釣り小説「最悪の日」

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今日は最悪な日だった。

といったら、なんか思いついたんだけど。僕はいつも最悪な話ばかりしている気がする。いつも人に言いたくなるのは、幸せだったり、嬉しかったり、楽しかったりすることじゃない。というか、そんなものあったのか?って位、口を開こうとしたら思い出すのは5分前以前はずっと戦争の中にいたかのような気分で、平和なんて一度も無かったみたいに。

けれど記憶の中の戦争はいつもネットの向こう側で、本当にクソな事体に陥ったことは無いともいえる。香港のデモで催涙ガスを浴びせられたりもしてない。イラクでIDEで車を吹っ飛ばされたわけでもない。自爆テロの攻撃にあったわけでもないし、世界中のあらゆる紛争地帯と僕は無関係だ。

なのに、今自分は世界一不幸な男の気分でいる。

もし本当に今の状態を世界の不幸ランキングで測るとしたら幾つになるか考えてみたいが、どう考えたって半分以下にはならない。なんせ、この地球では現在77億人の人が暮らしているのである。そのうえ戦争にも巻き込まれてない僕が、ワースト77億になるかといわれれば、まぁ絶対にない。

もしそうならどうなるだろうか?例えば、ある日突然、あらゆる法律が適応されない日ができてしまい、「パージ開始です」とか意味不明の合図で殺し合いがはじまる。まじでイカレてるとTwitterで嘆いたら、「それは差別的な発言です、あなただけが酷いわけじゃない」なんてクソリプを飛ばしてきた相手と口論になりブロック、逆恨みした奴がブチギレ、親がコロサ、兄弟みんなが殺されて家が放火で全焼して、唯一残った任天堂スイッチとポケモンシールドとどうぶつの森を近所のキッズが火の海の中でパプリカをうたいながら踏みつぶした上、その残骸を酔っ払いみたいな歩き方の米津玄氏が踏みつぶしたら、いきなり爆死。彼を死に追いやったグレネードランチャーを持つ通りがかりのヒカキンが僕の目の前で「ハローユーチューブ!」と叫びながら僕目がけてグレネードを撃とうするのを、シバターが救おうとするが、結局セイキンが笑いながらイイネボタンそっくりの核爆弾のスイッチを押して僕が死ぬ。いや、ここまでくると僕以外も。

けど、それくらいしなきゃワーストは無理だし、それでもいけるかどうかってレベルだ。なんせ、下には下がいるのが世の常。

映画とアニメゲームとYouTubeとTwitterでしか養われていない僕の想像力。俗物で作られた僕の脳みそじゃコレが限界だ。

だからまぁ、実際大して今の自分は不幸じゃない。

そうだとも、もうやめよう、下らないゴチャ混ぜの妄想もだ。今日は最悪の日だったなんてありふれた書きだしで、此処でうっぷんを晴らすなんてバカげてる。

ああ、どうせ誰かに聞いてもらいたいだけだし、最悪ってのは盛り過ぎ。

それに、毎回最悪なんて言ってたら、何が最悪かわからなくなる。冷静になろう。できるだけでいい。

だから冷静に考えてみて、今日の僕は最悪じゃなかった。

そういえば、朝目覚めた時はそうでも無かった。ああ、そうだ。今朝は目覚ましピッタリにめざめて、いつもよりはやおきをした。睡眠は久しぶりに快調だったし、歯もしっかり磨いたし、会社からもらった雇用保険の用紙もばっちり準備していた。

たしかに仕事はクビになった。

2020年の始めから始まったウィルス騒動のせいで僕は仕事を失った。

それでも最悪じゃないってのは、これが僕だけじゃないからだ。

経済が停滞し、誰もが怯えて金を使わなければ、僕みたいなやつはゴロゴロとで出ている。偉い人が僕らに命じるのは、手をあらい、うがいをして、ステイホーム。まるで利口な犬みたいに、給付金という餌を出すまでずっと待てを命じられている。それだけだ。

そして飢え死にを待つか、ウィルスに怯えながら金をかせぐか──いや、自粛警察に怯えながらの間違いか。

今じゃ世の中、子供の頃に読んだ1984見たいに、思想もクソもありゃしない。これじゃ、まるで思想警察(シンクポル)みたいだ。

いや、奴らと同じってわけじゃない。ただ、似てるのは奴らから出てくる恐怖の匂いだ。恐怖の連鎖における増幅装置。恐怖の塊。だから結局、自粛警察ってやつは誰よりも怖がっている。そう思うと、鏡の中の自分が少し笑っていることに気がついた。

それからスマホを開いてTwitterをみれば、タイムラインは怒りの時間で溢れていた。小説じゃ朝の5分間、市民は仮想敵国に向かって怒りを吐き出す時間が設けられていた。そのほうが、貧しい人間は政府に敵対しないのだそうだが、今じゃ架空の他人に向かって怒りを吐き出すようになっている。なるほど。ほおっておいても、人は政府とは敵対なんかしないし、もっと手軽な方法で今の生活と精神を守れるってわけだ。

ビッグブラザーなんていなくて、出来損ないの思考警察と、中途半端に支配された人間だけがいる世界。資本が崩れ、誰ともなくはじめた全体主義めいたい空気。スマホを閉じ、見上げた天井の暗闇。けれど、それが僕にはどこか懐かしい。

どうしてなのか?

考えてみたが、それはよくわからない

暗く、生きた人間は誰もいない場所。あと少しでジョージオーウェルが描いたようなディストピアにたどり着くとして。今より最低な世界が待っているとして。なぜ懐かしい?どうしてそこを知っている?

それはありえない。

ありえるわけがない。

なんせ、僕よりも最低なやつらなんて山ほどいる。僕は最低なんかじゃない。

そう言い聞かせて朝の準備を終えたあと、昨晩塩素スプレーをしたマスクを付けて家を出た。帰ったら、もう一度あの小説を読んでみたくなった。

向かったのは近所のセブンイレブン。

マスクから鼻をつく塩素の匂いに慣れはじめたころ、入店してまっすぐパンコーナーに向かい、コーンマヨパンをカゴに入れる。これはマジで美味い。おまけにジョージアの微糖をホットで買ってレジに行き、ビニールカーテン越しに見えるオッサンにレンジで温めるようにお願いする。

顔面の歪んだオッサンは返事をするが、付けているマスクとビニールカーテン越しのせいで何を言ってるか聞こえない。

おっさんはコーンパンを温めて、異世界の向こうから僕に渡したが、ビニールカーテンに近づいたマスクが茶色く汚れていた。きっと僕のもそうだろうが、今じゃ気にしても仕方がなかった。

で、車の中でパンを食いながらコーヒーを飲み、明方の薄暗い道を走る。

ながら運転なんて言わないでくれ。あれはスマホだけの話だし、コーンマヨパンじゃ好きなアーティストの新譜も聞けやしない。流れた音楽誰も居ない道路。時速60キロ。ズレた時間。向かう山の向こうから朝日が昇りはじめて、サングラスをかけた。

到着したのは20分後。
着いたのは山間の渓流。

北海道は北、けれども最北端じゃないこの田舎。

誰もが通り過ぎる峠道に車を止め、外に出ると、今年も冬が過ぎ去り、春がやってくる実感がわく。
車からタックル一式を取り出し、ロッドからラインを引き出して、ルアーを付ける。

装着したのはシンキングミノー。
ラパラのCD5、カラーはやっぱりオレンジのGRF。
久しぶりの釣りで間抜け面したラパラを使おうってのはずっと思ってたけど、もうラインに結べるだけで嬉しくて仕方がない。冬の間、ずっとこいつを眺めて過ごして来たのだから。

それからウェーダーをはき、4ftのロッドをかついで森の中に入る。
斜面をくだっていくと、次第に川の音が大きくなってくる。凍ってはいない。やっぱりもう解けてる。

そういえばウィルスで世間は自粛ムード一色だった。僕もウィルスや世間体を気にして大きな町には行かなくなっていたが、釣りだけは別だった。

なんせ山の中、しかも近所の渓流で、いったい誰から感染するっていうんだ?ばかばばかしい。しかもこっちは無職で金がない上、1週間VODを見続けるだけの生活をしていたんだ。ゾンビランドも、アイ・ゾンビの新シーズンも、何度も見たカウボーイビバップも、装甲騎兵ボトムズも、何もかも見飽きた末の渓流だ。この僕を誰が止められるんだ?どうせ死んだって誰にも迷惑をかけないこの僕を。ウィルスも自粛警察にも止めようがない位釣りがしたいこの僕を。

そこで、川沿いに誰かが居ることに気が付いた。


黒っぽい服を着た男。座り込んで何かをしている。
春の陽気に誘われて、先にだれか釣りに来たのだろうか?
まぁいいや、どうせあの一人だけ。

しばらく人と話をしていなかったから、口がしゃべり方を覚えているか不安だった。

とりあえず挨拶をして、あっちが上にいくなら、こっちは下に行こうって具合に近づいて、おはようございます、釣れてますか?っていう釣り人の定型文を脳内でコピペして口元にペースト。あとは舌先でエンターキーを押す。それだけだ。

けれど、釣り人じゃなかった。

木立の間で雪に足を埋もれさせながら近づき、あと数メートルというところで気が付いたのだが、来てる服がみょうにゴワゴワとしていると思った。それから丸まった背中の向こう側から頭が見えたが、そこもにもびっしりと毛があった。

けれど、まだ希望はあった。
ただでさえ自粛ですり減った僕が、朝も早起きして、良い朝食と、いい音楽と、いいフインキでたどり着いた久々の渓流ルアーフィッシング。

そんな時に、まさかトラブルが起きるわけがないと思い、舌先にコピーした定型文を一応出力してみた。

print(”おはようございます、釣れますか”)

雪解け水で溢れた水の流れる音に掻き消えないよう、一応大声で言ったつもり。けれど、その後の男の声のほうがデカかった。

叫び声をあげ、男が立ち上がり、こちらを見た。
けど、男じゃなかった。それどころか、僕の挨拶が無意味どころか、逆効果だったのを思い知った。

熊だった。

真っ黒だった。いや、ちょっとは茶色だった気がするが、ゴワゴワとした毛におおわれていた腹の部分だけで、あとは大体真っ黒だった気がする。というか、この距離でヒグマを見たのは生まれてはじめてだったから、その時は頭の中になんの熊なんて字は浮かんでいない。毛むくじゃらのバケモノが突然目の前に現れた。それだけだ。

でかかった。

両手を前につきだしでかい口を開き、再び吠えたあと、前足で着地し、低くうなる。そこではじめて獣臭に気が付いた。

それから、僕は正常な行動にようやく移った。熊と人間がわずか3メートルほどの距離出会ったらまず何をすべきなのか考えたわけじゃないが、もっとやることがあるのは間違いない。

だから、僕は大声を上げ、すかさず逃げた。
本当は目をあわせながら後ろに下がるのが正しい。けれど、キレた熊を目の前にして、相手が待ってくれる保障なんてどこにもない。だから、史上もっとも人間を生き延びさせた方法に頼るしかなかった。背中を向けて、必死に逃げる。それ以外の方法があるか?ないだろ?

けれど、今思えば、たしかに目を見て後ろに下がった方がよかったかもしれない。

なんせ、熊も僕と同じく、原始的な法則にのっとり、僕を追いかけてきたからだ。
雪に足をとられながら、背後から迫る黒い巨体が視界の隅に揺れた。
体が熱くなり、とにかく逃げるしかないと斜面を登るが、解けかけた雪に足を取られてうまく登れない。

もうす熊に捕まる。

まずい、もっと速く!もっとだ!ああ!もっと速く!

もがくように手を伸ばし、木につかまりながら斜面を登りつづけ、気が付くと定型文なんか捨てて、思い切り叫んでいた。

「すいませんでしたぁああああああ!!!」

なぜ謝ったのかは今となってはわからない。


とにかく誤れば熊が追ってくるのを辞めてくれると思ったのかもしれないし
何か、これと同じような全く同じ状況のことを思い出したのかもしれない

ただ一つ言えるとしたら、大声でこんな言葉を叫ぶような事体は、なんにせよ最悪だ。


ああ、やっぱり最悪だ。

ウィルスも、自粛警察も、無職も、貧乏も

自分が地球何番目かなんて、どうでも良くなるくらい

マジで最悪だ


「最悪の日」

最悪なことは誰にでもある。

例えば仕事をクビになったり、恋人にフラレたりなんていう良くあるやつから数えれば、生きてる内にどれだけ最悪の出来事に遭遇するか考えたことがあるか?

ないだろ、いや、あるなんてやつは嘘だ。たいていの人間は過去の不幸は時間がたてば忘れるようになっているし、そんなもん数えても意味ないし、自分以外だって不幸な目に合ってると思ってる。

だから元気だせよとか、気にすんなよとか、そんなこと言うやつは片っ端から自分と同じ目に合わせたくなる。

だいたい前提が間違ってるじゃないか。

お前にとっての最悪も、僕にとっての最悪はまったく一緒じゃない、何一つとして違う。

ウィルスでおかしくなったこの時代もそうだ。

みんな不幸だが、みんなそれぞれ違う不幸なんだってことを、どいつも忘れがちだ。

なんで忘れるかっていえば、それは誰かが不幸だからって、僕まで不幸とは限らないから。たとえそれが愛している人間だとしても、家族だとしても、兄弟だとしてもだ。

共感して怒ったり悲しむのは不幸じゃない。

わかるか?不幸ってのは、人それぞれなんかですらない、自分自身、自分の世界そのものを表してる。不幸は、この世界が、自分がいるから存在していることの象徴なんだ。

じゃぁ幸福はどうなんだって?

ばかいうな、そっちは勝手に考えてくれ。

なんせ熊に追われてるんだ。そんなもん考えても何の足しにもならない。不幸なら良いさ、それこそ慰めだろ?なのにふざけるなよ?さっきスマホに通知があって、電波が通じたと思って見てみたら、インスタのフォロアーがパンケーキ焼いてる写真を出してきて『#幸せのおすそわけ』とか書いてきたら、速攻でブロックしてやった。ありえないだろ?こっちは熊に追われていて、ようやく電波がつながったと思った瞬間だってのにこれかよ #くそパンケーキにガソリンをまき散らして火をつけてやろうか?

───まぁともかく

ともかく走りはじめて30分はたったと思う。

汗はひどいし、それでもロッドだけは握り続けていたあたり、まだ余裕はあるのか?

いや、ないだろ。

とにかく今、どこかの山の中にいるのははっきりとしているが、本当に色々と、もうダメだ。

熊の気配は今はない

けど、それよりもっと困ったことがある。

今自分がどこにいるのか、まったくわからなくなったことだ。

「──最悪だ」

つぶやいて、木の根元に座りこみ、上をみると青空を覆う無数の枝が風に揺れているはずだった。

けど、息が切れて酸欠なせいか、視界すらぼやけて歪んでるのか、空がグニャグニャで、コンビニのレジにあるビニールのカーテンがそこにもあるみたいだった。

咳をすると絡んだ痰を吐き出して、おもいきり咳をする。

普段街中じゃ咳一つまともにできないご時世。今じゃこんなに咳ができるばしょは、こんな山の中位だ。おもうぞんぶん咳をしてやる。

それから深呼吸をすると、だんだん視界もまともになってくる。

もう渓流は近くにはない。音すらしない。周囲は木に囲まれている斜面の中ほど。藪もちらほら見える。

そこで問題だ。

いったい、僕は今どこにいるのか?

それがわかるのは僕じゃないし、誰かでもない。わかるのはスマートフォンのGPSアプリ。たのむぞとポケットをまさぐって、そこにあるはずの感触を期待したが、ない。見つからない。スマホが見当たらない。

終わった。

もうだめだ、助からない。

どこで落としたのか?クマに追われる最中か?それとも車の中?くそ、わからない。どうなってんだ、なんでこんなにツイてないんだ。

頭の中がパニックになり、また視界が歪みはじめる。酸欠だ。息をすうために思い切り空気を吸い込んだが、失敗してまたせき込む。

くそ。もう嫌だ。

一体ここがどこかもわからない上、まだきっとクマは僕を負ってどこかをウロウロしているはずだ。いや、諦めたか?だとしても、遭難したのは間違いないだろ。

遭難?冗談だろ?

立ち上がる気力はないが、なんとか頭をふり、後頭部を木に打ち付ける。何度も、何度も繰り返して、痛みと怒りがわいてくるまで。

そのうちにだんだんイライラとしてきて、僕はその場からようやく立ち上がることに成功した。ふざけやがって。なんでこんな目に合わなきゃならない。

そりゃウィルス騒動の中、渓流に来た僕に天罰を加えるためだと、僕の中の自粛警察が声を上げて抗議していたが、おまえは今はだまってろ。今いちばん必要ないんだ。

それからもう一人の僕が話かける。そいつは昨日の夜、ネットフリックスを見ていた僕で、3本目の発泡酒を飲みながら僕に問いかけてくる。

「どうして釣りになんて行ったんだ?おとなしくネトフリでも見てりゃ良かったんだ」

そういってまた酒を飲み、うつろな目でネットフリックスを見て笑う僕の問いで、少し落ち着いた気がする。クズ男が、よくやったよ。

そうだ、僕は腐りきりそうだった。

仕事もなくなり、家からも出なくなり、ネットフリックスを見て、たまにYouTubeを見て、小説を読んで、またネットフリックス。そして酒。

そんな生活に飽きてきて、ついに金までなくなって、あてにしていた給付金がまだ来ないことに腹を立てた僕は、いよいよ限界を迎えて渓流に行こうと決めたのだ。

けれど、あのままのほうがマシだった。

少なくとも、ウィルスに感染もしないし、こうしてクマにも追われないほうがマシに決まってる。

世間じゃ釣りも自粛しろと煩いやつもいる。そいつらの言うことを聞いてればよかったかもしれない。癪に障るが、家から出ないってのは安全なのは間違いない。

とはいっても、とにかく何とかしなきゃならない。

ここがどこかわからない以上、とにかく安全な場所に移動しなければ。でなければ、バックに入れておいたマヨパンも食えない。

そこで、まずは斜面を下ることにした。

どこに向かえば車のある場所に出るかわからないが、上に上っても仕方がない。

それに、ここが同じ谷なら、下へと向かえば渓流に出るはずだ。水辺に出れば、そこを下れば道路も近いはずだ。

なんとか腰をあげ、斜面を下り始める。急いで転んで足をくじいたら終わりだし、まだ周囲にクマがいるかもしれない。

バックに付けた鈴は今も鳴っているが、これでクマが避けられるわけがない。だったら、さっきのクマだって避けてくれたはずだ。山の中では音がどう伝わるのか予想できない。久々の渓流で爆竹を忘れなければ、こうならなかったのかも。

こうすればよかった、ああすればよかった。

たらればを繰り返しながら山を下りていく僕の足取りは重かった。どこかケガでもしているのかと思って、途中で足を確かめた位だ。

なんでこうなったのか?なんてことを考えるのは普段は無意味だと思っている。ものごとの事象は因果律ってやつで支配されていると昔本で読んだことがあるが、そいつは人間が理解できることじゃない。どこかで蝶が羽ばたいたら、そのせいでハリケーンが起きるなんてことが、人生におけるたらればだとしたら、誰が操れるんだ?わかるわけない。今ここで荒い息を吐いたせいで、どこかで竜巻が起きるっていうし、Twitterでお気に入りのエロ絵をファボったせいで、将来の彼女が一人消えていなくなるっていうもんだ。そんなもん知るか。

けれど、枝を掴み、クマの恐怖に怯えながら一歩一歩位谷底へと降りていく僕が平常心でいられたのも、きっとこのことばかりを考えていたからかもしれない。

もしもウィルス騒動のせいで仕事が無くならなかったら?

もしもこの土地に住まなかったら?

そう考えても、一向に答えなんか出てこない。

たしかにそれならそれで違う未来があったかもしれないが、その未来ってやつが今の僕を助けてくれるわけじゃない。なのに、どうしてこんなに考えなくちゃならないんだ、ああ、やってられない。

ぼやきながら斜面を下りつづけると、次第に水の音が聞こえるようになってきた。

渓流がある。

そう思うとつい足が速くなるが、とにかく慎重に、ゆっくりと下るしかなかった。

しかもロッドを握っている方の手がまともに使えない。くそ、こいつさえなければ、もう少し楽に降りれるっていうのに。

そう考えて、一つ考えてなかったことに気が付く。

もしも、渓流釣りを好きじゃなかったら?

釣りなんて、僕が好きじゃなかったら、こんな山奥でクマに追われて遭難することなんかなかったはずじゃないか。

ああそうだとも。僕はうなずく。確かにそのとおり。それに、これは今だから考えたことじゃない。普段から、ずっと僕はそれを考えている。


───釣りを好きじゃなかったら?


もしそうなら、僕はもっとマトモな人生を歩めたかもしれない。

時間を無駄にせず、金もないのに釣り道具も買わず、他人ともっと接するようになり、明るくて気さくな人間になっていたかもしれない。

けれど、幼いころを思い出してもそれが言えるのかといえば、やはりそれは無い。

なにせ、僕にとっては、釣りだけが唯一の救いだったからだ。


よくある話だが、僕は子供の頃に友達がいなかった。

クラスになじめないというより、世間そのものに馴染めなかったというのが正解だと思う。人と話すことが苦手などころか、皆が何を考えているのかさっぱりわからなかった。どうしてここで笑うのか、どうしてここで怒るるのか、何一つわからなかった。

今でいう発達障害みたいなもんなんだろう。なんとか周りにあわせようと、人が笑ったら笑うように努力してみたが上手くいかない。かわりに相手を喜ばそうと思ってやったことで激怒されたり泣かれたり。その奇妙さが疎ましがられたのか、からかわれてイジメられるのが関の山で、友達など一人もできなかった。

それでも僕は周りの子供達が何を考えているのか理解できなかった。

話をすることはできても、共感することができないし、表情から察することもできない。おまけに何かをすれば、怖がられるか怒られるか。そのうちに距離を置かれて、より相手のことがわからなくなる。まるで、目の前にはコンビニのビニールカーテンが付けられたままみたいに。

もちろん僕はウィルス保菌者じゃないし、あっちもそうだ。けれど、自分と違う人間というのは、それだけで恐れるには十分な理由だ。

そのせいで僕は学校に行かなくなっていったし、鬱を通り越して毎日死にたくなっていた。孤独というのは子供にとってあまりにも厳しすぎる現実だ。どうせ死ぬのは誰もが一人だとしても、それは諦めが付いた頃に理解できる話であって、死からほど遠い子供にとって、孤独とは死そのものだからだ。

そんな不安と恐怖に際悩まされる位なら、いっそのこと死んだほうがマシだ。

そう思いはじめた頃、僕は釣りに行くようになった。

クラスの中では孤独で辛かったが、自然の中で一人になるのは、僕にとって何も怖いことじゃなかった。むしろ安らかで、安心できる場所。

気楽だった。

それでいて、僕の心はその時だけ平常心でいられたと思う。

一人で釣り竿を垂らして、魚を釣って遊ぶ。そうして僕は、少しずつ死から遠ざかっていった───

──はずだった。

そのはずが、こうやって死は今も訪れつつある。釣りさえしていなければこんな目にもあっていないし。このロッドさえなければ、もっと楽に下れるんだ。

やってられない。

だから「たられば」なんてのはわからない。

何をどうしてれば、明るく平穏で保険会社のCMみたいな家族を築けるかなんてわからない。それに、こうして救われたはずのもので殺されるんだ。ふざけやがって。

けれど

だけど良い手がある。

自分を罰して、このクソな人生を終わらせる唯一の方法が、後ろから僕を見守っている。

ああ、死ぬのが怖いのは当たり前だ。

けれども、それでも僕にとって死は常に最後の救いなんだ。わかってくれ。

いつか諦めて、どうにもならなくなった時、釣りですら僕を救えないとわかった時、最後はそいつが僕を救う手はずになってる。ようは、僕にとって最後の保険ってわけだ。あの頃からずっと契約しっぱなしで、自動更新されてるんだろうし、解約できたって人間を僕は知らない。

けれど、まだそれを使わずにいられるのは、きっと──


──そこまで考えて、足元の石に躓いた。バランスを崩して転びそうになるところを、必死にこらえる。

石・・・もしかして。

急に視界が広がって、強い光が目を刺した。

透明な水が乱れながら流れ続けていた。水が石を打つ音がした。渋きまって、その上を小さな鳥が掠め飛んでいった。

渓流だった。

渓流だった。

渓流だった。

僕は立っていた。

ロッドを握りしめて立っていた。

知らぬ間に僕は走りだし、水辺に座りこんで水を飲みはじめた。コップなんかない。片手ですくって、そいつを口元に押し当てて、思い切り吸う。気が付けば喉が渇いていたらしく、ひたすら右手で水をすくっては顔に押し当てていた。

けれど上手く飲めない。顔に水がかかるだけで一向に口に運べないので、持っていたロッドを川辺に置き、両手で水を飲むと、今度は思い切り口にはいってきて、おもわずむせる。きっと水が入ったせいで鼻の奥まで痛いが、それでも2度3度と水をすくって飲んだあと、ようやく僕はあたりを見回すことができた。

見た事の無い渓流だった。

さっきの渓流より川幅が狭く、石も多い。水の流れはさほど多くないが、水の底がほぼ石で埋め尽くされているせいか、流れの起伏が激しい。

そのうちに、足元の水の中に何かが通り過ぎていった。

魚だ。たぶんヤマメ。ここにも渓魚がいるらしい。

そして、ふと足元にあるロッドを見る。

なんで、僕はこいつを手放さなかったんだろうか?

あたりを見回してみるも、クマはもう居ないらしい。縄張りの外に出たのだろうか?足跡がないか回りを見てみるが見当たらない。

ここは安全なのか?

ひとまず完全に安全というわけでも無いだろう、ここは同じ山の中だ。ヒグマのテリトリーはかなり広い。山2つ超えても奴らは追ってくるかもしれない。

とにかく匂いを消すため、僕は川の中に入る。走ったせいでウェーダーが破れてないか不安だったが、すぐに水が漏れるレベルじゃないらしい。流れの中に両足が入ると、心が落ち着きはじめた。

ロッドを手にとり、川を渡れば、きっとやつはもう追ってこれないはず。

そうなれば、あとは対岸を歩いて家に帰るだけ。クマもいるし急いで家に帰ろう。

けれど、家に帰っても結局は自粛するだけなんだと思いはじめると、次第に足が止まるようになっていった。

それに、どうせ帰りながらだと思いながら、ついにはラインにルアーを結んでしまった。

どうしようもないが、これが僕だ。これだから不幸なんだ。

そうとはわかりつつもルアーを投げてしまうのは完全な病気だ。さっきまでクマに追われて、今なお遭難中だというのに。

しかし、ルアーを投げていると、次第にそんなことすら忘れてくる。流れの中にルアーを落として、トゥイッチを掛けていく。ここじゃないのか?水温がわからないが、まだ流心に出てきてないのかもしれない。深い場所は?あそこのカーブは?

そのうちに下へと下りながらルアーを打ち込みまくっていく。淵、ヨレ、石裏、鏡。打てるだけ打ち、潜らせるだけ潜らせ、川底をこすりながらヒラを打つ。

気が付けばあっという間に数百メートルは歩いていったのだろう。すぐ先に道路が見えてきた。

しかも、見ていれば車も走っている。あそこを登ればもう大丈夫だ。案外近い場所にあるかもしれない。

けれど、道路沿いで川が大きく曲がっているのが見えた。その先に何があるのか。もしかした大きな淵があるかもしれない。いや、そんなこと考えてる場合じゃないのだけれど。けれど気になって仕方がない。

ちょっとだけならいいはずだ。

ちょっとだけなら、道路だってすぐそこなんだ。ちょっとだけ、そこを最後に道路に出て車に戻るんだ。

そこで川をくだり、頭の上にある道路を横目にさらに先へと進んだ。不安と期待。腰をかがめて先へと向かうと、やはり流れが穏やかな場所がぽっかりと出てきた。

きっとかなり深い。

カーブで流速がはやまった流れが、水の中に吸い込まれるようにして穏やかになっている。

絶対に居るだろう、これ。いやもうクソデカいのがいるにきまってる。ニジマスとか。

そこでロッドに着けていたミノーをチェンジして、7gのスプーンに変える。少し大きめのフックが付けれるし、フォールでボトムまで一気に落とす作戦だ。

キャストして、まずは流れに乗せていく。それから流速が突然落ちるポイントで、テンションを抜く。消えるスプーン。ラインが出ていく。それが止まった瞬間に、ポンとロッドを煽ってリールを巻くと、思い出した忘れ物を取りに行くように、ロッドティップが水面へと引き返した。

かかった。これはデカい。

「ヨシ!」と一人叫んで思い切りフッキングをしてリールを巻き始めるが、何か違う。なにか妙に小刻みな振動がラインから伝わってくるし、なにより軽い。

首を傾げながら巻きあげるうちに、水面に魚影が映る。小さい、あれだ、ああ、ヤマメ。ヤマメだこれ。

掛かったのは小さなヤマメだった。15㎝程しかない魚体が大きな針に果敢にもアタックしてきたのだろう。ありがたい。ありがたいが、すまないヤマメよ。お前じゃなかったかもしれない。

その時、背後から雄たけびが聞こえた。

まずい、クマだ。さっきのやつが僕を探している。

僕は慌ててヤマメを逃がす。ヤマメは水の中に吸い込まれ、僕はその別れすら惜しむ暇もなく道路へと向かって走った。斜面には言える藪を掴んで体を引き抜く。後ろをみると、遠くから小さな黒い点がこちらに向かっているのがわかった。はやくはやく。ほら、キタキタキタキタキタ。

道路を登り切り、そこで急いで道を走る。見覚えがある道だ。たぶんこのまま下っていけば自分の車がある道路の近くまで出れるはずだ。

振り返る。

さっき自分が出てきた草むらが揺れ、黒い影がアスファルトに出てきた。間違いなくヒグマだ。

くそ、追ってくる。どうする?また斜面に転がりこむか?

そう考えていたが、クマはその場で止まったまま追ってくる様子はない。けれど油断できるわけもなく、僕はそのまま道路を走り続けた。


──それからどうやって車に戻ったのか、今ではよく思い出せない。

車にたどり着いた頃には全身傷だらけで、ウェーダーは穴だらけ。それでもロッドだけは手放さなかったけど、付いていたリールのハンドルがどこかに行ってしまっていた。

車の中に置いていた飲みかけのアイスコーヒーを一気飲みし、運転席にへたれこむ。もう大丈夫だったが、すぐに家に帰れる体力はなく、ドアのかぎをロックして30分はそのまま微動だにできなかった。

それから家に帰ってくる間、疲労で倒れそうだったが、なんとか家に帰ってきて、ボロボロのウェーダーを脱ぎすて、タックル一式をもって自室に戻ってきた。

もうクタクタだ。

こんな目にあったのは初めてだけれど、渓流釣りというのは、こういうこともある。ウィルス騒動の中、無職のくせに渓流に釣りにいって、さらにはクマに追われて、ウェーダーに穴があき、リールのハンドルまで無くした。これが最低じゃなかったら何なんだ。まったく。

本当に釣りをやめようと思いながら、今日あったことを急いで文章に書きだしている。
けれど、どうしてもやめられないのかもしれないかもしれない。クマのことを思い出しているのに、最後にヤマメを釣ったあの淵のことがもう目の前にチラついてる。だめすぎる。もう癒しをとおりこして完全な病気だ。そのせいで僕が生かされているとしても、頭がおかしい気がする。

それに、クマに追われて改めて生きてみようとも思った。

恐怖は人を支配するだけじゃない。当たり前だが、それを実感できただけで、なんだか退屈さから遠ざかっていった気がする。ああやばいな。クマに追われて何言ってんだ自分は。もう手に負えないバカだな。
けれど、しばらくは渓流に行かないかもしれない。あんな目はたまに会えば良いし、命からがら逃げかえってこれたのは運に違いない。この季節はクマが多すぎるし、ウィルスの影響で人が消えたせいで、どんどんとテリトリーを広げてきてるんだ。

 
 まってくれ

窓の外で、何かが動いた。
まさかな、あそこから10キロは離れてるんだ。
車よりはやいクマなんているわけないだろ。

いや違う。

そんな、まってくれよ、ありえないだろ。うそだ、どうするんだよ。別のやつだろ?でもなんでこんなところに要るんだよ。やめてくれよ。まじで笑えないって。

──玄関を見てきた。

ドアを少しあけて外を見てみたが、居る。クマがいる。
それも一匹じゃないんだ。何匹いるかわからない。そこら中にクマがいる。

おまけに手が落ちてた。人間の手だぞ?向かいの家の玄関が空いていて、そこから血がのびていて、道路の真ん中にぽつんと手が落ちてたんだ。

悲鳴はない。僕が家に帰ってきた頃にはすでにヤられたのかもしれない。どうするんだ?くそ。最悪だ。最悪だ。くそ、あああ、くそ、死にたくない。死にたくない。もういやだ、もういやだ。

音がする。

あいつらが玄関に体を押し当てている。違う。目の前の窓にいる。


今携帯に緊急速報が鳴った。

バカでかい音のせいでクマに気が付かれた。窓ガラスを押し破って侵入してきたので、急いでノートパソコンをもって2回に駆け上がった。

もう一階はダメだ。あいつらがいる。一匹じゃない、2匹か、それ以上いる。

くそ速報のせいだけど、中身を見て驚いた。

人間がクマになってるらしくて、それで、それで回りの人間に気を付けろっていう通報だ。うそだろ、いやまさか。

どうしてクマになるってんだ?まてよ、なんで僕だけクマになってないんだ?

もしかして山に行っていたからか?それで?もしかして、僕以外はすべてクマになったっていうのかよ。笑えるだろ、大草原だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwまってくれ、人間は一人も居ないのか?そうなのか?もうクマだけになったのか?地球上で生きてる人間は僕だけだっていうのか?まじかよ、それじゃぁ釣りに行こう。釣りにいくんだ。もう釣りに行くしかないだろ。釣りだ、釣りにいこう。ロッドは?下にあるな、すぐに釣りにいくしかない。もうやってられない。あの淵にいってもう一度チャレンジだ。きっと大物がいるはずだぞ♪さぁいくんだ、世界は終わったんだ。やったぞ、ついに終わった。これからは釣りばっかりやって魚を釣って畑を耕して生きていくんだ。ああそうだ釣りだ。釣りにいくぞ。さぁ釣りにいくnnaaajfa]
@
p pllllllllllllll

今日は最悪な日だった。

いや、というかだけど

最悪な話ばかりしたがるのはなぜだろうか?

いつも人に言いたくなるのは、幸せだったり、嬉しかったり、楽しかったりすることじゃない。

というか、そんなものあったのか?って位、口を開こうとしたら思い出すのは5分前以前はずっと戦争の中にいたかのような気分で、平和なんて一度も無かったみたいに。

けれど記憶の中の戦争はいつもネットの向こう側で、本当にクソな事体に陥ったことは無いともいえる。香港のデモで催涙ガスを浴びせられたりもしてない。イラクでIDEで車を吹っ飛ばされたわけでもない。自爆テロの攻撃にあったわけでもないし、世界中のあらゆる紛争地帯と僕は無関係だ。

なのに、今自分は世界一不幸な男の気分でいる。

もし本当に今の状態を世界の不幸ランキングで測るとしたら幾つになるか考えてみたいが、どう考えたって半分以下にはならない。なんせ、この地球では現在77億人の人が暮らしているのである。そのうえ戦争にも巻き込まれてない僕が、ワースト77億になるかといわれれば、まぁ絶対にない。

もしそうならどうなるだろうか?例えば、ある日突然、あらゆる法律が適応されない日ができてしまい、「パージ開始です」とか意味不明の合図で殺し合いがはじまる。まじでイカレてるとTwitterで嘆いたら、「それは差別的な発言です、あなただけが酷いわけじゃない」なんてクソリプを飛ばしてきた相手と口論になりブロック、逆恨みした奴がブチギレ、親がコロサレ、母親までコロサレ、兄弟みんなが殺されてクソリプ野郎が家が放火で全焼して、唯一残った任天堂スイッチとポケモンシールドとどうぶつの森を近所のキッズが火の海の中でパプリカをうたいながら踏みつぶした上、その残骸を酔っ払いみたいな歩き方の米津玄氏が踏みつぶしたら、いきなり爆死。彼を死に追いやったグレネードランチャーを持つ通りがかりのヒカキンが僕の目の前で「ハローユーチューブ!」と叫びながら僕目がけてグレネードを撃とうするのを、シバターが救おうとするが、結局セイキンが笑いながらイイネボタンそっくりの核爆弾のスイッチを押して僕が死ぬ。いや、ここまでくると僕以外も。

けど、それくらいしなきゃワーストは無理だし、それでもいけるかどうかってレベルだ。な

んせ、下には下がいるのが世の常。

映画とアニメゲームとYouTubeとTwitterでしか養われていない僕の想像力。俗物で作られた僕の脳みそじゃコレが限界だ。

だからまぁ、実際大して今の自分は不幸じゃない。

そうだとも、もうやめよう、今日は最悪の日だったなんてありふれた書きだしで、此処でうっぷんを晴らすのは?

ああ、どうせ誰かに聞いてもらいたいだけだし、最悪ってのは盛り過ぎ。

それに、毎回最悪なんて言ってたら、何が最悪かわからなくなる。冷静になろう。できるだけでいい。

だから冷静に考えてみて、今日の僕は最悪じゃなかった。

そういえば、朝目覚めた時はそうでも無かった。ああ、そうだ。今朝は目覚ましピッタリにめざめて、いつもよりはやおきをした。睡眠は久しぶりに快調だったし、歯もしっかり磨いたし、会社からもらった雇用保険の用紙もばっちり準備していた。

たしかに仕事はクビになった。

2020年の始めから始まったウィルス騒動のせいで僕は仕事を失った。

それでも最悪じゃないってのは、これが僕だけじゃないからだ。

経済が停滞し、誰もが怯えて金を使わなければ、僕みたいなやつはゴロゴロとで出ている。偉い人が僕らに命じるのは、手をあらい、うがいをして、ステイホーム。まるで利口な犬みたいに、給付金という餌を出すまでずっと待てを命じられている。それだけだ。

そして飢え死にを待つか、ウィルスに怯えながら金をかせぐか──いや、自粛警察に怯えながらの間違いか。

今じゃ世の中、子供の頃に読んだ1984見たいに、思想もクソもありゃしない。これじゃ、まるで思想警察(シンクポル)みたいだ。

いや、奴らと同じってわけじゃない。ただ、似てるのは奴らから出てくる恐怖の匂いだ。恐怖の連鎖における増幅装置。恐怖の塊。だから結局、自粛警察ってやつは誰よりも怖がっている。そう思うと、鏡の中の自分が少し笑っていることに気がついた。

それからスマホを開いてTwitterをみれば、タイムラインは怒りの時間で溢れていた。小説じゃ朝の5分間、市民は仮想敵国に向かって怒りを吐き出す時間が設けられていた。そのほうが、貧しい人間は政府に敵対しないのだそうだが、今じゃ架空の他人に向かって怒りを吐き出すようになっている。なるほど。ほおっておいても、人は政府とは敵対なんかしないし、もっと手軽な方法で今の生活と精神を守れるってわけだ。

ビッグブラザーなんていなくて、出来損ないの思考警察と、中途半端に支配された人間だけがいる世界。資本が崩れ、誰ともなくはじめた全体主義めいたい空気。スマホを閉じ、見上げた天井の暗闇。けれど、それが僕にはどこか懐かしい。

どうしてなのか?

考えてみたが、それはよくわからない

暗く、生きた人間は誰もいない場所。あと少しでジョージオーウェルが描いたようなディストピアにたどり着くとして。今より最低な世界が待っているとして。なぜ懐かしい?どうしてそこを知っている?

それはありえない。

ありえるわけがない。

なんせ、僕よりも最低なやつらなんて山ほどいる。僕は最低なんかじゃない。

そう言い聞かせて朝の準備を終えたあと、昨晩塩素スプレーをしたマスクを付けて家を出た。帰ったら、もう一度あの小説を読んでみたくなった。

向かったのは近所のセブンイレブン。

マスクから鼻をつく塩素の匂いに慣れはじめたころ、入店してまっすぐパンコーナーに向かい、コーンマヨパンをカゴに入れる。これはマジで美味い。おまけにジョージアの微糖をホットで買ってレジに行き、ビニールカーテン越しに見えるオッサンにレンジで温めるようにお願いする。

顔面の歪んだオッサンは返事をするが、付けているマスクとビニールカーテン越しのせいで何を言ってるか聞こえない。

おっさんはコーンパンを温めて、異世界の向こうから僕に渡したが、ビニールカーテンに近づいたマスクが茶色く汚れていた。きっと僕のもそうだろうが、今じゃ気にしても仕方がなかった。

で、車の中でパンを食いながらコーヒーを飲み、明方の薄暗い道を走る。

ながら運転なんて言わないでくれ。あれはスマホだけの話だし、コーンマヨパンじゃ好きなアーティストの新譜も聞けやしない。流れた音楽誰も居ない道路。時速60キロ。ズレた時間。向かう山の向こうから朝日が昇りはじめて、サングラスをかけた。

到着したのは20分後。
着いたのは山間の渓流。

北海道は北、けれども最北端じゃないこの田舎。

誰もが通り過ぎる峠道に車を止め、外に出ると、今年も冬が過ぎ去り、春がやってくる実感がわく。
車からタックル一式を取り出し、ロッドからラインを引き出して、ルアーを付ける。

装着したのはシンキングミノー。
ラパラのCD5、カラーはやっぱりオレンジのGRF。
久しぶりの釣りで間抜け面したラパラを使おうってのはずっと思ってたけど、もうラインに結べるだけで嬉しくて仕方がない。冬の間、ずっとこいつを眺めて過ごして来たのだから。

それからウェーダーをはき、4ftのロッドをかついで森の中に入る。
斜面をくだっていくと、次第に川の音が大きくなってくる。凍ってはいない。やっぱりもう解けてる。

そういえばウィルスで世間は自粛ムード一色だった。僕もウィルスや世間体を気にして大きな町には行かなくなっていたが、釣りだけは別だった。

なんせ山の中、しかも近所の渓流で、いったい誰から感染するっていうんだ?ばかばばかしい。しかもこっちは無職で金がない上、1週間VODを見続けるだけの生活をしていたんだ。ゾンビランドも、アイ・ゾンビの新シーズンも、何度も見たカウボーイビバップも、装甲騎兵ボトムズも、何もかも見飽きた末の渓流だ。この僕を誰が止められるんだ?どうせ死んだって誰にも迷惑をかけないこの僕を。ウィルスも自粛警察にも止めようがない位釣りがしたいこの僕を。

そこで、川沿いに誰かが居ることに気が付いた。


黒っぽい服を着た男。座り込んで何かをしている。
春の陽気に誘われて、先にだれか釣りに来たのだろうか?
まぁいいや、どうせあの一人だけ。

しばらく人と話をしていなかったから、口がしゃべり方を覚えているか不安だった。

とりあえず挨拶をして、あっちが上にいくなら、こっちは下に行こうって具合に近づいて、おはようございます、釣れてますか?っていう釣り人の定型文を脳内でコピペして口元にペースト。あとは舌先でエンターキーを押す。それだけだ。

けれど、釣り人じゃなかった。

木立の間で雪に足を埋もれさせながら近づき、あと数メートルというところで気が付いたのだが、来てる服がみょうにゴワゴワとしていると思った。それから丸まった背中の向こう側から頭が見えたが、そこもにもびっしりと毛があった。

けれど、まだ希望はあった。
ただでさえ自粛ですり減った僕が、朝も早起きして、良い朝食と、いい音楽と、いいフインキでたどり着いた久々の渓流ルアーフィッシング。

そんな時に、まさかトラブルが起きるわけがないと思い、舌先にコピーした定型文を一応出力してみた。

print(”おはようございます、釣れますか”)

雪解け水で溢れた水の流れる音に掻き消えないよう、一応大声で言ったつもり。けれど、その後の男の声のほうがデカかった。

叫び声をあげ、男が立ち上がり、こちらを見た。
けど、男じゃなかった。それどころか、僕の挨拶が無意味どころか、逆効果だったのを思い知った。

熊だった。

真っ黒だった。いや、ちょっとは茶色だった気がするが、ゴワゴワとした毛におおわれていた腹の部分だけで、あとは大体真っ黒だった気がする。というか、この距離でヒグマを見たのは生まれてはじめてだったから、その時は頭の中になんの熊なんて字は浮かんでいない。毛むくじゃらのバケモノが突然目の前に現れた。それだけだ。

でかかった。

両手を前につきだしでかい口を開き、再び吠えたあと、前足で着地し、低くうなる。そこではじめて獣臭に気が付いた。

それから、僕は正常な行動にようやく移った。熊と人間がわずか3メートルほどの距離出会ったらまず何をすべきなのか考えたわけじゃないが、もっとやることがあるのは間違いない。

だから、僕は大声を上げ、すかさず逃げた。
本当は目をあわせながら後ろに下がるのが正しい。けれど、キレた熊を目の前にして、相手が待ってくれる保障なんてどこにもない。だから、史上もっとも人間を生き延びさせた方法に頼るしかなかった。背中を向けて、必死に逃げる。それ以外の方法があるか?ないだろ?

けれど、今思えば、たしかに目を見て後ろに下がった方がよかったかもしれない。

なんせ、熊も僕と同じく、原始的な法則にのっとり、僕を追いかけてきたからだ。
雪に足をとられながら、背後から迫る黒い巨体が視界の隅に揺れた。
体が熱くなり、とにかく逃げるしかないと斜面を登るが、解けかけた雪に足を取られてうまく登れない。

もうす熊に捕まる。

まずい、もっと速く!もっとだ!ああ!もっと速く!

もがくように手を伸ばし、木につかまりながら斜面を登りつづけ、気が付くと定型文なんか捨てて、思い切り叫んでいた。

「すいませんでしたぁああああああ!!!」

なぜ謝ったのかは今となってはわからない。


とにかく誤れば熊が追ってくるのを辞めてくれると思ったのかもしれないし
何か、これと同じような全く同じ状況のことを思い出したのかもしれない

ただ一つ言えるとしたら、大声でこんな言葉を叫ぶような事体は、なんにせよ最悪だ。


ああ、やっぱり最悪だ。

ウィルスも、自粛警察も、無職も、貧乏も

自分が地球何番目かなんて、どうでも良くなるくらい

マジで最悪だ


『我が人生最悪の日』

TOCCHI – Chose This Remix feat. HANG & Jazadocument (Prod.CraftBeatz)

最悪なことは誰にでもある。

例えば仕事をクビになったり、恋人にフラレたりなんていう良くあるやつから数えれば、生きてる内にどれだけ最悪の出来事に遭遇するか考えたことがあるか?

ないだろ、いや、あるなんてやつは嘘だ。たいていの人間は過去の不幸は時間がたてば忘れるようになっているし、そんなもん数えても意味ないし、自分以外だって不幸な目に合ってると思ってる。

だから元気だせよとか、気にすんなよとか、そんなこと言うやつは片っ端から自分と同じ目に合わせたくなる。

だいたい前提が間違ってるじゃないか。

お前にとっての最悪も、僕にとっての最悪はまったく一緒じゃない、何一つとして違う。

ウィルスでおかしくなったこの時代もそうだ。

みんな不幸だが、みんなそれぞれ違う不幸なんだってことを、どいつも忘れがちだ。

なんで忘れるかっていえば、それは誰かが不幸だからって、僕まで不幸とは限らないから。たとえそれが愛している人間だとしても、家族だとしても、兄弟だとしてもだ。

共感して怒ったり悲しむのは不幸じゃない。

わかるか?不幸ってのは、人それぞれなんかですらない、自分自身、自分の世界そのものを表してる。不幸は、この世界が、自分がいるから存在していることの象徴なんだ。

じゃぁ幸福はどうなんだって?

ばかいうな、そっちは勝手に考えてくれ。

なんせ熊に追われてるんだ。そんなもん考えても何の足しにもならない。不幸なら良いさ、それこそ慰めだろ?なのにふざけるなよ?さっきスマホに通知があって、電波が通じたと思って見てみたら、インスタのフォロアーがパンケーキ焼いてる写真を出してきて『#幸せのおすそわけ』とか書いてきたら、速攻でブロックしてやった。ありえないだろ?こっちは熊に追われていて、ようやく電波がつながったと思った瞬間だってのにこれかよ #くそパンケーキにガソリンをまき散らして火をつけてやろうか?

───まぁともかく

ともかく走りはじめて30分はたったと思う。

汗はひどいし、それでもロッドだけは握り続けていたあたり、まだ余裕はあるのか?

いや、ないだろ。

とにかく今、どこかの山の中にいるのははっきりとしているが、本当に色々と、もうダメだ。

熊の気配は今はない

けど、それよりもっと困ったことがある。

今自分がどこにいるのか、まったくわからなくなったことだ。

「──最悪だ」

つぶやいて、木の根元に座りこみ、上をみると青空を覆う無数の枝が風に揺れているはずだった。

けど、息が切れて酸欠なせいか、視界すらぼやけて歪んでるのか、空がグニャグニャで、コンビニのレジにあるビニールのカーテンがそこにもあるみたいだった。

咳をすると絡んだ痰を吐き出して、おもいきり咳をする。

普段街中じゃ咳一つまともにできないご時世。今じゃこんなに咳ができるばしょは、こんな山の中位だ。おもうぞんぶん咳をしてやる。

それから深呼吸をすると、だんだん視界もまともになってくる。

もう渓流は近くにはない。音すらしない。周囲は木に囲まれている斜面の中ほど。藪もちらほら見える。

そこで問題だ。

いったい、僕は今どこにいるのか?

それがわかるのは僕じゃないし、誰かでもない。わかるのはスマートフォンのGPSアプリ。たのむぞとポケットをまさぐって、そこにあるはずの感触を期待したが、ない。見つからない。スマホが見当たらない。

終わった。

もうだめだ、助からない。

どこで落としたのか?クマに追われる最中か?それとも車の中?くそ、わからない。どうなってんだ、なんでこんなにツイてないんだ。

頭の中がパニックになり、また視界が歪みはじめる。酸欠だ。息をすうために思い切り空気を吸い込んだが、失敗してまたせき込む。

くそ。もう嫌だ。

一体ここがどこかもわからない上、まだきっとクマは僕を負ってどこかをウロウロしているはずだ。いや、諦めたか?だとしても、遭難したのは間違いないだろ。

遭難?冗談だろ?

立ち上がる気力はないが、なんとか頭をふり、後頭部を木に打ち付ける。何度も、何度も繰り返して、痛みと怒りがわいてくるまで。

そのうちにだんだんイライラとしてきて、僕はその場からようやく立ち上がることに成功した。ふざけやがって。なんでこんな目に合わなきゃならない。

そりゃウィルス騒動の中、渓流に来た僕に天罰を加えるためだと、僕の中の自粛警察が声を上げて抗議していたが、おまえは今はだまってろ。今いちばん必要ないんだ。

それからもう一人の僕が話かける。そいつは昨日の夜、ネットフリックスを見ていた僕で、3本目の発泡酒を飲みながら僕に問いかけてくる。

「どうして釣りになんて行ったんだ?おとなしくネトフリでも見てりゃ良かったんだ」

そういってまた酒を飲み、うつろな目でネットフリックスを見て笑う僕の問いで、少し落ち着いた気がする。クズ男が、よくやったよ。

そうだ、僕は腐りきりそうだった。

仕事もなくなり、家からも出なくなり、ネットフリックスを見て、たまにYouTubeを見て、小説を読んで、またネットフリックス。そして酒。

そんな生活に飽きてきて、ついに金までなくなって、あてにしていた給付金がまだ来ないことに腹を立てた僕は、いよいよ限界を迎えて渓流に行こうと決めたのだ。

けれど、あのままのほうがマシだった。

少なくとも、ウィルスに感染もしないし、こうしてクマにも追われないほうがマシに決まってる。

世間じゃ釣りも自粛しろと煩いやつもいる。そいつらの言うことを聞いてればよかったかもしれない。癪に障るが、家から出ないってのは安全なのは間違いない。

とはいっても、とにかく何とかしなきゃならない。

ここがどこかわからない以上、とにかく安全な場所に移動しなければ。でなければ、バックに入れておいたマヨパンも食えない。

そこで、まずは斜面を下ることにした。

どこに向かえば車のある場所に出るかわからないが、上に上っても仕方がない。

それに、ここが同じ谷なら、下へと向かえば渓流に出るはずだ。水辺に出れば、そこを下れば道路も近いはずだ。

なんとか腰をあげ、斜面を下り始める。急いで転んで足をくじいたら終わりだし、まだ周囲にクマがいるかもしれない。

バックに付けた鈴は今も鳴っているが、これでクマが避けられるわけがない。だったら、さっきのクマだって避けてくれたはずだ。山の中では音がどう伝わるのか予想できない。久々の渓流で爆竹を忘れなければ、こうならなかったのかも。

こうすればよかった、ああすればよかった。

たらればを繰り返しながら山を下りていく僕の足取りは重かった。どこかケガでもしているのかと思って、途中で足を確かめた位だ。

なんでこうなったのか?なんてことを考えるのは普段は無意味だと思っている。ものごとの事象は因果律ってやつで支配されていると昔本で読んだことがあるが、そいつは人間が理解できることじゃない。どこかで蝶が羽ばたいたら、そのせいでハリケーンが起きるなんてことが、人生におけるたらればだとしたら、誰が操れるんだ?わかるわけない。今ここで荒い息を吐いたせいで、どこかで竜巻が起きるっていうし、Twitterでお気に入りのエロ絵をファボったせいで、将来の彼女が一人消えていなくなるっていうもんだ。そんなもん知るか。

けれど、枝を掴み、クマの恐怖に怯えながら一歩一歩位谷底へと降りていく僕が平常心でいられたのも、きっとこのことばかりを考えていたからかもしれない。

もしもウィルス騒動のせいで仕事が無くならなかったら?

もしもこの土地に住まなかったら?

そう考えても、一向に答えなんか出てこない。

たしかにそれならそれで違う未来があったかもしれないが、その未来ってやつが今の僕を助けてくれるわけじゃない。なのに、どうしてこんなに考えなくちゃならないんだ、ああ、やってられない。

ぼやきながら斜面を下りつづけると、次第に水の音が聞こえるようになってきた。

渓流がある。

そう思うとつい足が速くなるが、とにかく慎重に、ゆっくりと下るしかなかった。

しかもロッドを握っている方の手がまともに使えない。くそ、こいつさえなければ、もう少し楽に降りれるっていうのに。

そう考えて、一つ考えてなかったことに気が付く。

もしも、渓流釣りを好きじゃなかったら?

釣りなんて、僕が好きじゃなかったら、こんな山奥でクマに追われて遭難することなんかなかったはずじゃないか。

ああそうだとも。僕はうなずく。確かにそのとおり。それに、これは今だから考えたことじゃない。普段から、ずっと僕はそれを考えている。


───釣りを好きじゃなかったら?


もしそうなら、僕はもっとマトモな人生を歩めたかもしれない。

時間を無駄にせず、金もないのに釣り道具も買わず、他人ともっと接するようになり、明るくて気さくな人間になっていたかもしれない。

けれど、幼いころを思い出してもそれが言えるのかといえば、やはりそれは無い。

なにせ、僕にとっては、釣りだけが唯一の救いだったからだ。


よくある話だが、僕は子供の頃に友達がいなかった。

クラスになじめないというより、世間そのものに馴染めなかったというのが正解だと思う。人と話すことが苦手などころか、皆が何を考えているのかさっぱりわからなかった。どうしてここで笑うのか、どうしてここで怒るるのか、何一つわからなかった。

今でいう発達障害みたいなもんなんだろう。なんとか周りにあわせようと、人が笑ったら笑うように努力してみたが上手くいかない。かわりに相手を喜ばそうと思ってやったことで激怒されたり泣かれたり。その奇妙さが疎ましがられたのか、からかわれてイジメられるのが関の山で、友達など一人もできなかった。

それでも僕は周りの子供達が何を考えているのか理解できなかった。

話をすることはできても、共感することができないし、表情から察することもできない。おまけに何かをすれば、怖がられるか怒られるか。そのうちに距離を置かれて、より相手のことがわからなくなる。まるで、目の前にはコンビニのビニールカーテンが付けられたままみたいに。

もちろん僕はウィルス保菌者じゃないし、あっちもそうだ。けれど、自分と違う人間というのは、それだけで恐れるには十分な理由だ。

そのせいで僕は学校に行かなくなっていったし、鬱を通り越して毎日死にたくなっていた。孤独というのは子供にとってあまりにも厳しすぎる現実だ。どうせ死ぬのは誰もが一人だとしても、それは諦めが付いた頃に理解できる話であって、死からほど遠い子供にとって、孤独とは死そのものだからだ。

そんな不安と恐怖に際悩まされる位なら、いっそのこと死んだほうがマシだ。

そう思いはじめた頃、僕は釣りに行くようになった。

クラスの中では孤独で辛かったが、自然の中で一人になるのは、僕にとって何も怖いことじゃなかった。むしろ安らかで、安心できる場所。

気楽だった。

それでいて、僕の心はその時だけ平常心でいられたと思う。

一人で釣り竿を垂らして、魚を釣って遊ぶ。そうして僕は、少しずつ死から遠ざかっていった───

──はずだった。

そのはずが、こうやって死は今も訪れつつある。釣りさえしていなければこんな目にもあっていないし。このロッドさえなければ、もっと楽に下れるんだ。

やってられない。

だから「たられば」なんてのはわからない。

何をどうしてれば、明るく平穏で保険会社のCMみたいな家族を築けるかなんてわからない。それに、こうして救われたはずのもので殺されるんだ。ふざけやがって。

けれど

だけど良い手がある。

自分を罰して、このクソな人生を終わらせる唯一の方法が、後ろから僕を見守っている。

ああ、死ぬのが怖いのは当たり前だ。

けれども、それでも僕にとって死は常に最後の救いなんだ。わかってくれ。

いつか諦めて、どうにもならなくなった時、釣りですら僕を救えないとわかった時、最後はそいつが僕を救う手はずになってる。ようは、僕にとって最後の保険ってわけだ。あの頃からずっと契約しっぱなしで、自動更新されてるんだろうし、解約できたって人間を僕は知らない。

けれど、まだそれを使わずにいられるのは、きっと──


──そこまで考えて、足元の石に躓いた。バランスを崩して転びそうになるところを、必死にこらえる。

石・・・もしかして。

急に視界が広がって、強い光が目を刺した。

透明な水が乱れながら流れ続けていた。水が石を打つ音がした。渋きまって、その上を小さな鳥が掠め飛んでいった。

渓流だった。

渓流だった。

渓流だった。

僕は立っていた。

ロッドを握りしめて立っていた。

知らぬ間に僕は走りだし、水辺に座りこんで水を飲みはじめた。コップなんかない。片手ですくって、そいつを口元に押し当てて、思い切り吸う。気が付けば喉が渇いていたらしく、ひたすら右手で水をすくっては顔に押し当てていた。

けれど上手く飲めない。顔に水がかかるだけで一向に口に運べないので、持っていたロッドを川辺に置き、両手で水を飲むと、今度は思い切り口にはいってきて、おもわずむせる。きっと水が入ったせいで鼻の奥まで痛いが、それでも2度3度と水をすくって飲んだあと、ようやく僕はあたりを見回すことができた。

見た事の無い渓流だった。

さっきの渓流より川幅が狭く、石も多い。水の流れはさほど多くないが、水の底がほぼ石で埋め尽くされているせいか、流れの起伏が激しい。

そのうちに、足元の水の中に何かが通り過ぎていった。

魚だ。たぶんヤマメ。ここにも渓魚がいるらしい。

そして、ふと足元にあるロッドを見る。

なんで、僕はこいつを手放さなかったんだろうか?

あたりを見回してみるも、クマはもう居ないらしい。縄張りの外に出たのだろうか?足跡がないか回りを見てみるが見当たらない。

ここは安全なのか?

ひとまず完全に安全というわけでも無いだろう、ここは同じ山の中だ。ヒグマのテリトリーはかなり広い。山2つ超えても奴らは追ってくるかもしれない。

とにかく匂いを消すため、僕は川の中に入る。走ったせいでウェーダーが破れてないか不安だったが、すぐに水が漏れるレベルじゃないらしい。流れの中に両足が入ると、心が落ち着きはじめた。

ロッドを手にとり、川を渡れば、きっとやつはもう追ってこれないはず。

そうなれば、あとは対岸を歩いて家に帰るだけ。クマもいるし急いで家に帰ろう。

けれど、家に帰っても結局は自粛するだけなんだと思いはじめると、次第に足が止まるようになっていった。

それに、どうせ帰りながらだと思いながら、ついにはラインにルアーを結んでしまった。

どうしようもないが、これが僕だ。これだから不幸なんだ。

そうとはわかりつつもルアーを投げてしまうのは完全な病気だ。さっきまでクマに追われて、今なお遭難中だというのに。

しかし、ルアーを投げていると、次第にそんなことすら忘れてくる。流れの中にルアーを落として、トゥイッチを掛けていく。ここじゃないのか?水温がわからないが、まだ流心に出てきてないのかもしれない。深い場所は?あそこのカーブは?

そのうちに下へと下りながらルアーを打ち込みまくっていく。淵、ヨレ、石裏、鏡。打てるだけ打ち、潜らせるだけ潜らせ、川底をこすりながらヒラを打つ。

気が付けばあっという間に数百メートルは歩いていったのだろう。すぐ先に道路が見えてきた。

しかも、見ていれば車も走っている。あそこを登ればもう大丈夫だ。案外近い場所にあるかもしれない。

けれど、道路沿いで川が大きく曲がっているのが見えた。その先に何があるのか。もしかした大きな淵があるかもしれない。いや、そんなこと考えてる場合じゃないのだけれど。けれど気になって仕方がない。

ちょっとだけならいいはずだ。

ちょっとだけなら、道路だってすぐそこなんだ。ちょっとだけ、そこを最後に道路に出て車に戻るんだ。

そこで川をくだり、頭の上にある道路を横目にさらに先へと進んだ。不安と期待。腰をかがめて先へと向かうと、やはり流れが穏やかな場所がぽっかりと出てきた。

きっとかなり深い。

カーブで流速がはやまった流れが、水の中に吸い込まれるようにして穏やかになっている。

絶対に居るだろう、これ。いやもうクソデカいのがいるにきまってる。ニジマスとか。

そこでロッドに着けていたミノーをチェンジして、7gのスプーンに変える。少し大きめのフックが付けれるし、フォールでボトムまで一気に落とす作戦だ。

キャストして、まずは流れに乗せていく。それから流速が突然落ちるポイントで、テンションを抜く。消えるスプーン。ラインが出ていく。それが止まった瞬間に、ポンとロッドを煽ってリールを巻くと、思い出した忘れ物を取りに行くように、ロッドティップが水面へと引き返した。

かかった。これはデカい。

「ヨシ!」と一人叫んで思い切りフッキングをしてリールを巻き始めるが、何か違う。なにか妙に小刻みな振動がラインから伝わってくるし、なにより軽い。

首を傾げながら巻きあげるうちに、水面に魚影が映る。小さい、あれだ、ああ、ヤマメ。ヤマメだこれ。

掛かったのは小さなヤマメだった。15㎝程しかない魚体が大きな針に果敢にもアタックしてきたのだろう。ありがたい。ありがたいが、すまないヤマメよ。お前じゃなかったかもしれない。

その時、背後から雄たけびが聞こえた。

まずい、クマだ。さっきのやつが僕を探している。

僕は慌ててヤマメを逃がす。ヤマメは水の中に吸い込まれ、僕はその別れすら惜しむ暇もなく道路へと向かって走った。斜面には言える藪を掴んで体を引き抜く。後ろをみると、遠くから小さな黒い点がこちらに向かっているのがわかった。はやくはやく。ほら、キタキタキタキタキタ。

道路を登り切り、そこで急いで道を走る。見覚えがある道だ。たぶんこのまま下っていけば自分の車がある道路の近くまで出れるはずだ。

振り返る。

さっき自分が出てきた草むらが揺れ、黒い影がアスファルトに出てきた。間違いなくヒグマだ。

くそ、追ってくる。どうする?また斜面に転がりこむか?

そう考えていたが、クマはその場で止まったまま追ってくる様子はない。けれど油断できるわけもなく、僕はそのまま道路を走り続けた。


──それからどうやって車に戻ったのか、今ではよく思い出せない。

車にたどり着いた頃には全身傷だらけで、ウェーダーは穴だらけ。それでもロッドだけは手放さなかったけど、付いていたリールのハンドルがどこかに行ってしまっていた。

車の中に置いていた飲みかけのアイスコーヒーを一気飲みし、運転席にへたれこむ。もう大丈夫だったが、すぐに家に帰れる体力はなく、ドアのかぎをロックして30分はそのまま微動だにできなかった。

それから家に帰ってくる間、疲労で倒れそうだったが、なんとか家に帰ってきて、ボロボロのウェーダーを脱ぎすて、タックル一式をもって自室に戻ってきた。

もうクタクタだ。

こんな目にあったのは初めてだけれど、渓流釣りというのは、こういうこともある。ウィルス騒動の中、無職のくせに渓流に釣りにいって、さらにはクマに追われて、ウェーダーに穴があき、リールのハンドルまで無くした。これが最低じゃなかったら何なんだ。まったく。

本当に釣りをやめようと思いながら、今日あったことを急いで文章に書きだしている。
けれど、どうしてもやめられないのかもしれないかもしれない。クマのことを思い出しているのに、最後にヤマメを釣ったあの淵のことがもう目の前にチラついてる。だめすぎる。もう癒しをとおりこして完全な病気だ。そのせいで僕が生かされているとしても、頭がおかしい気がする。

それに、クマに追われて改めて生きてみようとも思った。

恐怖は人を支配するだけじゃない。当たり前だが、それを実感できただけで、なんだか退屈さから遠ざかっていった気がする。ああやばいな。クマに追われて何言ってんだ自分は。もう手に負えないバカだな。
けれど、しばらくは渓流に行かないかもしれない。あんな目はたまに会えば良いし、命からがら逃げかえってこれたのは運に違いない。この季節はクマが多すぎるし、ウィルスの影響で人が消えたせいで、どんどんとテリトリーを広げてきてるんだ。

 
 まってくれ

窓の外で、何かが動いた。
まさかな、あそこから10キロは離れてるんだ。
車よりはやいクマなんているわけないだろ。

いや違う。

そんな、まってくれよ、ありえないだろ。うそだ、どうするんだよ。別のやつだろ?でもなんでこんなところに要るんだよ。やめてくれよ。まじで笑えないって。

──玄関を見てきた。

ドアを少しあけて外を見てみたが、居る。クマがいる。
それも一匹じゃないんだ。何匹いるかわからない。そこら中にクマがいる。

おまけに手が落ちてた。人間の手だぞ?向かいの家の玄関が空いていて、そこから血がのびていて、道路の真ん中にぽつんと手が落ちてたんだ。

悲鳴はない。僕が家に帰ってきた頃にはすでにヤられたのかもしれない。どうするんだ?くそ。最悪だ。最悪だ。くそ、あああ、くそ、死にたくない。死にたくない。もういやだ、もういやだ。

音がする。

あいつらが玄関に体を押し当てている。違う。目の前の窓にいる。


今携帯に緊急速報が鳴った。

バカでかい音のせいでクマに気が付かれた。窓ガラスを押し破って侵入してきたので、急いでノートパソコンをもって2回に駆け上がった。

もう一階はダメだ。あいつらがいる。一匹じゃない、2匹か、それ以上いる。

くそ速報のせいだけど、中身を見て驚いた。

人間がクマになってるらしくて、それで、それで回りの人間に気を付けろっていう通報だ。うそだろ、いやまさか。

どうしてクマになるってんだ?まてよ、なんで僕だけクマになってないんだ?

もしかして山に行っていたからか?それで?もしかして、僕以外はすべてクマになったっていうのかよ。笑えるだろ、大草原だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwまってくれ、人間は一人も居ないのか?そうなのか?もうクマだけになったのか?地球上で生きてる人間は僕だけだっていうのか?まじかよ、それじゃぁ釣りに行こう。釣りにいくんだ。もう釣りに行くしかないだろ。釣りだ、釣りにいこう。ロッドは?下にあるな、すぐに釣りにいくしかない。もうやってられない。あの淵にいってもう一度チャレンジだ。きっと大物がいるはずだぞ♪さぁいくんだ、世界は終わったんだ。やったぞ、ついに終わった。これからは釣りばっかりやって魚を釣って畑を耕して生きていくんだ。最高だよ。何もかもから解放されたんだ。社会は終わった。文明が終わった。最高だよ、最高の日だ。ああそうだ釣りだ。釣りにいくぞ。さぁ釣りにいくnnaaajfa]
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道北貧釣

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