ある日気になる、タックルボックスの中にある名もなきルアー
それは黄色い魔界で、なにか勢いで買った気がする
もしくは子供のころ、お小遣いを貯めて釣り具やで買ったのだけれど、もう名前が出てこない
そんな、名前の無いルアーを調べ、その正体を探る「謎のルアーを追え!」の企画がついに帰ってまいりました!どうも貧乏ルアー考古学者のαトラウトです!
今回は久々にあの当ブログの隠れた人気企画「謎のルアーを追え!」ですよ
いや、別に緊急事態で暇だからやりはじめたとかじゃないから!ほんとに違うから!
というのもね?実は今回依頼があり、とあるルアーの正体を調べたんです。
で「だったらもう一回あの企画やろう」と思い立たったわけですよ
まぁ思い返せば初回から「行きついた先はヒトラー率いる第三世界リスペクトの紅いスピナー」だったり、まじで名前がわからなくて視聴者様に助けてもらった反則ルアーだったり、毎回着地点が一切予想できないんですよね、これ。
というわけで、ご依頼者様からの調査報告書という形で、今回も謎のルアーの正体に迫りたいと思います。
今回の依頼の品はラパラにそっくりだった
今回の依頼はTwitter経由で頂いたんですが
その品というのが、この上の写真。
そうです、ラパラにそっくり。
というか、どう見てもラパラにしか見えない。
一見してビンテージラパラであり、限定モデルで時折発売される、あのスターホイールの品。
ぶっちゃけこれが本物だったら凄い値段が付く品ですね。
けど・・・なんか良くみたらラパラじゃない・・・これ一体なに?
というわけで依頼を頂きました。
調査開始:溢れすぎたラパラの模倣品
ラパラに良く似た謎のルアー
このルアーの正体を突き止めるのは、まぁ簡単じゃないと直感しました。
というのも、ただのコピー品ではなく、それがラパラだから。
ためしにまずラパラの模倣品がどれだけこの世にあるのか調べてみると、とてつもない数のルアーが出てきます。
そうです、ラパラはこの世で最もコピーされたルアー。
中でも、オリジナルフローティングは登場してから80年代に至るまで、合法非合法とわず、あらゆるメーカーが見た目をコピーし、この世に送り出しまくっているのです。
例えば、日本の大手メーカーも当然やってる。
例えばダイワも初期のころは「バルサミノー」という名前でラパラそっくりのルアーを出していたのは有名な話。というか、昔のバルサ製ミノーの多くは、ラパラのオリジナルフローティングを模倣して作ったものばかりなので、ほんとに見分けがつかないものが多いんですよ。
またリョービ、オリムピックといったメーカーも似たようなバルサミノーを出していた。
でも、それは日本だけの話ではなくて、
そもそも海外がラパラの模倣品だらけだから、日本でもやろう!という流れになった、と僕は思うんですよね。
とくにラパラが爆発的に売れていたアメリカでは、とんでもないラパラブームがやってきており、有名なメーカーからもラパラに良く似たバルサ製ミノーが発売されはじめます
またラパラをもとにプラスチックルアーを最初に作ったのが、現在のアブガルシアの前進、スェーデンのABU社
それが名作と名高い「キラー」ですね
ちなみに、こいつはプラスチック製で作られたもので、販売はアブながら、そのボディの設計はプラスチックルアーの生みの親であるレーベル社が担当。
また、コピーしながらも、バルサ製ミノーとしての進化を遂げようとしたものもあります。
バグリーから発売されたバングオーミノーは、アメリカでのラパラブームを象徴するようなルアーで、ラパラからお墨付きまで付いた、いわゆるラパラリスペクトなアイテムです。
また、同じバルサであってもラパラとは一線をかくすミノーも登場し始めます。
特にラパラと同じフィンランド生まれのニルズマスターのインビジブルは有名。
ラパラと同じバルサミノーとは思えないそのオリジナリティあふれるデザインやアクションで一躍有名になり、ラパラに次ぐフィンランドのルアーメーカーとなりました。
まぁ、そんなこんなで、とにかくラパラのバルサミノーがもたらした影響は絶大だったわけですし
パクられてこその一流
という言葉がある位ですから、ラパラのフローティングミノーは確かに一流であったのは間違いないし、そのムーブメントは現在のルアーフィッシングでは考えられないレベルだったんでしょう。
で、今回の依頼の品も、そうした経緯の中から生まれたはず。
けれど世界一パクられたルアーのコピーだけに、似たようなものがあまりに多すぎる!
──これは難しいぞ?と思ったものの、自分の知っている知識をもとに、とりあえず刻印から調べてみることにしました
調査経緯2:Finlandia Usitin Wobblerの謎
今回の依頼の品は、数あるラパラコピーの一品
と、簡単に片づけられない理由の一つに、その姿形が群を抜いて本物に近いこと
さらに「made in Finland」とベリーに書かれていること
つまり、フィンランド生まれのルアーで、ラパラにめちゃくちゃ似ている。
これが他のコピールアーとの決定的な違いです。
いくら寄せようと思っても、ラパラのコピーは手間がかかるので、ディティールに大きな違いが出る。
にも拘わらず、こいつは本物にかなり近い。
姿形もそうですが、口紅に腹巻、さらにスターホイールまで一緒。
これがギャラリーフェイクならフジタが歓喜してますね。製作者は誰だって。
で、さらにmade in Finlandまであれば、何も知らない人なら絶対にオールドラパラと言われれば騙される。
現に調査をはじめると、これとまったく同じものが様々なオークションサイトで出品されていました。
しかも、その多くのが「old Rapala」の検索ワードを入れている。日本のサイトですら。
たしかに見た目は確実にオールドラパラ。それほど良くできている。
けれど、少し詳しい人がみれば明らかに違うとわかるのが、このリップですね
「Finlandia Usitin Wobbler」
初期のスターホイル・ラパラのリップにはこの文字が無く、original rapala の文字がある
だから、絶対間違うわけがない・・・となるのだけれど
実はラパラの輸入が本格的に行われる前まで「Wobbler」という名前でルアーを販売していたことがあるのです。
そのせいもあってか「これはオールドの凄いのだ!」と、間違って買う可能性も十分にある。
──にしても
このルアー、世界中を見てみると、あまりに多くの数が出回りすぎています。
違法レベルのパチモノだったら、ここまで数があるのがおかしい。とくに多いのがアメリカですが、年代がばらばら。
おまけに、なぜかちゃんと箱まで残っているものが多く、大量に在庫があるところまである
つまり、こいつは一般の釣り具やで、とてつもない数が売られていたコピールアーです。
しかし、そんなルアーは当時はとんでもない数があるんですよ。
そこで、これは同じだろうと思われるルアーをいくつか発見
一つ目は、palsa minnow と言われるアイテム
アメリカを中心に大量に売られていたらしく、ラパラの半額近くの値段で売られたことから箱買いする人もいたという記録も残っています。
ここで、ああ見つけたぞと思い、依頼者に報告。
じゃーこれで終わりだなーと思ったものの、しばらくして再び検索してみると、まったく同じルアーが次々と出てくる。
二つめは アブと合体するまえのガルシア社が販売していたフィンランディアというミノー
もう一つは、ダイワが輸入販売していたという、フィンランディアミノーという品
おそらく、このメーカーは複数の輸入代理店にルアーを下ろし、そこからパッケージと名前を変えてルアーを売って利益を上げていたと考えられます。くそおセコい。
じゃぁ、いったい本当のルアーの名前は?
どこのメーカーから出されたルアーなのか?
無数にある、パッケージの違う同じルアー達をみながら、何かヒントはないかと探り続ける
そのさなか、依頼者とのやりとりで、アメリカで大量に売られていた palsa minnowのパッケージに書いてある「nils」という言葉について
「nilsって手作りって意味らしいですよ、ニルズマスターみたいな」というメッセージを送った。
すると相手から
「じゃぁ、ニルズマスターと何か関係があるんですかね?」
という何気ない返事
ニルズマスターといえば、インビジブルなどで有名なラパラのルアーメーカー
名前的にはフィンランドでは2番目位に有名であり、その独特のフォルムから生み出されるラパラとはまるで別物のアクションに魅了されたファンも多いと聞く。
いやいや、ニルズマスターとラパラは確かに同じ国のメーカーだけど、まるで別の代物じゃないか
それに、ニルズはフィンランドじゃ有名メーカーだし、ラパラのコピーなんか作るわけが・・・
・・・・まてよ?nils?
ニルズマスター?
フィンランディアミノー?
そこで調べてみると、個人サイトでダイワが輸入していたフィンランディアのリップについて、こう書かれていたのを見つける
「カナダで購入した同じルアーのリップが、なぜかニルズマスターのものだった。リップだけニルズマスターから購入しているのか?」
リップだけ購入?・・・いや、そんな話を聞いたことはない。だいたいボディとリップを別に買ったって割高だし、ニルズが損をするだけじゃ?
ということは?・・・ということは?・・・
さらに、今まで見落としていそうな部分を調べる。
メーカー違い、同じボディ、あまりに数のあるルアーだけに、情報も煩雑なものばかり。
その中で、palsa minnowが売り出された時期についての記載があった
「1963年、何の前触れもなく、このルアーは釣り具屋に大量に並んだ」
1963年──
──もしやと思い、ニルズマスターのサイトを開く。
インビジブルなどの個性的なルアーの並ぶサイトの会社概要を開く
すると、そこにあったのは
「創業:1963年」
の文字
もしかして、いや、これはもう間違いない
ニルズマスター
あのメーカーが、依頼品であるこのルアーを作った。
そして、ラパラのコピー品を大量につくり、世界中にばらまいたのだ。
調査経緯3:ラパラブームの闇と光 パイヤネン湖が生んだもう一人の天才
ニルズマスター
ラパラとは違う、個性的なルアーを作るフィンランドの二大メーカーの一つ
他と一線を画した尖った設計により、今だ根強いファンを持つそのメーカーが
まさか、そのニルズがラパラのパクリルアーを大量に作り、手を変え、品を変えて世界中にバラまいていたとは・・・
おそらく、ニルズを知る方は、ダイワやアブガルシアなどの他のメーカーがパクリをやったのとは、まるで別の衝撃を受けたでしょう。
しかし、調べた結果、どうやらそれは事実のようです。
ニルズマスターは1963年に創立しましたが、当初の名前は「Finlandia lures」
そして、これが当時売っていたルアー
それは、依頼者のルアーのリップに刻まれた文字や、ダイワ、ガルシアが輸入販売していたルアーの名前とも一致します。
これがFinlandia Luresが直接パッケージングして売っていたルアー
パッケージというにはおそまつなビニールの梱包ですが、その中身は依頼品と同じ。
つまり、ニルズマスターという名前になる前、Finlandia Luresは、間違いなくコピー品を作っていたということです。
一体どうして?あのニルズマスターが?
そうして気が付いたころ、僕はとあるフィンランドのニュース記事に行きつきました。
それは、ニルズマスターの創始者が死んだという記事。
彼の名前はハンヌ・カンガス
ニルズマスターを作ったカンガス兄弟の一人でした。
彼が死んだのが2020年。
その死を追悼する意味で、彼の生涯がつづられた記事でした。
ルアーを作る町で生まれた少年ビルダー
彼が生まれ育ったのはフィンランドのパイヤネン湖の近く
それはラウリ・ラパラが生まれ育った場所でもあり、彼と同じく、カンガス兄弟も湖で釣りをしながら幼少期を過ごしていたといいます。
しかし、彼らが普通の釣り人と違うのは、アルバイトとしてのルアー作りをしていたことです。
この当時、すでにパイヤネン湖周辺ではラウリラパラや他の漁師がルアーを使った漁をしはじめており、そのルアーを作る仕事をカンガス兄弟が行っていたといいます。
ただ、彼らが作っていたのはバルサではなく、アカシアの木を使ったもの。
ラパラも当初はバルサではなくアカシアを使ったルアーを作っていたのですが、それがパイヤネン湖では普通のことだったらしく、兄弟はルアーの材料を乾燥させ、カットするという仕事をしていたそうです。
その仕事をしていた先であったエーロ・サリーネンの元に、突然大量のルアーの注文がやってきました。
時代は1958年。まだラパラのルアーが有名になる前、スウェーデンのとあるメーカーが、パイヤネン湖で使えるルアーを作ってくれと注文してきたのです。
そして作られたのが、このスターホイルをまとった、ラパラにそっくりのルアー。
クオリティはかなり高く、まるで本物のラパラのルアーのようです
ただ、これは別にパクったというより
ラパラのルアーが主流となっていたパイヤネン湖周辺では、こうしたルアーを作るのが普通だったらしい。
で、このABU Paijanneを作ったのが、サリーネンの元にいたカンガス兄弟だったのですが・・・
・・・このルアーを作った時の年齢が、わずか17歳。
しかも、彼は自ら作ったルアーを運び、請求書まで書き、取引まで行い賃金を得ていたのですから驚きです。
そのクオリティの高さにアブは満足したらしく、なんと、それを輸出し販売までしてしまった。
そのルアーの名は「ABU Paijanne」
つまり、
ラパラのパクリでありながら、わずか17歳でルアービルダーとして世界デビューしてしまったんです。
さらにこのルアー、実はその後レーベルの技術を使ってプラスチック化され
「ABU キラー」として売られてるんですね。
もうおわかりでしょう
冒頭で紹介した、ラパラに良くにたルアーながら、名作と名高いキラーですが
その原型を作ったのは、じつは17歳のカンガス兄弟。
それにしても・・・いくらラパラのパクリとはいえ、恐るべき才能としか言いようがありません
そもそもラパラをパクルなんてのは、簡単にはできない。
僕自身、かつてオリジナルフローティングのコピーを作ろうとしたことがあるのですが、素人ではとうてい不可能であり、こんな完成度のコピー品を作れる絵がまったく浮かばない。
いや、それどころか販売できるクオリティのものなど、絶対に不可能。
それを、たった17歳で成功させたカンガス兄弟の才能と技術は本物としか言いようがありません。
しかし、その才能と技術が日の目を見るのはまだ先の話であり
かれらは、ラパラブームの光と影に翻弄されることとなるのです。
訪れたラパラブームと湖に巻き起こる一大ルアー産業
パイヤネン湖周辺というのは、農業と漁業を中心とする貧しい街です。
観光も少なく、産業も少ない。
夏にくる金持ちたちの避暑地としての価値しかなく、そんな富裕層を片目に、ラウリラパラ自身も貧困に常にあえいだ生活を送っていたと言われます。
そんな中、ラパラの作ったルアーがアメリカで一大ヒットを飛ばします。
切っ掛けは、マリリンモンローの死を報じ、最大の売り上げを上げたといわれるタイムス紙の同じ号に、ラパラのルアーの広告が載っていたため。
これを機に、アメリカという超大国がラパラのルアーを一気に求めはじめました。
ところが、ラパラのルアーには製造の限界があり、なおかつ輸送費もかかる。
アメリカ国内ではラパラ需要の高さゆえに、ラパラのレンタル業などが行われるレベルに発展していたので、常に品切れの状態が続いていたといわれます。
そこで、アメリカが求めたのは「ラパラに代わる、別のフィンランド産のバルサルアー」
その需要にこたえたのが、ラパラと同じくパイヤネン湖周辺にできた、複数のルアー工場でした。
この当時、カンガス兄弟が働いていたルアーメーカー以外にも、いくつものメーカーが誕生していましたが、それがラパラブームが始まったのをきっかけに、一気にその数を増やしていたのです。
なにせ、元から産業のない貧しい地域。
それrが「ルアーを作ってアメリカに売れば飢えずにすむ」となれば、当然人々はルアーを作りだすのは必然。
かくして、パイヤネン湖周辺ではルアー作りが一大産業となり、村人の多くがルアー作りに携わるという、世界でも類をみない一大ルアー産業圏が生まれたのです。
その商売相手となるが海外。
しかし、そこで求められたのはオリジナリティなどではなく、当然ラパラに良く似たルアー。
つまり、模倣品を作るためのルアー産業圏だったんです。
輸出相手からの指示はかなり細かく指定されたらしく、背は黒か青を使い、銀紙を使ったボディであること、細身の形状であること、さらに口紅を塗ることなどなど・・・
ただ、元からパイヤネン湖周辺では、このスタイルが主流となっていたこともあり、各メーカーはすぐにでもラパラと同じようなルアーを生産しはじめることができました。
そして、それはカンガス兄弟も同じでした。
この時、彼らは湖周辺でおきたルアーラッシュに乗るべく、会社を設立
この時、彼らはアメリカから毎月15000個もの注文が入っていたらしく、とんでもない量のラパラのコピー品を作り続けていたらしく、その数はパイヤネン湖で最も多い数だったといわれています。
しかも彼らが作るのは、数あるコピー品の中でも最上ランクの代物。
かつてアブがそのルアーに惚れたように、このルアーにも多くのメーカーがこぞってとびつき、ガルシアやダイワなどが名前を変えて輸入販売をするようになりました。
ただ、彼らはこれをコピー品を作るという嫌な仕事とは考えていませんでした。
ただ、フィンランドブームという大きな風に乗りたい
そんな夢を描き、、彼らは社名に「Finlandia Lures」という名を付けたのでした。
ブームの終焉とオリジナルに挑んだ兄弟
しかし、そのブームは長くは続きませんでした。
1970年代にやってくると、すでに第一次ラパラブームも終わりはじめ、主要取引国であったアメリカ国内での需要が激減しはじめたのです。
さらに、ラパラは自らのルアーに特許を出願し、コピー品を防ぐべく動きはじめます。
さらに、ブームの主役であったラパラは今まで以上に増産体制を強め、ミノーの原価は圧倒的に安くなり、他のコピー品を作るメーカーには到底できない安値でバルサ製ルアーを量産できるようになっていきました。
これにより、ブームに沸いたパイヤネン湖周辺のメーカーは次々とコピー品産業から離れていくのですが、それはカンガス兄弟たちも同じでした。
しかし、カンガス兄弟はルアー作りをあきらめませんでした。
彼らは根っからのアングラーであり、すでにコピー品を作ることにも嫌気が差していたのでしょう。
ラパラブームが去ろうとする前から、すでにオリジナルルアーの制作をはじめていたらしいです。
そこで兄弟が考えたのが、フィンランドらしくない、新たなバルサルアーでした。
彼らはまずアメリカの釣り雑誌を参考にし、どのようなルアーが人気なのかを調べました。
そこで、様々なタイプのルアーを学び、それを参考に、まったく新たなミノー作りに着手しはじめるのです。
その開発は3年にもおよび、ブームが衰退するころ、すでにコピールアー作りをやめた彼らの収入は激減し、土木業界で働きながらルアーを作っていたと言います。
オリジナルで勝負するというのは、結局のところ、ただのギャンブル。
楽して稼ぎたければ、また別コピーを作れば良いのですが、彼らはそれをしなかった。
それは、結局のところ、彼らにあったのが商人としての才能ではなく、ルアービルダーとしての才能だったからだと思います。
伝説のはじまり
そして3年後、彼らは今までのバルサ性ルアーとはまったく異なる、特殊なルアーを開発しました。
それが、スピアヘッド 8 cm、インビンシブル 8 cm、ウォリアー 8 cm、コンカラー 7 cm、デストロイヤー 5 cm、プレデター 5 cm、スタルワート 8 cm。
その見た目は独特で、まるで小魚とはかけ離れたデザイン。
さらにその色使いは、ラパラが提唱するようなベイトライクなカラーとは正反対のケバケバしいものばかり。
また、これらはすべてアルミを使わず、塗装による仕上げが施されましたが、これはバルサ性ルアーでは史上初となりました。
このオリジナリティあふれるルアーは「ニルズマスター」の商標で売られることとなりましたが、見本市での発表では、既存のルアーとあまりに違いすぎるがために
「クリスマスツリーの飾り」
「オウムのルアー」
それは、ラパラのコーピー品を世界一作った彼らだからこその、ラパラへの反動が生んだ奇妙な代物。
と会場中から笑いが起きたようです。
しかし、その市場にいた海外のディラー達の反応は違ったようです。
まず、このニルズマスターは、当時では珍しいウェイト入りのバルサミノーであり、キャスティングゲームでの使用が前提となっていました。
すでにラパラのブームが過ぎ去り、プラスチックルアーが生まれはじめたこの時代。トローリング主体のラパラのオリジナルフローティングでは出来ないルアーゲームがアメリカでは主流となりはじめていたのです。
また、一目を引く派手なカラーリングやデザインは、結局のところアングラーの購買意欲をそそる結果となりました。
また、濁りが多く派手な色が好まれる釣りでも重宝されることに
これはレイクトローリングが主体のフィンランドには無い発想。
そして、何より面白い
嘲笑の対象となりつつも、面白い。つかってみたい、どんな動きをするんだろうと、人々の興味を引き付けて離さないその見た目に、購入者が次第に増えはじめます。
また、頑丈なボディと、タンクテスト済みという部分が多くの購入者を呼んだともいわれています。
ボディの頑丈さはルアーのは太さと塗装による強化によるものらしく、大型魚相手でも壊れにくいルアーだったとか。
ただ、これにより浮力は殺されるので、それを幅広のリップでおぎなう。
アクションも派手であり、ただ巻きでもジャーキングでも使えるよう考慮したものが多く、おそらく当時アメリカで作られていたジャークベイトを意識したものだと思われます。
そして、独特のボディから生み出される、ラパラには無い生物的な動き。
ナチュラルさを意識するというよりも、より派手に魚にアピールすることを選ぶ攻めのアクション。
これにより、リアクションバイトをとれる高い実釣性能までも証明され、カンザス兄弟のオリジナルルアーは、国内外から高い評価を得るようになり
ニルズマスターはラパラに次ぐフィンランドのルアーメーカーとなったのです
調査結果
というわけで、今回の調査結果は
メーカー:フィンランディア ルアーズ(現ニルズマスター)
ルアー名:フィンランディア ルアー
というわけでした。
しかし、あのニルズマスターも、最初はコピー品を作っていたとはねぇ
まぁね
たしかに、お金を儲けるために、流れにのるのが上手かったりしますよね
というか、お金を儲けるのって、結局はそういう発想でやるもんだろうし、それが生きる上での常勝手段。
でまぁ、それがコピールアーであり、それを作る会社なのかも。
けど、そんなことをしていても、結局クリエイティブな才能ある人間ほど、むなしさしか残らないんでしょうね
だから、カンガス兄弟みたいに、モノを作る人間達は誰かの真似からはじまるだろうけど
いつか必ず、自分自身で挑まなきゃいけない時が来るんでしょうね
でもまぁ
ニルズマスターは成功したけれど、きっと多くの人は失敗するでしょう
それだけ、オリジナリティなんてものに、世の中は価値を見出さないし、そもそも世の中が求めているものと一致する確率の方が低い
だから、コピー品でも別に良いんですよ。
そうして学び、経験し、うまくやっていく
流れに身を任せることで安心できるし、バカにもされない。
きっと生活も保障されるし、将来の不安も無くなりそう
だけど、今回の調査で見つけた結果は、そうじゃないような気がするというか
結局のところ、自分という存在が、みんなとは違うということ
それを認める日がやってきて
そして、気が付いた奴から順番に挑むことになるんだろうね
オリジナリティという名の、自分試しのデスゲームに
それは今あるコピールアーを作る様々な会社も同じだろうし、その中から、いずれニルズマスターのように名作を生む企業が現れるのかも。
まぁ、その結果どうなるかなんて、誰にもわからないし
みじめに失敗する確率のほうが高い気がする
けど、もしニルズマスターが失敗していても
カンガス兄弟は、また挑戦したと思うというか
もう自分にウソなんて付けなくなったら
同じ年の、同じ日に死ぬ時、ニュースの記事にのらなくたって
彼らはずっと、みんなに笑われるルアーを作り続けていた
そんな気がしますね
【依頼募集中】
謎のルアーを追え!で調べてほしいルアーがあるかた大歓迎
ご依頼はコメントやツイッターなどでおよせください。
謎のルアー、待ってます。
参考記事:https://eralehti.fi/2020/01/13/hannu-kangas-on-kuollut-finlandia-uistimen-50-vuotisjuttu-uusintana/
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