渓流でリスに怒られ冬支度をする

釣り超コラム
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渓流で釣りをしていると良くリスに出会う。

出会うリスはシマリスであることは殆ない、いや、シマリスもたまにいるのだけれど、僕が行く渓流ではもう少し大きいエゾリスが良くいる。

エゾリスは秋も近くなると、なにか毛も長くなっている気がするうえに大きくて目立つ。おまけに活発に動き回るので遭遇する機会がどんどん増えてくる。ちなみに、雪が振り始めた位でも良く見かける。彼らは冬眠しないのか?と疑問に思ったことがある位元気だ。

そして、僕がいく渓流のリスは大胆だ。

最初、なんであんなに人前に姿を表すのか良くわからなかった。目が悪いのかと思ったけれど、よくみるとコッチに気がついている。それでも、地面にある何かをずっと口の中に入れ続けているほうが優先のようで、かなりの距離に近づいても逃げない事がある。

リスは冬が近づくと大量の餌を集めて地面に埋めるらしい。

ネットであの川にいるリスがエゾリスだと知ったサイトで書いてあったのだが、どうもエゾリスは冬眠をしないらしい。どうりで雪が降っても渓流で出会うわけだ。

似たようなリスながら、こっちのほうがカワイイと人気のエゾシマリスは冬眠するようだが、やはり小さいリスだからなのか?というか、エゾリスは体も大きいし、秋になると毛も長く灰色というか黒に近くなって、なにかリスっぽくない。

おまけにネットの写真でみるエゾリスより、渓流でみるエゾリスのほうが明らかに体がデカく、おまけに毛も長く、黒い。

ゆえに、どちらかといえば毛の生えたデカいネズミに見える時のほうが多く、正直いって、最初見た時はまったくカワイイと思わなかった。

けれど、こっちもこっちで人気があるらしい。

それに見慣れるとたしかにカワイイ気もする。シマリスより速くはないが、間近でみるとずっと忙しく何かを口に入れて動かし続けていて常にセワシナイのがカワイイ気がする。

ただ僕自身がはやく動けないというか、どちらかといえばナマケモノみたいな生物なので、高速で動くリスを見ると不思議な気持ちになる。とにかくカクカク凄い速度で動くのが奇妙なのだ。

そんなリスに渓流で出会うと、つねに冬支度で忙しくそのアタリを走り回り、せっせと口に餌をためつづけているのは、やたら働き者に見える。

というか、人間にかまっている余裕がないくらい必死なので、むしろこっちが申し訳ない気になる。

そして、ルアーを投げている僕の眼の前にどこからか飛んできては、口に必死に何かをいれながら

「おい!冬が来るんだぞ!モゴモゴ!釣りなんかシてる場合か!モゴモゴ!おまえも!モゴモゴ!冬支度をしろ!モゴモゴ!この!モゴモゴ!道楽者め!モゴモゴ」

と言われている気がして、なんだか申し訳ない気すらする。

たしかにこの釣りは、冬支度のためではない。食料調達のために来たわけでもない。リスの言うとおり、ただの道楽だ。

それに、この時期の渓流は釣れない。

水温もどんどん低下しているし、魚の捕食欲求もなくなるので、ニジマスすら釣れないその日、冬支度で忙しいリスに説教をされた僕は家にかえると、言われるがまま冬支度をした。

といっても、人間の冬支度なんてのはリスに比べれば簡単だ。

毎年大量の餌を集めては地面に埋め続けるという重労働を繰り返すエゾリスとは違い、僕の冬支度は車庫の整理、庭の片付け、そしてタイヤをスタッドレスに変え、あとはホームセンターで足りない除雪道具を買い揃えるくらいだ。

そう考えると、この北海道における文明の進化とは、冬支度をさほどせずに済むようになった点が、なんとも便利な所なのだろうとも思える。タイヤの交換だって自分でやらず、店に頼む人も多い。貨幣社会は様々な弊害を産めど、人間を楽にするために存在するのは確かであり、冬に対する恐怖心をやわらげ、ちょっと面倒だな位にしてくれる。例えば、冬でもやってる大型スーパー、冬でも配達してくれるネットショッピングと運送会社、マイナスイオンが出る大型冷蔵庫、そしてストーブ。灯油代は年々上昇しているとはいえ、冬にそなえて食料を集め、地面を掘りまくることが無いだけありがたい。

とはいえ、最近はあえて薪ストーブにしたりする家もあって、そのために大量の薪を冬の前に準備している人もいると聞く。あえて狩猟だけにこだわり、冬のまえに食料を貯める人もいるらしい。利便性すら選択肢の一つであるという、ある意味ではなんとも贅沢な生き方ともいえるが、僕からすると面倒だし大変だとは思う。ただ、それでもリスよりはマシなのだろう。

とはいえ、この間テレビでやっていた動物番組では、リスは大量の餌を集めて地面に埋めるが、埋めた場所の多くを忘れてしまい、そのまま冬を越えてしまうと言っていた。

つまり、あんなに頑張って餌をあつめているのに、あまりにも無駄が多いのだ。

だったら、あんなにアクセク動いて餌を集めなくても良いのにと思う。

しかし、それも冬が来るという恐怖がもたらす生存本能がさせているのだろう。なんというか、たぶん毎年大災害がやってくるレベルで頑張って準備している気がする。

そういえば、大規模な停電のとき保存食を買うために行列にならび、必死に食料を集めていたのを思い出す。けれど、それも取越苦労で電力は復活。買った保存食はそのままダンボールの中に入れたまま忘れてしまい、ついに今年、賞味期限が過ぎていることを知り、あえなく捨てるハメになった。

つまり、人間もいざ文明を失えば、リスと同じように必死になり、無駄ともいえる備蓄を蓄えるべく駆けずり回るに違いない。冬がくればリスになるしかない。埋め他場所を忘れるくらい餌を集めて、やっと安心できるようになるのだ。

ところが、このリスが埋める餌というのは木の実の種であることが多く、食べ忘れられた餌は春になると芽が出て、新しい木になるという。

なんとまぁ上手く出来ているのかと思うし、人間社会のシステムはそこまでではない。僕が捨てた賞味期限切れの保存食からは芽は出ないし、新しい食事にはならず、税金を使って焼却処分されたのがオチであった。

そんな自然の営みに思いを馳せながらも、切れたリールのオイルを挿して次の釣りのことを考えるのは、自然に生きる人間のやることというより、カネで冬支度を終わらせた人間が、余った時間をふたたび道楽につぎ込もうとしているだけの姿だ。おまけにどうせ釣れない。いったい何しにいくのかと言われても返答に困る。

ただ、冬支度はやっている。

そこで餌集めに必死なエゾリスにまた嫌な目で見られるとしても、こっちの冬支度はあらかた終わったのだから、文句を言われる筋合いは無いはずだ・・・いや、たぶん。

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