチに陥りながらも、つねに最後まで諦めずにいました。
そう考えると、体に力がみなぎり、頭が働きはじめます。
そうだ。
こんな苦難、僕にとっては序の口。
愛車の車検費用25万円を捻出するために命がけで錬金術を覚えた時のことを思えば何でもない!
石からプラチナを生むように、無の中から真理を見つける。それがルアー考古学。
僕は諦めずに調査を続け、フランス語のクソみたいなイントネーションに翻弄されつつも様々なサイトをしらみつぶしに調べ続けました。ボンソワ。
OLYMPIQUEの正体を見つけた
調べ続けて、フランス語サイトを渡り歩き、体臭までフランス人になってきた時。
もはやブルゴーニュ地方のなんか青いチーズが死ぬほど欲しくなりはじめ巻き舌がやばくなった頃。
ついに、ついにあるサイトでOLYMPIQUEの正体を見つけたのです。
そのサイトを作ったメーカーとは。
(画像引用元:http://www.france-leurres.com/sommaire.htm)
そう、何を隠そう。
あのブレットン社だったのです。
ブレットンスピナーの生みの親であるこの会社。
日本ではメップスに次ぐスピナームーブメントの火付け役ともいわれてますが、ここが今回探していた深紅のスピナーの生産元だったのです。
実はこのサイトで記述があったのはダウンロード可能なカタログファイルの中。つまり、通常のクロールでは検索にはかかりません。
では、なぜ僕は最終的にブレットンのサイトにやってきて調べようと思ったのか?
といいますもの、このルアーに何かヒントがないかと見続けた結果、あることに気が付いたからです。
こちらがOLYMPIQUEのスピナー。
この形をよく見ておいてください。
では、ブレットンのスピナーを見てみましょう。
(画像引用元:http://www.daiwa.com/jp/fishing/item/lure/trout_le/bretton_2014/index.html)
こちらがダイワが輸入しているブレットンです。
よーく見てください。
これ、形がほとんど一緒じゃないですか?
唯一違うといえば、間のビーズが一個ない程度。
どうりで僕が親近感やら懐かしさを覚えるはずですよ。
だってこれ、僕が子供の頃になげたブレットンと同じ形をしてたんですからね。
それに気が付いて、すぐに今度はブレットンの公式サイトを探しました。
が、これにも骨が折れました。
これだけ有名なメーカーなんだから公式も目立つようにしてくれればいいのに、見つけたのはいまだHTML直打ちFTPアップロードで作ったような旧世代の遺物みたいなサイトです。
で、ダウンロード可能なカタログの記述を調べてみた結果、そこに今回探していたルアーの記述を見つけたのです。
ブレットン社1933年にフランスに設立されました。
釣りをしていた宝石工のエンジニアによって設立され、最初は彼自身のためだけに作っていましたが、すぐに彼のルアーに他の漁師が興味を持ったのです。
人気を博し始めたスプーンルアーの需要は、同社の生産開始の原動力へと発展。ブレットンによって作られた最も有名なルアーは1936年にリリースされ、
同じ年にベルリンオリンピックが開催されたことから、そのルアーは
OLYMPIQUEと名づけられました。
そう、つまりこういうこと。
もともと、ブレットンというメーカーは1936年にはじめて自社のスピナーを販売したのですが
そのルアーの名前はブレットンではなく
「オリンピック(OLYMPIQUE)」という名前で販売されていたのです。
やりました。
ついに、ついに僕はこのルアーの正体をつきとめたのです。
感無量。
まさに感無量です。
忘れ去られたオリンピックたち
ようやくルアーのブランドが特定されました。
にしても初登場が1936年のベルリンオリンピックってすごい古いですね。これに感銘を受けてルアーの名前にしちゃう位ですから、そうとう凄いオリンピックだったんでしょう。
そこで興味がわいたぼくは、ブレットン社の初代社長が感銘をうけたという1936年のベルリンオリンピックについて調べてみましたが、そこにあったのは驚くべき写真でした。
(画像引用元:https://www.ushmm.org/wlc/ja/article.php?ModuleId=10007985)
御覧ください。見覚えのある軍服と敬礼。
そして、中央にたつチョビひげの男。
これ、どう見てもナチスドイツ。
そしてあのアドルフ・ヒトラー総督です。
おもわず目を疑いましたが、どう見てもハイルヒトラーの真っ最中。
今のドイツでやったら即逮捕の敬礼をこれでもかとオリンピックでやってます。怖い。
実はこのベルリンオリンピックというのは、オリンピック史上最大の汚点といわれる悪名高き大会。
インディージョーンズ博士と対立していたあのナチスが主催国となり開催された大会でした。
問題の1936年ですが、この年はヒトラーがドイツの首相になった年。
そこで偶然開催されることとなったベルリンのオリンピックをナチスドイツのプロバガンダとして存分に利用しようと画策。
これが理由で、世界各国のユダヤ人選手は個人的にベルリン大会を欠席。
ソ連もファシズムとの対立からボイコットしています。
それにしても、なんでこんなオリンピックに感化されてルアーなんか作ってしまったのか?
現代だったら政府からお達しがくるレベル。今でこそヒトラー主催のオリンピックなんて巨悪の象徴でしかない。
しかし、当時はそうでもなかったんです。
ヒトラーが第三帝国の進撃とアーリア人種の優位性を示すために作られたオリンピックは、それもう大量の資金を投入した豪華なものだったそうです。
ドイツの建築技術の粋を集めて作られた世界初ともいうべきスポーツ複合施設。
開催日には国民総動員でハーケンクロイツと五輪のマークを掲げての祝賀イベントの開催。
いよいよはじまったベルリンオリンピックでは、古代ギリシャの様式美にのっとりつつ、ナチスドイツの力強さを併せ持つ開会式でスタート。
世界中の人間が感嘆の声をもらしたと言われる荘厳さだったらしく、かのオリンピック創立者であるクーベルダン伯爵ですら「今後のオリンピックの規範にすべきだ」とすら評したほど。つまり、当時としてはそう批判的な目でとらえている人ばかりでは無かったんですね。
また、当時はまだナチス政権が復活し、ヒトラーが首相になったばかりということもり、本格的なユダヤ人迫害を行う前だったそうです。
ただし、この大会のあと、ユダヤ人であったオリンピック選手村の村長だった男性は役職を下ろされたあと謎の自殺を遂げ、ユダヤ人の迫害が本格的にスタートしていきました。
このオリンピックを見て、ブレットンの初代社長が感銘を受けたとしても誰も責められません。
フランスにはファシズムに傾倒する人や右派の人も多かったんですし、なによりオリンピックは今よりも壮大なイベントだったんです。
で、オリンピックに魅了された社長は自社第一号のルアーに名前をつけて販売。
当時は漁師にも売っていたらしいんですけど、オリンピックムーブメントや性能の高さもあってか爆発的に人気になり、自社工場はどんどんと拡大。
その後、ブレットン社はいくつかのブランドを所持。その中に自社の名前を組み込んだブレットンというメーカーを作り、そこでブレットンスピナーに名前を変えたそうです。
で、ブレードにあった三つの丸が重なったあのマークですけど。
おそらくこれ、五輪を使おうと思ったけど商標として厳しく規制されてたから、金・銀・銅の三つのメダルをモチーフにしたんじゃないかと。
日本でもオリンピック関連のロゴを使うことにいろいろ賛否両論ありましたが、当時も同じ状況だったのかもしれませんね。
しかし、オリンピックの名前でルアーが売れているなら、そのあとも同じ名前で売ればよかったと思いますよね?
一度売れたブランドの名前を変えるなんて余程のことが無い限り行わないでしょうし。デメリットのほうが大きいはず。
そして、これは推測なのですが。
当時のブレットン社はその名をあえて忘れることにしたんじゃないですかね。
ヨーロッパの人々が、あの悪夢のようなベルリンオリンピックを忘れたいように。
だって、第二次世界大戦終了後のヨーロッパで、ベルリンオリンピックから名前をとったルアーを売るとかけっこう正気の沙汰じゃなかったんだと思いますよ。
ただ、初代社長はそんなこと思いもしなかったのかも、もしくはフランスの右派にあたる人だったのかも。
しかし、ブレットン社の拡大が進むとそうも言ってられなくなったのでは?
だって、それこそ輸出先となっているのはロシアやアメリカ、イギリスも含まれてたんですから。
これでもしも誰かが「このルアーの名前の由来はなんだ?」と思いメーカーに問い合わせて、うっかり「ベルリンオリンピックがモデルです」と言った日には速攻でネオナチ決定ですからね。
その後、ブレットン社のOLYMPIQUEは1970年ごろから日本で少量輸出してるんですが、この頃にはすでに名前を変更しはじめていたのか、日本ではブレットンの名前のほうが有名でした。
で、当時このルアーを日本に輸入していたというのが、奇しくもあのオリンピック社らしい。
なんで?これどういうこと?
名前が一緒だったっていうそれだけの理由?
かと思いきや、ブレットン社の記録によれば、当時のオリンピック社は日本でも屈指の釣り具メーカーだったそうで、ダイワやシマノよりも有名だったんだとか。
そこで、フランスで売れまくっていたブレットン社のスピナーを代理販売する権利を得たのち、日本に輸入スピナーを持ち込んだそうです。
結果、当時のブレットン社は、OLYMPIQUEは現在のブレットン・スピナーをそれはもうバカみたいに売りまくったそうで、そのシェアはメップスに次ぐ2位だったとか。売り上げの大半は日本でのものだったそうです。
なにせ日本では第一次釣りブームといわれる時代。
あの釣りキチ三平で日本中にツリキチが大量発生していたこともあって、人気のスピナーは誰もが欲しがるアイテムだったそうです。
しかし、80年代後半になるにつれ、日本では第一次釣りブームも終焉に近づきます。
それにともない、日本ではダイワ・シマノが勢いをまし、栄華をきわめていたオリンピック社はシェアを奪われ、釣り具からの撤退を余技なくされる。
つまり、これも忘れられたオリンピックの一つです。
そして、日本のオリンピック社の衰退と同時に、ブレットン社にも危機が。
この時、日本では第一次釣りブームが終わる同時に、スピナーの売り上げは急降下。
さらに次にやってくるブームといえばバス釣。つまりプラグ全盛期。どうやったってスピナーやスプーンが主力のブレットン社の日本ルートに暗い影が落ちる予定です。
が、そこで新興勢力であった当時のダイワが、衰退しつつあったオリンピック社の代わりにブレットン社のスピナーを輸入販売する契約を結びます。
で、現在のようなダイワのスピナーとして販売されるようになったそうなんです。
ちなみにダイワの公式ページでは、ブレットンスピナーの歴史は40年とありますが、そのうちダイワが輸入販売を行ったのは20年ほど。
さらにいえば、ブレットンスピナーとなるまえのOLYMPIQUEスピナーについては触れてもいないです。
僕が今回購入したのは状態から考えてもブレットン社がオリンピック社を通して輸入販売したモデル。時代は70年代のものと思われます。
その頃、日本ではスピナーが売れていて、ブレットン社も拡張し、自社ブランドにブレットンの名をつけていた頃ですから、これはあただ在庫を吐いていただけの可能性が高い。なので、日本では最後のOLYMPIQUEだったのかもしれません。
なるほど、どうりでルアーは売られていても正体はわからないはずです。
日本どころか、世界でも有名なあのブレットンのスピナーが、もともとOLYMPIQUEだったことなんて誰も覚えていなかったんですから。
今回の調査結果
というわけで、今回の調査結果は
メーカー名:ブレットン社
ルアー名:OLYMPIQUE(現ブレットン)
発売時期:70年代頃 輸入販売元 オリンピック社
ということでした。
それにしても、このルアーの元の持ち主は相当なベテランアングラーだったんでしょうね。
時期的には前回調べたダイワのタイニー・スピナーと同じような年代ですし、第一次釣りブームまっただ中に購入したのかも。その後、40年以上大切にしてきたルアーだったかもしれませんし、もしかしたら、子供の頃にはじめて買ったルアーの一つで、タックルボックスに眠っていたものかもしれません。
こういう歴史を知ってはじめて、たった200円で売られていたボロボロのスピナーにも物語があったことが伺えます。
そして、そのルアーはショップを経て僕の手元にあります。
人間にすれば確実に先輩にあたりますし、その扱いをどうしようか迷っています。
が、貧乏人のもとにきたついでです。わびしいタックルボックスに入れていてもしょうがないので、現場で投げようと思います。
それに、ヒトラーがどうのこうの言うのも、僕らの世代で終わりでしょうしね。
僕と同年代のヒトラーといえば、ニコニコ動画で卑猥な言葉を叫んでいた姿ですからね。恨みも何にもありませんよ。おっぱいぷるんぷるん!
まぁ、歴史あるスピナーですし、なんかダークな過去を持つあたりも嫌いじゃない。
一応、お風呂場でチェックしましたが、いまだに現役で使えるよう。多くの人に忘れさられようとも、フランス生まれの情熱的なオリンピックの回転はまだ止まっていなかったのです。
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